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空模様

 もやもやはれる

誕生日を迎え、つづけて旧正月を迎えた。

毎年、節分、立春、新月のあいだに自身の誕生日がはさまれることもあり
この時期は心身ともにあらたまる。
本当の年明けはここで、さて、春を迎えようという心地になる。

学校が終わっての一週間、
いろいろ考え続けていた。



通うのが楽しいと思っていた学校だけれど
最後の数ヶ月はうんざりすることが多かった。

「お金払っているのに」ということばを何度も聞いた。
なにをどう役立てるかは自分だと思う。
「自分の納得するものが得られない」と感じるということは
もうすでに得たいものはわかっている、
決まっているということなんじゃないかしら。
それならば学校に来る必要はないんじゃないかとまで思う。

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自分がどう受けとめるかだけだと私は思う。
どんな場からだって、学ぶことがあった。
このもやもやした気持ちからも。


このもやもやは、学校にいかなければ得られないものだった。
授業以外の場でも、それはあった。
人と接したからこそ、今までにない私が立ち現れた。
思いがけない賜物であった。
私はこういうところでこんな反応をするんだなぁとあらためて知った。
人間は、人と人とのあいだであぶりだされるものだ。



授業にあったグループワークで
生育歴を話したが、あれらは私の話したかったことなのかどうか
についても考えている。

自分の話をしてきて今思うのは、
やっぱりこれは話したくないということがあったなということ。

話したいことよりも話したくないことのほうが、多かった。
話したい気持ちにならなかった。

もちろん、話したくないことは話さなくてもいいのだけれど
それを話したくないと感じるのは、どういうことか。
あらためて自身に問いたい。
そこは私にとっての鍵だと思う。
私にとって大事なのは、過去の出来事ではなくて
今そうである、自分のその動きだ。


それも、何度か話してみてわかったことだ。
課程を得ないとでてこないことだった。
何が話したいのか、あらためて問われるとわからない。
話したいことなんて何もないとも言える。
はなせる場でないと、はなせない。
「はなす」ということも、自分の意識をコントロールしてでできるものではない。

自己開示はがんばってするものではない。
おのずとひらく、その時はある。

無意識に押し込めていたことが、少しずつ浮き上がってきている。
これからまたはじまる。


一週間の間に、テレビでみた番組に大きな影響を受けている。
NHKの番組「100分de名著」、今月はアドラーの「人生の意味の心理学」をとりあげている。
http://www.nhk.or.jp/meicho/



テキストには
「心理学はもともと哲学から発したもの。
心理学は英語でpsychologyというが、
これはプシュケー(psyche)とロゴス(logos)というギリシャ語の組み合わせで、
「魂の理論」という意味。
ソクラテスはこの魂をできるだけすぐれたものにすることを『魂の世話』と言っている。
英語のサイコセラピー(psychoyherapy、心理療法)は
ギリシャ語の「魂(psyche)の世話(therapeis)に由来している」
とある。

他者から与えられる意味なんていらないと思ってきた。
意味とは、みずから得ていくものだと。
もともと意味なんてないのだ。
それをその人がどう受けとめるかだけなのだ。
そう思ってきた。

「決めるのは、あなたです。
何が与えられたかではない、それをどう使うかだ」

まさしく、これだ。

もやもやした時こそ、その機会。
考えつづけていく。
それが私にとっての魂の世話。


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