空模様

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Posted by チエ on  | 

終わりは、はじまり

今年最後の授業が終わった。

2年前の今頃は、一次試験を通過できて
ひとまずホッとしたところだったんじゃないだろうか。
どんなプロセスだったんだっけ
と思って、今学校のサイトを見てみたら
今年から一次は、大学会場に赴いての筆記試験となっていた。

おそらく、これからどんどんプログラムも更新されてゆくことと思う。
そう願いたい。
後発の人たちにもまなぶことができたらと思う。
はじめからうまくいく過程などないと思っている。
これまで新設校ばかりを選んできたからそう思う。
先生だけではなくて、生徒側との相互の関わり合いが必要なんだと思っている。

先生だってまなんでいる。
私も気功を伝えることがなによりの学びとなっている。
というか、まなびつづけてこそ「先生」じゃないか。
完成された人なんていない。
プロだといわれる人だって、止まっていない。
どちらが先生なんて、実はない
というのは、親子関係もおなじじゃないか。

この2年間、よく頭を使った。
ちょっとからだのことがおざなりになってしまった。
細胞レベルの動きを知覚している人のことばには、気が含まれている。
来年からはまたあたらしく始めたいと思う。
ふれることと、はなすこと、あわせて。
そう思うと、もう私の中ではもうすでに2年間の課程は修了である。
まなびは続く。


最後のグループワークでは、
自分でダメだなと感じていることを少し話せたと思う。
私は自分の頭の中で、自身との対話は重ねてきたけれど
それを外にとりだすのが苦手だ。
自分のことを人に話す時、ことばに詰まる。
それでも、ああして話せるようになったのは変化だ。

そして、先生から指摘していただいた
「あなたが寄り添えていないのは、誰かのプライドじゃないかな」
はまさにズバリで、そこは私がまるで気づいていなかった点だった。

これまでに、私の一言で激怒させてきた人のことを思う。
私がたたき壊した誰かのプライドは、私にとって共感し得ないものだった。
だから。
だから批判しかなかった。
しかも平然とした顔して。
怒らせたのは当然のことだった。

あれらは起こるべくして起こったことだけれど、私の覚悟がまるで足りなかった。
壊しておいて、今さら「怒らせてしまった」もない。
怒らせるのをわかっていて、それでもやる。
人に意見をするとは、覚悟をすることも含まれている。

最後の最後、「ここで伝えないと、機会がなくなってしまうから」
と先生が伝えてくれたことを、こころからありがたく思う。

おそらく、そこに気づいていないと
これからも無用な批判ばかりをしてしまうところだっただろう。
結局、揺さぶられているのは、私自身なのだから。


すっきりとはしない、少しばかり胸痛む年末だけれど
この痛みを、しみじみ味わいたい。
この痛みが私をいかしている。



先日行った、村上隆さんの「五百羅漢図展」
大迫力だった。
DSCF7571.jpg

DSCF7572.jpg


DSCF7582.jpg
久しぶりの東京タワー。



Category : いつものこと
Posted by チエ on  | 2 comments 

-2 Comments

tokiko says..."教えることと学ぶこと"
同感。私も気功を伝えていると同時に学べてる感じがあるわ。

昨日、七年間勤めてた学校を辞職することに決めたの。「先生」と呼ばれないただの人になって自分の中身とじっくり向き合ってみようかと。

いまは惚けてるけど(笑)春に向かってエネルギー充電したいなぁ。
2015.12.23 18:28 | URL | #- [edit]
チエ says..."Re: 教えることと学ぶこと"
ときこさん

おお、そうなんだ!
いろいろと変わりつづけているねー。

ときこさんのこれからを、私も楽しみにしてます。
2015.12.25 13:50 | URL | #- [edit]

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