空模様

 

奈良散歩

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(猿沢池)



以前の私は、一人で店に入ってご飯を食べるなんて
とんでもないと思っていた。
店で一人でもくもくとご飯を食べたってつまらないし
あっという間に終わるし、いいことなんてない気がしていた。

でも、最近はずいぶんと「お一人さま」が得意になってきた。
この年にして言うのもなんだけれど
「なんだか大人になったみたい」・・・(笑)

今日は、高の原での気功教室の後
あまりの青空にそのまま帰るのがもったいなくて
帰る方向とは逆の電車に乗り、奈良に向かった。
奈良町をウロウロして、定食屋でカツカレーとビール。
こじゃれたカフェのものより、少し薄暗い定食屋のごはんが私は好き。
本を読みながら、ゆっくり瓶ビールを一人で一飲み干し(ラッパ飲みじゃないよ)
一人での気楽さにため息が出た。
昼から飲むビールって、ああ、なんとも贅沢だ。

読書のきりがよいところで店を出て奈良公園へ。
興福寺の北円堂で公開中の如来と菩薩にご挨拶。
ところどころ、色づいた樹々がとてもきれい。
鹿を横目に、読みかけの本をひろげた。
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奈良町は新しい店がいろいろ。
雑貨屋さんも楽しげ。
またゆっくり訪れたい。

読んでいた本は、宮本輝の「星宿海への道」。
帰りの電車の中で読み終わった。
なかなかの長編ながら一気に読めた。

家に帰って、土鍋で新米を炊き
みそ汁を作って、島から届いたカマスを焼いて食べた。
なんともすこやかな一日。

roots

昨日の夕方から実家に帰って、先ほど帰宅。

伯母宅からもらってきた着物や反物を母に届けた。
ブログで写真にあげた紫色の織物で何か作ってもらおうと思う。
母はとても手先が器用で、最近は古い着物を解いて
小物を作ることに凝っている。
昔は母の作ったものなんてなんとなく野暮ったく思えて着なかったが
最近作ってくれる、その古い着物で作った着衣はありがたく頂戴する。
なかなかいい配色のものが多く、我が母ながら、
そのセンスと緻密さにはいつも感心させられる。
私が母の作ったものを着ていると他の人からもお褒めの言葉をいただくので
まんざらひいき目でもなかろう。
(だいたい、娘は母のすることには手厳しいものだ。また逆も然り。)


昨日は、伯母宅から戻って初めて母に会うので
伯母や祖母についての四方山話を聞いた。
そして、もらってきたらよかったなぁと思っていた写真を母が持って帰ってきていて、
それがもともと母が持っていたものと重複していたものだったので
その中から一枚もらって帰ってきた。

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真ん中に座っているのが祖母でその隣の小さい女の子が母だ。
祖母が和裁をしていたのはもちろん知っていたが、
実は和裁教室のおっしょさん(お師匠さんね。)だったということは知らなかった。
この写真は針供養の時の写真だそうだ。
みんなきれいな着物を着て、貴重な一枚。


祖母の着物は、それはそれは丁寧に作られていて
遺った着物を見ているだけで、なんだかため息が出る。
母の作ったものもそうで、
私はこの二人の器用さを受け継げなかったことを残念に思うが、
着物を縫い、それを指導しながら生計を立ててきたという
今まで知らなかった祖母の一面を知り
その血が私にも流れていることを強く感じてうれしく思った。

やさしい祖母が大好きだった。
従妹と祖母の取合いをして、周りの大人たちを困らせるほどに。
(母がそう言っていた。私は、いつも祖母と一緒にいられる従妹が
うらやましかったことだけ覚えている。)


父や母の若い頃の写真も見せてもらったが
とても不思議な感覚だった。
それまでも何度か見せてもらったことがあったが
メビウスの輪の中にいるような、なんとも形容しがたい感覚で見ていた。
その写真に写っている父母の歳をすっかり超えてしまっているんだものね。
私が生まれる前の写真だけれどそのまま私のルーツ。


母が「あんたの生き方もいいねぇ」と言った。
2年前ぐらいには、そりゃもう大ゲンカして
断絶かぐらいの勢いの時もあったけれど
なんとなく、私が元気そうにやっているのを見て
少しは安心してくれたのかも知れない。
しかし、いつも、両親が私にしてくれたことに対して私に何が返せるだろう
と思うと少し気持ちが焦る。
実家に帰って眠れなくなるのは、それが大きいように思う。


