Welcome to my blog

空模様

 読書と対話の会「14歳からの哲学」

読書と対話の会、9月は3日、10時からです。

「14歳からの哲学」という本は、「A」「B」「17歳からの哲学」という三部で構成されています。




「A」は

1 考える[1]
2 考える[2]
3 考える[3]
4 言葉[1]
5 言葉[2]
6 自分とは誰か
7 死をどう考えるか
8 体の見方
9 心はどこにある
10 他人とは何か

という章立てになっています。

本には、これらの問いに対する答えは書かれていません。
この本を読めばなにかがわかる、ということもありません。
まったく書いてあることの意味がわからないという人もいるし、
もやもやして気持ち悪いという人もいます。
私自身は、はじめて読んだ時に「こういうことを考えてますって、堂々と言っていいんだ!」
と、こころからうれしく思いました。

でも、実際この本で問われていることをあらためて考えてみると、とてもむずかしい。

そのむずかしさって、
たとえば3歳ぐらいの子に、そんなのあたりまえじゃないか、ってことを
どうして?どうして? としつこく聞かれて
「どうしてって言ったって、どうしてもなの!」となかばキレそうになるような感じかな。

その「キレそうになる《もやもや》」に対して、
あらためて「・・・どういうことだろう?」と向き合っていくことが
「考える」ってことなんだろうなと、今の私は考えています。

著者の池田さんがあげてくださったこの項目は、
人が生きている間に考えなくてはいけない、
必要最小限の問いだと私は感じています。

もちろん、考えなくても生きてはいけるのですけれど
なにかものたりなくて、ちょっとつまらない
どこかが不自由で、何かが不足している、
そう自分では感じてないかもしれないけれど
なんとなく不自由な感じをどこかに持っているんじゃないか
と思ったりしています。

そんなことぐらい考えているという人も、
あらためてそれを他者に話してみると、
また違った感覚が出てきます。
(私がそうでした)

「本当のことを知っているということは、それ自体が自由なことなんだ。
本当のことを知らないから、人は人に対して自分の自由を主張することになるんだ」
と池田さんは、この本の中で書いています。

本当、とか、正しさ、とか、自由とか。
かなり強い言葉です。
この言葉たちに対しては、多くの人にとって掻き立てられるなにかがあるらしく、
この言葉について話すとき、安穏ではない雰囲気がうまれることが多々ありました。

その時々の感情、ついつい放ってしまうことば。
誰かに言っているようで、誰かのせいにしているようで
すべて、自分に対してのものです。例外なく。

その、自分をもやもやさせるこの不思議な感じは、一体なんなんだ
と自身に問うてゆくことが、哲学なんだろうなと
私は思っています。

この本の中で、各章は独立してあるようで、まったく独立しておらず、
円環していて、そして放射状にはなたれている。

そんな感じなので、この「14歳からの哲学」を読んで考える会は終わることがないように思っています。
まぁ、決して噛みつかないので(いや、あるかな)、
私が書いたことを読んで気持ちが引っかかったり
なにか気になる感じがあれば、一度お越しください。
お茶とおやつを用意してお待ちしております。

詳細はこちら。
いっしょに会を支えてくださっている斉藤さんのHPです。
http://msentalife.wixsite.com/entalife/blank-7

写真は会場としている家。
今月は、ちゃぶ台を囲みました。

IMG_0103.jpg

IMG_0310.jpg

0 Comments

Add your comment