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空模様

 お腹から、背中をみる

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昨日は、ひさしぶりに上智大学の講義に出席させてもらった。

私は練馬総合病院の漢方内科にて診察を受けているのだが、
その先生(ウチの相方が漢方をまなぶ上での師匠でもある)が
「祈りの人間学」という授業を一コマ受け持つというので、席に加えていただいたのだ。
主題は「みえないものをみる」。

先生の母上が間質性肺炎で入院、危篤状態となり
「もう打てる手は打ち尽くしました」と主治医に言われた時に、
それならばと漢方薬を処方させてもらえるようお願いし、
もうどうにも施しようがないと言われた状態から自力で起きて退院するまでの話は圧巻だった。


そのひとの状態を全体でみる(ここは、観る、だろう。単純な視覚ではない)には、
やはり自然な状態に自分の身を置き、嗅覚、聴覚、触覚、といわれるような感覚を磨くこと。
とっさの時に動けるようになるためには、それら感覚を研ぎ澄ませて、
直感といわれるようなひらめきをおろそかにしないことだろう。



先日は、文京区のファシリテーター講座にて「哲学カフェ」を主軸に対話の場を企画主催したが、
そのなかで大学で社会哲学について教鞭をとられている古市さんにお話を伺った。

たとえば「いじめ」や「死」もこどもにとっての限界状況であり、
「こどもの哲学」といえども「おとな」と違いはない。問題を共有し得る。
しかし、こどもの時分にはない「常識やルール」など社会規範を
おとなになるにしたがって身につけていく。
その暗黙のルールがあるからこその自由が社会にはあるが
時としてそれは人を不自由にもさせる。

「常識だと思い込んでいることを疑う」、「ルールに異議申し立てる」ことのできる点が
「おとなの哲学」なのではないかということを古市さんはおっしゃっていた。



漢方の根本は、すなわち東洋思想、東洋哲学そのものであり
全体を「陰陽」としてみている。
寒ければ暖め、冷たければ温め、乾いていれば潤す。足りなければ補う。
いたってシンプルである。

「おとなの哲学」でいうところの
「常識だと思い込んでいることを疑う」、「ルールに異議申し立てる」も、
このシンプルな自然の法則に従えば、問いがおのずとでてくるような気がしている。
おそらくこのことを「お腹から、背中をみる」と漢方医は言っているんじゃないかと私は思う。
(遠くだと思ったら近くだったとか。
宇宙のことを考えていたら、自分のことだったりとか。)



もうすぐ冬至である。
今年は12月21日。
一陽来復。
日短きこと至り(陰きわまる)、陽が生ずる。
ここからまた陽が長くなってくる。

冬至から、西洋の暦で一月一日を迎えて新年、
そして新月で旧暦の正月、節分、立春という
幕がじょじょにあがっていくかのような流れを感じて
これからが寒さは本番であるものの
冬至と聞くとささやかにからだが蠢く。
からだの内側からのダイナミズムを感じるのがたまらない。


これまで関心のあったことが
もぞもぞと動き出して、混沌としつつ
あたらしい宇宙がうみだされそうな。

たまらなくしあわせである。



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