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空模様

 「強くある」とは

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システマをはじめて、1年がすぎた。
とはいえ、武道やってますなんて、とてもじゃないが言えないへなちょこさだ。

クラスに行く前はちょっぴりくじけそうになりながらも
(いろいろ苦手なことがあぶりだされるから。肉体的にも精神的にも。
でもこうしてみると、私、痛いこと好きなんだね〜)
終わった後は、やはりいってよかったと思うことばかり。


ここのところの世論と政治の動きについて考えることも
システマによって、明確になってきたように思う。
前回も「鎧を脱ぎ捨てる」と題して書いたが
もう少し、補足が必要。

今起こっている問題は、
・現政権への是非
・軍事力をもつことの是非
のふたつにわけて考えたいと思う。

私は、この国の政治は国民をまもってくれるものではないと
311の震災後に痛感した。
法案の可決時の状況もひどかった。
こんな政治の場で「みなさんのため」と言われても
まるで信用ならない。
説明も何度聞いてもわからない。
本当のことは説明できないからだろう。
とにかく現政権に対しては、ずっと「NO」を私は表明している。


軍事力をもつことの是非については
私の考えはまたすこし変わってきている。
もちろん基本的には、私の気持ちとしては前にも書いた通り
戦いのための力はいらない。


しかし、「強さ」とはなんだ?
と問うていくと、闇雲に「軍隊」はいらない
ということも言えなくなる。
軍隊というと違和があるが
「国としての強さ」は、必要だなと思う。

昨日、クラスを受け終わった夜に
つらつらとツイッターに書き出してみた。




未知であるから恐れる。
そして恐怖だけで身を覆ってしまい、
それが本当に起きた時には何もできずにたたずむしかない。
実際、対処法を知らないとはそういうことだ。
北川さんはさらりと「一回、殴られてみたらいいんです」という。

私もずいぶん殴られることに慣れた。
まぁ、実戦だとあんなものではないだろうけれど
フツーに殴られる。
処し方がわかれば、案外平気だということがわかる。
「恐れだけが推進力」、ではなくなる。



北川さんの本から引用する。

「健康な戦士は不健康な戦士を凌駕する」
これは「システマ」の基本的な考え方です。
ここで使われている「戦士」という言葉を
「スポーツマン」や「ビジネスパーソン」「主婦」などに置き換えてみるとどうでしょう。
どんな立場の人にも共通することがわかります。
身体と精神が穏やかであること。
それは人生のあらゆる局面において、大きなアドバンテージとなるのです。
だからこそミカエルはこう語ります。
「もし健康になれたならば、
多くの問題がありふれたつまらないことに感じられるでしょう」
システマは、ロシア軍特殊部隊の将校、ミカエル・リャブコが創始した軍隊武術です。
(略)
まず初めに興味を持ったのは、武道愛好家やセキュリティ関係者達です。
エポックメイキングで効果的な護身術として注目されたのです。
ですがシステマの全貌が明らかになるにつれ、システマに対する認識が少しずつ変化してきました。
システマが「戦い」という局面を超え、人生全般の力となる巨大なシステムであることが
理解されるようになってきたのです。

システマとは、用いるものに何かを付け足すものではありません。
その代わりに、その人自身の力を引き出すようにします。
なぜなら、どれだけ恵まれた環境であっても、
用いる人の状態が良くなければ結果を出すことができないからです。
システマで養うもの。これを一言で言うならば「健康」です。

システマはサバイブ、つまり生き延びることを目的として作られたシステムです。
ですから、健康とはより確実なサバイブを実現する条件ということになります。

身体を通じて積み重なった地層の下に潜む、本来の動きを発掘するのです。
誰もが本来、自由闊達にのびのびと動く身体を備えています。
では何がそれを妨げてしまっているのか。
それを見極めて、取り除いていくのです。

システマのトレーニングで目指す、快適でなおかつ心身ともに自由闊達に動く状態。
これを一言で言うならば「ニュートラル」です。
この言葉には大きく二つの意味が含まれています。
一つは「バランスのとれた偏りのない状態」。
そしてもう一つは「本来あるべき自然な状態」です。
身体において、これら二つが別個に存在することはありません。
健やかな状態であれば、自ずと両立するものなのです。
つまりバランスと自然とは一つのものなのです。





国が強くあるとは、国が健やかさをもっていること。
国が健やかであるためには、国の民ひとりひとりが健やかでなくてはね。
今のこの国は、とてもじゃないけれど健康とは言えないよな。
ながくかかるだろうけれど、健やかさを取り戻すためには
ひとりひとりが考えることだよ。


私は、中東の動きの方を懸念している。
今年1月から2月にかけてあったことが忘れられないの。
http://mainichi.jp/select/news/20150911k0000e030219000c.html
http://news.livedoor.com/article/detail/10581963/
http://mainichi.jp/select/news/20150918k0000m040136000c.html


【追記】
こないだ、アメリカ帰りの友達と話して「どの国も軍隊もってるよ。海外から見てると日本が弱く見えてしようがない」と言っていて、衝撃をうけたのだけれど、その衝撃によって私も考えることができました。軍はいらない世になるのがなによりの理想ではあるけれど、「人」のいろんな面(決して清廉だけではない)を知っていくと、自分をまもるすべは必要だと思うの。かたくなにならない、リラックスする、も「まもる」ことになる一つだと知っていくことがシステマのおもしろさでもあるかな。

人と相対するのって、相当の覚悟が必要。人と向き合うのって、大変。「待つ」ことができることも、強さの一つ。この一年でみたものをつらつらと考えると私の中で「強くある」って、「人とはこういうものだ」とわかること、同時に「人はわからないものだ」とわかることも、そのひとつだと考えるようになりました。

そして、最後に。
私は「憲法9条」の精神を保ちつづける意志を持っています。
「争うこと」と「つよくあること」はべつものです。

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