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空模様

 みみをすます

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石神井公園を、津田貴司さんのガイドのもと
耳をすませながら歩いた。

日曜日の朝、7時。
天気予報では、のちのち雨が降るかも知れないという。
水気を含んだ空気は、高い樹々に覆われ、森に籠っている。
少したたずんで、きこえてくる音に集中していくと
水にもぐっていくようだ。
「私」という意識が遠のいていく。

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これまでにきこえなかった音がする。
それは、耳でとらえているものなのか
それとも肌で感じとっているなにものなのか。

「意識」なのか「感覚」なのか、
明確にはできないですよね
というようなことを言った人がいた。
「私」という意識がとらえているのか
それとも、感覚でとらえているのか。
いったりきたりしている。

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朝7時と9時では、まったく空気が変わる。
水気を含んで重かった気配は
時間が経つごとに
うごきがでて
さらさらと抜けていく。

早朝の、あの、マンガだと「シーン」と背景に描かれそうな
あの無音の音は、耳だけで
つまり脳だけで、とらえているものではない気がする。

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昨日、書き出してみた
ブルース・リーの
「Don't think, feel.」と
システマの時に感じたこと。



ゆっくりうごいてみて
そのうごきがただしいか、まちがっているか考える。
このときのただしい、まちがいは
先生によって指摘されるものではなく
自分自身で、感じること。

システマは「サバイブ」、生き残ることがなによりの主眼。
そのためには大切なのは、ちからを抜くこと、呼吸をすること。
これが正しい、いいやり方ということではインストラクターからの評価はない。
その人その人にとって、ラクになる呼吸があるから。
それが『正しい』とインストラクターの価値基準で決めつけてしまうと、
いざという時にその人をはめ込んでしまい、
結果的にその人を苦しめることになる。
そのために自分で自分を「感じる」、「考える」。
もちろん、ファシリテーターはある程度のヒントはくれる。
けれども、正しいか間違っているかの判断は自分でする。
そのための、「考える」「感じる」。

P.9
考えるというのは、それがどういうことなのかを考えることであって、
それをどうすればいいのか悩むことじゃない。
それがどういうことなのか考えてわかっていなけりゃ、
それをどうすればいいのかわからなくて悩むのは当然じゃないか。


と池田晶子先生はいう。


「考える」と「感じる」ことの境目も
いったりきたりなのかもしれない。

「感覚」と「意識」も。
五感を研ぎ澄ませるには、「考える」ということも必要なのだと思う。


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石神井公園での「みみをすます」には去年も同じ頃参加した。
http://soramoyo.blog43.fc2.com/blog-entry-691.html
去年とはまた違ったことを感じたり、考えたりしていて、おもしろい。



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