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空模様

 采配

昨日は、若松英輔さんの「読むと書く」講座に行ってきた。
http://yomutokaku.jp/

若松さんのことは、能楽師の安田登さんを通して知ったのだけれど
琴線に触れる、うつくしいことばを紡ぐ人だ。

昨日の題材は遠藤周作さんの「切支丹の里」。
題材で「この講座ははずしたくない」と思ったから参加したのだが
若松さんの、遠藤さんへの視点を知ることができてよかった。
私も相当読み込んだつもりでいたけれど、つもりにすぎなかった。

キリスト教のことを、多くの日本人は知らない。
キリスト教が世界宗教と言われる由縁は、征服にあるため
そのような解釈しか持てない人もいる。
私も、遠藤さんの小説を読むまでは何も知らなかった。
キリスト教という宗教と、イエスキリストの求めていたものは
違うのだということを。
(それは、仏教とて同じことではあるが)

若松さんは
「遠藤さんは、宗教と文学へ、問いを投げかけて亡くなった」
とおっしゃった。
「文学は書き手だけのものにしてはならない。
読む者にも開かれている。
それは柳宗悦の言う、名も無き人々が作った日常品の『美』
と同じようなこと」と。

読み手は、その問いに応えていく。
文学は「私たちが読むことでまたよみがえる」と。
本当にそうだと心から思う。
小説「沈黙」を読んでからの、私へのその扉の開かれ方を顧みるに。

「長崎へは一度行かれるといいですよ。
試練を背負った町。
名もなき者が西洋というものに出会った、
西洋文明に出会っていった歴史を感じに」。

日本にキリスト教が伝来してからの歴史を追っていると
からだがざわめく。血が騒ぐ。
なにがそうさせるのかわからないが、駆り立てられる
としかいいようがない。
おそらく、その歴史は現代起こっていることにも繋がっている
ということをからだがしっているからだとも思う。

長崎は私にとって驚くべき縁のある地である。
なにものかの采配を感じずにはいられないほどだ。

大学で教えをいただいているシスター高木は
長崎最後のキリシタン弾圧、四番崩れのリーダー的存在だった
高木仙右衛門を祖先に持つ。(シスターの曾祖父にあたる)

今度の3月17日は、信徒発見150年にあたる日で大浦天主堂で
ミサが開かれる。それにあわせてツアーをするから
来ないかとお誘いいただいたが、実に世俗的な理由で
その旅には参加できず。
ツアーは私にはあわないというちょっとうがった
言い訳がましいことをはいてみたりするものの
ツアーでしか体験できないこともあるのだということも
わかっているのがどうにも口惜しい。

あまりにも長崎が私のなかに浮き上がってくる。
脈々とした流れを感じ続けている。
若松さんからは課題をいただいている。
200字で「心のふるさと」について書き記すというものだ。
この200字は、今ここで書き出してみたことを抽出、
編集して送ろうと今思った。

去年行った長崎私的巡礼の旅
http://soramoyo.blog43.fc2.com/blog-category-8.html


私の人生は川の流れのようで
流れに身を委ねるってことをよく思うけれど
おそらくこれをキリスト教の方々は
「御手にゆだねたてまつる」というんだと思うわ。

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