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空模様

 舟越保武彫刻展 まなざしの向こうに

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舟越保武彫刻展、なんとか展示最終日に間に合った。
舟越さん、練馬で暮らしていた時期があったなんて知らなかった。
展示は年代を追うように構成されており、
舟越さんの想いが重ねられていくのを感じた。
脳梗塞を患われた後はとくに、それまでの滑らかさを表現できなくなった分
むき出しの生々しさ、猛々しい叫びのようなものが、私のからだにも力強く響いた。

「ダミアン神父」と「原の城」像の前ではしばらく立ち尽くしてしまった。



長崎に行ったおりには26殉教者記念像を何度も見ていたし、
デッサン展も見に行ったりしたが、舟越さんの彫刻のごとく感触があまりになめらかすぎて、
これまではひっかかりを感じてこなかった

でも、今日は違った。
これまでの私は舟越さんの彫刻を表面でしか捉えていなかった。

実習の中で、やっと私のなかにある大切なものを表現し得たからだと思う。
それは、神とか仏とか愛とか心とか、
魂とか霊性とか、宇宙などと言い表せるようなものたち。

「あけわたす」ということばが浮かぶ。
私にできることはもはやなく、あとは身を委ねるだけ。
あなたのよきように、私をお導きくださいと
細胞のひとつひとつから、天を仰ぎ見るよう。

崇高ということばさえ陳腐。
ただただ、こちらの醜さを見透かされるようで
からだから魂を飛び出させて、
ダミアン神父に取りこまれ、ぐるぐると洗濯されたい。

私のからだは器であり、魂はその器を棲処としている。
私の霊性は、舟越さんの像が水のごとく湛える霊性と水和する。
私は舟越さん仲介のもと、ダミアン神父と出逢っている。

美術館内に響く音は無となり、静寂がひろがった。
美術館が静かになったわけもなく
あれは、私がなくなった瞬間だった。


【舟越保武 彫刻展 /練馬区立美術館 より】
価値観が多様化し、身勝手な主張が繰り返される現代、私たちは静かに思索し自分自身と対話することや、他者への思いを巡らせることが希薄になってはいないでしょうか。舟越もそうした時代にあって、生涯「静かなもの」を大切にしました。その思いは宗教的なテーマや女性像ともあいまって彫刻作品という形を結び、まさに聖堂内の彫像のように静かに佇んで、見る者の意識を深く内面へと導くかのようです。

舟越は「静かなもの」と向きあってきた。「静かなもの」を求めることは自らを省みる姿勢と似ている。予めの形や概念から作品を表現するのではない。自身でもはっきり名付けようのないものを意識し、それは何かと問うところから制作を始める。舟越は自身に見える世界を彫刻で表現しようとした人だ。石から掘り出された女性像のまなざしの向こうには、そうした世界が広がっているのかも知れない。

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