空模様

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Posted by チエ on  | 

聴く





聴くとは、動けなくなることだ。(濱口竜介)

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病床にある方の話をうかがいながら、もうどうにも胸がいっぱいになった。
話しを終え、病室をでてからもあたまから胸まで水風船のようだった。
しずかな曲を一曲聴かせてもらい、ひとしきり涙を流した。

かなしみは、悲しみであり、美しみであり、愛しみ。

私の中には「かなしみ」は消えずに残っているけれど、
それは宝石のようにうつくしいのだ。

きらきらとした輝きをはなっていて、そのきらめきが琴線にふれてくるのだ。

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Category : いつものこと
Posted by チエ on  | 0 comments 

平安の祈り

学校に入って、何より知ることができたのは
人と人との間にある「私」だったように思う。

「私」が自分で思っている「私」ではなくて、
人と接するからこそあぶりだされる「私」。

いくらでも、知らない自分がいる。
まだまだいるのだろうな。
この肉体からでてゆく時まで、そう思い続けられるといいな。


先日のグループワークで
「あなたはずっと安定しているようにみえてきたけれど
最後にやっと揺さぶられたね」と
スーパーバイザーからお言葉をいただく。
実習を通しての発表だったが
多分、最後の発表。
もうすぐ学校は終わる。



このところ、よく頭に浮かぶ。

The Serenity Prayer

God, grant me the serenity to accept the things I cannot change.
The courage to change the things I can,
And the wisdom to know the difference.

日本では、「平安の祈り」として紹介されている。
いろいろな版があるそうだ。


神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、
変えることの できないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。


私は特定の宗教は持っていないけれど
私がこの世に存在している不思議に対しては畏敬の念を抱いており
私が「畏怖の念を抱いているなにか」を言い替えると
宗教者の言う「神」に等しいと考えている。


時々、想いが伝わらないとか
かえってくることばが私の期待したものじゃなかったりして
ちょっと気落ちしたりもする。
そういうこともある。

ふぅーっとため息ついて
「変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを」
と声なくつぶやいてみる。


DSCF7339.jpg


Category : いつものこと
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10 years

京都の家を借りて、まるまる10年がすぎた。
たしか10月半ばからの契約だった。

あの頃のことははっきりと覚えているので
10年前のこととは思えないぐらいだけれど
2005年、ビリヤードの玉を突かれるようにして
私はあの家を借りたのだった。

本格的に住みはじめたのは11月だった。
その年の冬ははやくて、寒くて寒くて
畳の床にあるだけの布団を重ねても凍えた。
12月に入って、すぐに大雪が降った。
まだ鞍馬での仕事が続いていて、私は当時車で通っていたけれど
大雪で木が倒れて、叡山電車が不通になって
その日の客人は鞍馬に到着できないほどだった。

家にはまだ暖房器具もろくに揃っていないので
とにかく寒さでガチガチだった。
でも、それだけじゃない。


もうすでに、ここを書き出した時点で
泣きそうになる。
あの頃の戸惑いや不安も、全部
手にとるように覚えている。
泣いたよねぇ、あまりの寒さに。
こわくて仕方がなかったよね、ひとりでやっていくこと。



はじまりも地味だったし
10年迎えたからといって、なにひとつイベントはしないけれど
あの家とわたしがはなれずに、こうして10年を迎えさせてもらえたこと、
そうできたことは、まったくもって私のちからだけではなく
本当に、さまざまな人の、私曰く彼ら曰くの「ささやかさ」でもって。
「なにもしてないよ」と言ってくださる、そのあなたのおかげ。
ひそやかにここを読んでくださっている方、
「え、もしかして私?」と思ってくださっている、アナタですよ。


京都から東京に引っ越したのは2010年で
私は、たったの4年しか京都のあの家で暮らしていないわけで
借りてきた10年のうち、東京暮らしのほうが長くなっているのだ。
あらためて驚く。
京都で暮らしたのはたった4年間だけだったのねー、と。


ああ、もうどうにも一人じゃムリだ
と手放そうとしてから2年。
学校に行くことを考えはじめたのもその頃。
なにもかも、ひとりでやっているわけではない
私一人じゃムリだ
ということをまなんだ2年とも言える。

いろんなつながりがあってこそ、私がこの家に出会ったのも。
そして、いまは一緒に借りてくれている人たちがあの家のことをあいしている。
なんというか、私だけのものではもはやなくて、
みんなで大切にしあえている感覚を本当にありがたく思う。
まもられてるなぁとつくづく感じる。



いきているってそういうことなんじゃないのかなぁと思う。
誰かのものでもなく、私だけのものでもなく、みんなで共有しているこの地で、
ただわたしはあなたがいるとうれしいということを感じる人と
ここをともにしている。

死んだ人にも。
今、顔を合わせている人たちにも。
なかなか会えなくなった人たちにも。



*¨♫*•.¸¸•♫*¨*¨♫*•.¸¸•♫*¨*¨♫*•.¸¸•♫*¨

かかわってくださってありがとうございます。
あの家に来てくださったみなさんに
本当に、心からの感謝を述べたいと思います。

ひどいわかれ方とかした人たちも。
ごめんなさいというか、ありがとうです。
また機会があれば、私はいつでもあいたいと思っています。
この、今持っている肉体で。
ま、気が合うかどうかは別としてね。
また険悪になるかもしれませんが
それもまた生きているからこそ。

直接言えなくて申し訳ないのですが
ずっとずっとお顔を浮かべながら、ありがとうと言っております。



1.jpg

この写真は、当時仲良くしていた人に撮ってもらった写真。
写真を見た人からは「え、妊婦?」とか言われたりしたけれど
私は結構気に入ってます。
ポストカードのDMをつくるのにいろいろ撮影してもらいました。
あれから10年も。

この先の10年は?
どうだろう。
ふりかえってからしか言えないな。

2.jpg

Category : いつものこと
Posted by チエ on  | 4 comments 
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