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空模様

 鎧を脱ぎ捨てる

友人達と月に一度、「考える第一歩」的なグループワークを6月からはじめている。
昨日のことがあった今日は、やはり安保法案に関すること。
私も昨日はこの法案について別の友人と話したことで
もやもやしていたことがあったのでタイムリーだった。
昨日は、いまひとつ話しきれなかったことをあらためて考え直した。

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そして、今回にまつわるいろんな人の話の中で一番響いた、
SEALDs奥田くんの公聴会での話をみんなで輪読してみようと思い、コピーして持っていった。
http://www.bengo4.com/internet/n_3690/
目で文字をざっと追うのと、声に出して読みあげるのとではまるで違う。
あらためて自分の声で読んでみて、肌にぞわりと波が起きていくような感覚があった。




「どうかどうか、政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の個であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動してください。みなさんには一人ひとり考える力があります。権利があります」


ここに、しびれる。

個人であること。
孤独であること。
繊細であること。

先日の病院実習のなかでも、とつとつと考えていたことだった。

自分のこととして考える。

善悪は、相対的なこととしてとらえていくと自分に中心がなくなり、
なにがただしいのかよくわからなくなってくる。
時代とともに「これがただしい」「あれは間違っている」といったことは変わってくる。
そのうつりゆく善悪規定に照準を合わし続けていくと、
さまざまにおこってくる問題も「人それぞれだしね」といったことばになったり、
「むずかしいよね」で終わってしまう。
でもそこで終わってはいけない。
ならば「私」はどうなのだ?
人は○○というかもしれないが、では「あなた」はどうなのだ?

私という、あなたという、「個」の話を聴かせて欲しい。




私は、究極的には軍備強化は必要ないと考えている。
前後も顧みず闇雲につきすすんでいった先の大戦の果てに原子爆弾を落とされたこの国は、
永遠に戦力を放棄すると憲法九条のもと、戦下に倒れた人々にも誓ったはずである。
たしかに70年前はそうだった。
でももうあれから世界情勢も変わってきた。

不穏な動きを見せ続ける中国や北朝鮮など、近隣国から攻め入られたらどうするのかという声もよく聴く。


もう徹底的に非力でいるように見せ続ければいい。
この国にはなんの力もないのだとない袖を振ってみせればいい。
最初はバカにされるかもしれない。
けれども、私たちは「戦わないことを選択し続ける」という姿勢を見せ続けていれば、
あの国はそういう国だとみなされていくのではないか。
でも、それは弱さではない。むしろ強さに変わっていく。
「戦わないことを選ぶ」ことが私たちの誇りとなっていく。

夢物語といわれるかもしれない。
でも、学生時代にクラスにいた、
誰から何を言われても手を出さなかった男の子の強さを私は覚えている。


今はみんなが「戦争はいやだ」と言っている。
けれども、相対的な善悪に身を委ねていると
「しようがないわね。戦争するのは」という話になっていってしまう。
前の戦争だってそうだっただろう。

私や、あなたの中にある「個」はどう感じているのですか。

私は争うのは本当にイヤなので、「戦力はいらない」と言い続けたい。
諸国から「おまえんとこだけやぞ、軍隊ないの」といわれたとしても
「金だけ出すんやなくて、人もだせや」といわれたとしても
「私たちは、70年前に決めたのです」と言い続けたらいい。
「腰抜け」といわれようが、あざ笑われようが
「そんな力ないんで。あの戦争で亡くなった人たちに約束しました」
とちからをぬいて言えばいい。
そしてアルカイックスマイルで微笑みかけたらいい。
不気味な民の集まりだ、でいい。
不気味だけれど手を上げてくることはなさそうなので、
そっとしておこうと思ってもらえたらさいわい。


さらに言えば、今のこの国が国民を守ってくれると思えるのか。
先の大戦でも、兵士達の末路を知れば知るほど、無謀な計画ぶりが浮かび上がる。
ひどい有様だった。
今はあのときと同じ失敗はしないというだろう。
そうだろうか。
あんな茶番で法案を押し通したことを見れば、
本当にこの国の民を守る気があるとは私には到底思えない。

ひとつもりあがってくる筋肉をつければ、もっともっととなってゆくだろう。
軍力とは、ライザップのCMで見られるようなものだ。
あれはただの鎧だ。
強いフリをしたいだけの鎧だ。

未知だから、わからないから、ただ恐れる。
恐れや不安が疑念になる。
それがなんなのか、どういうことなのかを知ること。
そのうえで対処する術を得ていくこと。

悩むのではなく考え続けること。
「私」が感じていることに、耳をすませ続けること。


まずは自分で試していく。
私がここに書いたことで、批判を受けるかもしれない。
そこで私はどんな反応を示すのか。
嘲られても罵られても、私は非戦を選び続けられるか。

そうである私であることを、私は考え選び続けていく。

友人達とも、何度も話を続けていきたい。
今日も話をすることでずいぶん励まされた。
それぞれの「個」に、しなやかな強さを感じている。
繊細であるとは、傷つきやすいという意ではない。

小腸の腸絨毛のように、
肉眼でみえず、ささやかであるようにみえても
その表面積はひろく、一時に多くの食物が同時に消化、吸収が可能となる。

こまやかに、しなやかに、強く。
この時代を生きていきたい。






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