
先月、伯母が亡くなった。
伯母の夫は私が小学2年の時に亡くなり
また二人の間には子供がなかったために
弟妹しか身寄りのない伯母は、晩年はかなり孤独だったようだ。
伯母亡き後の家へ、母と父が整理に向かい
私もそれを手伝いに愛知県まで車を運転して行った。
小学生の頃、よく出入りした伯母の家に
久しぶりに足を踏み入れた。
昭和という時代の始まりに生まれた伯母。
そして、この家にも昭和の高度成長期には
華やかで、躍動した気が充ちていた頃があった。
私は幼かったけれど、ほんの少し覚えている。
伯母の夫は、整体と指圧治療院をその家で営んでいて
私も何度か治療を施してもらった。
母もここで指導を受けていて、幼い頃は何かというと指圧をされた。
母の指圧はとても痛かったが、伯父の手はとてもやさしかった。
家には人体模型や、模造図がたくさん貼ってあって興味深かった。
前面が庭で、縁側があり、やさしい光が差し込む平屋の家だった。
思えば、私の原点はここにあるような気がする。
子供の頃はよく伯母の家に預けられた。
伯母の家で過ごしたあの子供時代があって
今の私の家の形があるような気がする。
しかし、何十年かぶりに訪れた伯母の家は
よく人が住んでいたなと思えるほどの荒れ果てたあばら屋になっていた。
何もかもを手放すことができず、
30年以上も前に亡くなった伯父のものや
祖父母のものまで、おそらく何一つ微動だにすることなくそのままにあり
私たちは4人分の遺品を整理することになった。
私が滞在したのは2日間だけだったが
父と母は結局9日間かけて、家の中を片付けたそうだ。
懐かしい写真を見つけては、従妹と笑った。
それが唯一の供養になると母は言った。
祖母の娘時代の写真なども
不思議な気持ちで見た。
大正時代の、まるで陶器のような肌に見える写真たち。
にこりとも笑わず写る人たち。
この時代の写真は、独特だ。
私が整理したのは服と書物。
ずっと箪笥の中に押し込められていた
選別している余裕もないほどにあふれかえるものたち。
一瞥しただけで、いるいらないを判断して
ビニール袋に捨てるものを入れていく。
しつけがついたままの着物も、虫食いやシミがひどいものは捨てた。
おばちゃん、これはないよ
と何度も思った。
亡くなって一週間もたっていない頃だったから
きっと、伯母はその辺りにいて「捨てないで」と言っていたかもしれない。
だけど、
肉体がないあなたにはどうしようもないことだからね
怒らないでよね
と何度も思いながら、袋に入れていった。
一体、服だけで何袋になっただろうか。
10袋以上はあったはずだ。
伯母は何に執着していたのだろうか。
この時代の人たちは、戦争を経験しているから
ものが捨てられない人たちだと、多くの人が言う。
でも、ものを持っていても、それらは使われてこそだ。
何にも持って逝くことはできない。
多くのものに囲まれながらも、何一つ生きてはいなかった伯母の家。
そのものたちが輝いていた頃に
誰かにあげたら喜ばれたかもしれないものたちも
こうして捨てられていく。
宝の持ち腐れってこのことね
と母が言った。
(生前、伯母に母が「これちょうだいよ」と言ったら
伯母は何度も聞こえないフリをしたそうだ。)
伯父が遺していった本たちは
波動や宇宙などという言葉がタイトルに冠された本が多く
また経絡の本や医学の本もたくさんあった。
合気や柔術の道場も主宰していたので
そういう関係の本も、また易経の本もたくさんあった。
亡くなったのは野口整体の野口晴哉氏と同じ頃。
年も同じぐらいだったんじゃないかと思う。
顔も少し似ているし、同じ感じだったのかもと想像したりした。
生きていて話できたらおもしろかっただろうなと思うが
母にそう言うと、苦い顔をした。
今から30年以上も前に、波動がどうのというような人だったとすると
確かに、周りを困惑させる人だったのかも知れない。
何か欲しいものがあったら持って帰ってもいいと言われ、
ちょうど今、私は経絡の勉強をしていてその関係の本が欲しいと思っていたので
伯父の本数冊とそして着物、古い飾り棚と小さな本棚をもらって帰ってきた。
上の写真は、おそらく祖母のものだと思う。
半幅の帯と反物。
この時代の紫色は胸がときめく。
今こうして、時間が経ち
この日記を書いていて
祖母の若い頃の写真を持ってかえってこればよかったな
とふと思った。
また捨ててきたものたちについても、あれでよかったのか
と思い返したりした。
でも、その写真は、思い返すと
いつでも脳裏に浮かぶ。
そして、捨てたものも、あの中から無理していくら持ってかえってきても
私が使わなければ、やはり同じことだ。
持ってかえらなくてよかったと思う。
持ってかえってきたものの中から
数枚の着物を人にあげた。
ちゃんと大事に使ってくれる人がいてこその「もの」だ。
私もいらないものは、それが欲しいと思ってくれる人にあげるか
捨てていこうと思う。
伯母の死に際して、
それが伯母の生き様を現しているのをつくづく感じた。
「死」について、この一年いろいろ考えさせられることが続いた。
とてもリアルなものになった。
そして、私が死ぬ時はどんな最後を迎えるのだろう
と考え怖くなったりした。
どうしようもなくしんどくて、一日中布団に包まる日もあった。
いつ起こるかわからないことにおびえてもしようがないのに。
今、思えるのは、生きているこの瞬間。
「死の姿」は生きている瞬間瞬間が結果として現れることで
それは「今」の「その次の瞬間」にも言えること。
伯母の死がそれを現してくれたではないか。
先でもなく後でもなく、「今」を生きることに懸命になろう。
おびただしい不安と向き合って
そして、ようやく脱皮。
気づいたら10月。
そして「新しい」と書いた、この前の日記に続くのです。