磨く

午前中は来客。

昼過ぎから、亡き伯母宅からもらってきた飾り棚を磨いた。
この棚は祖父が使っていたものだそうだ。
中からはふるい匂いがする。

ほこりや虫食いのあとを何度も丁寧に布で拭う。
でこぼこのガラスも溝の間を払う。

先日の木削り教室で教えてもらったように
ひとしきり拭いた後は木賊で磨いた。
そして、蜜蝋を塗る。
まるでマッサージするみたいに。

 ウチまでよくきてくれたね
 大切にするからね


祖父はとても厳しい人だったと母から聞いた。
私が知っているのは、一人で暗い畳の部屋で
テレビを見ながらお酒を飲んでいる姿。
棚を磨きながら、もう何年も前に亡くなった
ほとんど言葉を交わしたこともない祖父と
話をしているようだった。



今日の夕空はとても美しかった。
空を眺めると気持ちが穏やかになる。
一日に一度は見上げよう。
自然と一体になる時間は必要。

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新しい、と言えるまでに

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先月、伯母が亡くなった。
伯母の夫は私が小学2年の時に亡くなり
また二人の間には子供がなかったために
弟妹しか身寄りのない伯母は、晩年はかなり孤独だったようだ。


伯母亡き後の家へ、母と父が整理に向かい
私もそれを手伝いに愛知県まで車を運転して行った。

小学生の頃、よく出入りした伯母の家に
久しぶりに足を踏み入れた。

昭和という時代の始まりに生まれた伯母。
そして、この家にも昭和の高度成長期には
華やかで、躍動した気が充ちていた頃があった。
私は幼かったけれど、ほんの少し覚えている。
伯母の夫は、整体と指圧治療院をその家で営んでいて
私も何度か治療を施してもらった。
母もここで指導を受けていて、幼い頃は何かというと指圧をされた。
母の指圧はとても痛かったが、伯父の手はとてもやさしかった。
家には人体模型や、模造図がたくさん貼ってあって興味深かった。
前面が庭で、縁側があり、やさしい光が差し込む平屋の家だった。

思えば、私の原点はここにあるような気がする。
子供の頃はよく伯母の家に預けられた。
伯母の家で過ごしたあの子供時代があって
今の私の家の形があるような気がする。


しかし、何十年かぶりに訪れた伯母の家は
よく人が住んでいたなと思えるほどの荒れ果てたあばら屋になっていた。

何もかもを手放すことができず、
30年以上も前に亡くなった伯父のものや
祖父母のものまで、おそらく何一つ微動だにすることなくそのままにあり
私たちは4人分の遺品を整理することになった。
私が滞在したのは2日間だけだったが
父と母は結局9日間かけて、家の中を片付けたそうだ。

懐かしい写真を見つけては、従妹と笑った。
それが唯一の供養になると母は言った。
祖母の娘時代の写真なども
不思議な気持ちで見た。
大正時代の、まるで陶器のような肌に見える写真たち。
にこりとも笑わず写る人たち。
この時代の写真は、独特だ。


私が整理したのは服と書物。

ずっと箪笥の中に押し込められていた
選別している余裕もないほどにあふれかえるものたち。
一瞥しただけで、いるいらないを判断して
ビニール袋に捨てるものを入れていく。
しつけがついたままの着物も、虫食いやシミがひどいものは捨てた。
 おばちゃん、これはないよ
と何度も思った。
亡くなって一週間もたっていない頃だったから
きっと、伯母はその辺りにいて「捨てないで」と言っていたかもしれない。
だけど、
 肉体がないあなたにはどうしようもないことだからね
 怒らないでよね
と何度も思いながら、袋に入れていった。
一体、服だけで何袋になっただろうか。
10袋以上はあったはずだ。


伯母は何に執着していたのだろうか。
この時代の人たちは、戦争を経験しているから
ものが捨てられない人たちだと、多くの人が言う。
でも、ものを持っていても、それらは使われてこそだ。
何にも持って逝くことはできない。
多くのものに囲まれながらも、何一つ生きてはいなかった伯母の家。
そのものたちが輝いていた頃に
誰かにあげたら喜ばれたかもしれないものたちも
こうして捨てられていく。
宝の持ち腐れってこのことね
と母が言った。
(生前、伯母に母が「これちょうだいよ」と言ったら
伯母は何度も聞こえないフリをしたそうだ。)


