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空模様

 これまでにないことをやってみる 其の七

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学校での発表が終わった。
言い足りなかったこと、こう言えばよかったということ。
終わった後にいただいた反応で湧いてくる。
発表してみたからわかること。
9月の学会発表をめざそうかな…と思ったりする。
(さて、私はその頃どうしているんだろうか)

発表した全員の話からみえたことは、
人と人がかかわることについて表面のアプローチは違っても通底しているということ。
キーワードはひたすら「対話」だった。

今回の発表でも使わせていただいたが、中島義道さんの「対話のない社会」にはひきこまれた。


「なぜ?」という疑問や、「そうではない」という反論。
地道な手探り、慎重な歩み寄り、念入りな違いの確認。
「わかった」と「わからない」の揺れ。
この揺らぎから「普遍的真理」をめざして語ること。



生半可なやさしいものではないのだ。
そして、これが真のやさしさなのかもしれないと思う。

グリーフケアと読書と対話の会がどうつながるのかと最初思ったけれど、
そういうことかとわかったと何人かの方から声をかけていただいた。

あと、クラスメイトたちから
「あなたがすすもうとしている道がみえた」「刺激を受けた」「気持ち動かされた」ということばももらった。

あらためて、大好きな池田さんの話を150名ほどの前で
できたことが何よりうれしくて、自分でも「よかったなぁ、私」としみじみ思っている。



池田晶子さんは、「生きているってどういうことだ?」と、のこした言葉から執拗に問うてくる。
若松英輔さんはこの本の中でこう書いている。


会ったこともなければ、遠くから見かけたことすらない。生前には、どんな声かも知らなかった。ある期間、確かに同時代に生きたのだが、その言葉は、彼方の世界からやってくる、そんな感覚をぬぐいさることができなかった。それは彼女が亡くなった今でも変わらない。池田晶子の言葉、誤解を恐れずにいえば、言葉である池田晶子は、今も語ることを止めない。


本当に、そうだ。
ずっと語りかけてくるの、本から池田さんが。

池田さんは、「言葉はそれ自体が価値である」と書いているが、
彼女のいう「言葉」とは、通常、人が使う言語の領域をはるかに超えていて、
ときには、色であり、音であり、また芳香、あるいは形でもあるような、
姿を定めずに私たちの前に顕れるものであり、それらは「コトバ」として言い表すとしている。

そして
「死の床にある人、絶望の底にある人を救うことができるのは、
医療ではなくて言葉である。宗教でもなくて、言葉である」と。
これは、いうまでもなくコトバのことである。

私は池田さんのコトバに触発され、「生きているとはどういうことか?」を問いたくて、
読書と対話の会を続けている。
そして、からだからもそれをいま味わっている。

池田さん曰く。
言葉それ自身を追求してゆくと、当然言葉の向こう側へ出てしまう。
「言葉」とはすなわち「意味」であり、「言葉の不思議」とは、「意味の不思議」。

私たちは「うつくしい」という感覚を、誰からも教わらないまま、
それをうつくしいというと幼い頃から知っている。
うつくしい、そのもとにあるものはどこからきているのだろう。


「言葉の意味というものは、目に見えて手でさわれるこの現実の世界には、
存在しないということなんだ。意味というのは、別の世界に存在するものなんだ」


ああ、すてきだ。
このことばだけで、ご飯三杯。



さて、「これまでにないことをやってみる」はここでひと段落。

あらたな「これまでにないことをやってみる」が始まっています。
それはまた違うかたちでご報告します。

読んでくださってありがとう。


【これまでにないことをやってみる 其の一】
【これまでにないことをやってみる 其の二】
【これまでにないことをやってみる 其の三】
【これまでにないことをやってみる 其の四】
【これまでにないことをやってみる 其の五】
【これまでにないことをやってみる 其の六】






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