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空模様

 久高島へ渡る

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沖縄の久高島を訪れてきた。

この島を訪れに至った話はここにおさめた。
久高オデッセイと地下水脈と私の課題

いつか行きたいと思っていたら、相方が学会発表で沖縄へ行くという。
それならば久高へいこうという話が、あっという間にまとまった。
あまりにもトントン拍子で、驚きつつも
扉開いたという気持ちもあった。



久高島で出会った人が「今はながれの変わるとき。
自分たちのいきている間にみることはなくても、あたらしいものがまたうまれくる。
今はそのはざまにいる。めばえはもうすでにある。それをただ見ているよ」と言っていた。
この話は、イザイホー(1978年を最後におこなわていない久高島の祭祀)の話からでてきたことだったけれど、
ここ数年でさらなる加速をともなって起こっていることとも同じ話だ。

今、また思い出すのは、内山節さんの
「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」。



この本で書かれていることについては、
2年ほど前、こちらに記した。




私自身のうまれながらにもった悲しみは、
自身の中にある地下水脈を掘り起こす術のなさを嘆く悲しみだったのかもしれない。
なぜ自分がかくも悲しみを感じるのか、よくわからなかったが
久高島を訪れて、やっとわかったような気がする。

おそらく、人のからだにふれること、人という存在について知ってゆくことは、
私自身にある地下水脈を掘り起こしたいという無意識のはたらきだった。
そして、まずは私の悲しみを肯定し、水脈を少しずつおもてに涌き上がらせてゆく過程だった。


予報では雨、よくて曇り。
私たちが訪れる前日までは雷を伴った土砂降りだったそうだ。
「島の美しいひかりを見せてください。お願いします」とこころの中でひそやかに祈った。
雨が美しいこともあろう。
私たちにとって適切であるならばと祈るだけだった。

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島の人が話してくださったことで私が受け取ったものについて、あらためて書きだしたいと思う。


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