伯父が遺していった本たちは
波動や宇宙などという言葉がタイトルに冠された本が多く
また経絡の本や医学の本もたくさんあった。
合気や柔術の道場も主宰していたので
そういう関係の本も、また易経の本もたくさんあった。
亡くなったのは野口整体の野口晴哉氏と同じ頃。
年も同じぐらいだったんじゃないかと思う。
顔も少し似ているし、同じ感じだったのかもと想像したりした。
生きていて話できたらおもしろかっただろうなと思うが
母にそう言うと、苦い顔をした。
今から30年以上も前に、波動がどうのというような人だったとすると
確かに、周りを困惑させる人だったのかも知れない。


何か欲しいものがあったら持って帰ってもいいと言われ、
ちょうど今、私は経絡の勉強をしていてその関係の本が欲しいと思っていたので
伯父の本数冊とそして着物、古い飾り棚と小さな本棚をもらって帰ってきた。


上の写真は、おそらく祖母のものだと思う。
半幅の帯と反物。
この時代の紫色は胸がときめく。


今こうして、時間が経ち
この日記を書いていて
祖母の若い頃の写真を持ってかえってこればよかったな
とふと思った。
また捨ててきたものたちについても、あれでよかったのか
と思い返したりした。

でも、その写真は、思い返すと
いつでも脳裏に浮かぶ。
そして、捨てたものも、あの中から無理していくら持ってかえってきても
私が使わなければ、やはり同じことだ。

持ってかえらなくてよかったと思う。

持ってかえってきたものの中から
数枚の着物を人にあげた。

ちゃんと大事に使ってくれる人がいてこその「もの」だ。

私もいらないものは、それが欲しいと思ってくれる人にあげるか
捨てていこうと思う。

伯母の死に際して、
それが伯母の生き様を現しているのをつくづく感じた。
「死」について、この一年いろいろ考えさせられることが続いた。
とてもリアルなものになった。
そして、私が死ぬ時はどんな最後を迎えるのだろう
と考え怖くなったりした。
どうしようもなくしんどくて、一日中布団に包まる日もあった。
いつ起こるかわからないことにおびえてもしようがないのに。


今、思えるのは、生きているこの瞬間。
「死の姿」は生きている瞬間瞬間が結果として現れることで
それは「今」の「その次の瞬間」にも言えること。
伯母の死がそれを現してくれたではないか。
先でもなく後でもなく、「今」を生きることに懸命になろう。



おびただしい不安と向き合って
そして、ようやく脱皮。
気づいたら10月。
そして「新しい」と書いた、この前の日記に続くのです。

新しい

mac_welcome.jpg


日曜日の夕方に新しいパソコンを買いました。
26日にOSがバージョンアップするとのことで
それまで待っていようと思っていたのですが
なんかね、もう、わーっと買いたくなって。
家の契約更新もちょうどこの日だったし
携帯も機種変更したし、全部一新だと思って。

iMacさま。
快適。
ホント美しい。
インテリアオブジェのよう。
ずっとWin機を使ってきて、まさか自分がMacユーザーになるとは
思ってもなかったけれど、買い替えの大きなポイントは
出入りさせてもらっている気功協会の事務所で使っているのがMacだったということ
(気功協会のHPも作らせてもらってます。よかったら見て下さい。
http://npo-kikou.com/
あと、MacでWinも使えるようになったという点でした。
(といってもまだできてないの・・・)
自分は絶対○○だー
なんてことはないのねぇ。
いいものはいいんだもの。


SDメモリの中に収まったままの写真も取り込んだし
またブログも更新していきます。
やっぱりブログ更新していないと
なんだかひっそりした感じがするものね。
おもしろいもんで、デジタルだけれど
ちゃんと人の出入している感じがあると
アナログっぽさがあるもの。


京都はこれからどんどんいい季節になります。
いいもの、きれいなもの
みつけたあれこれをお伝えしたいなぁ
と思っています。

またあらためて、新生空模様を
どうぞよろしくお願いします。


プロフィール

Author:チエ
京都の古いお家を
「空 -くぅ-」と名づけ
そこでいろんな方と
出会うことで
生まれる「気」を
日々楽しんでいます。

ツールはアメリカの
エサレン研究所で行われている
エサレンボディワーク。
(エサレンマッサージ
とも言います)
気功、アロマテラピー。
それぞれを分けるのではなく、
融合して表現して行こう
と思っています。

「気持ちよいこと」が
永遠のテーマです。


おいしいお茶ご用意して
お待ちしております。

空-くう- のHP
http://www3.to/ring-hand

旅の写真、キロクしてます。
http://ametsuchi.exblog.jp/
http://fotologue.jp/ametsuchi/


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