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空模様

 元気の源、気功

気功をやっているというと
「人を飛ばしたりするんですか」ときかれることがしばしばある。
なにやらあやしいものというイメージはなかなか消えない。

確かに、練功(気功を練習することを練功という)を続けていけば
あやしいもの、常識ではないものにふれる機会もあるが
基本的には、自分のからだを日々整えていくことに他ならない。

お風呂に入ったり、歯を磨いたり、
掃除したり、ご飯を作ったりということとおなじ。
そのうち、排泄する、寝るといった
生きている者として「そうせずにはいられない、あたりまえの欲求」になっていく。


日々のことが地味であるように
練功に刺激的なことはない。
動きも小さいし、ゆっくりだし
人によってはつまらないと感じるようなささやかさだ。

けれども、自分のからだの、目では見えないはたらきをおっていくにつれ、
それが実にパワフルでエネルギッシュなことだと感じるようになってくる。
細胞のひとつひとつに血液がゆきとどき、同時に酸素が運ばれて
ミトコンドリアがぎゅるぎゅるまわって、からだを動かすためのエネルギーを
うみだしている、見えるわけではないけれど
そう感じながら、気功をしている。
…地味に楽しい。
でも、実は地味なのは見た目だけで、
からだの中ではスパークしており
かつ、脳内では広大な宇宙が広がっているのだから。


そういや、昔、ある人が
ミトコンドリアの動きってこんな感じだと思っているんですよ
と教えてくれたものが、これだった。
なんて名前だろうとずっと探していたのだけれど、やっと見つけた。


http://kintoreblog.com/powerball-use/#i-2

このボールの動きが加速するように
気功を続けることで、細胞中のミトコンドリアのはたらきが加速して
元気の源がうまれでてくる、と私は考えている。
ゆっくりうごきながらも、あたたまってくるからだを感じると
なおのこと一層。


私にとっての源は「自分の脚で立つ」ためのちから。
ずっとずっと死ぬまで、自分の脚で立っていたい。

この「元気の源」をうみだすなにかは、人によって違う。
私にとっては、気功だったというだけ。
いろんなひとのやっていることが、私には
「あれも気功、これも気功」と感じるだけ。
気功が絶対だとは思わない。
それぞれの方向から、「元気の源」が得られたらいい。


続けるということが実はなによりむずかしいことなんだと思う。
ハードルをあげずに、まずは簡単なことからはじめる。
そして、なにより「気持ちいい」と感じることだけを続けたい。

DSCF7546.jpg

こーんなかんじで、たたずんでいたいのよね。
この肩のちからの抜け具合、理想的。

(ちょっと前に、「ためしてガッテン」で
スタミナ源のミトコンドリアを増やす方法が紹介されていたのだそうな。
http://kanarikinic.com/2289.html
あー、これはまさしく気功っぽい…。
でも、このリンク先にでてくる「背筋をピーンと保つ」は表現としてちょっとむずかしい。
背筋を正すといっても、小学校で教えられる「気をつけ」ではないし。
ただ、背骨は積み重なっているだけ。そのまわりの筋肉がそれを支えるイメージ。)



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