空模様

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Posted by チエ on  | 

かなしみを語れ

DSCF6362.jpg

27日は明石へ。
友達の小さなコミュニティにまぜてもらった。
みんなでごはんを食べて、そして祈りをささげる時間を持って、
そして、ここのところ感じていることを互いにシェアしあう。
そのシェアの時間は、一人が話をして、他の人はただ「聴く」ことだけに徹する。
1年半続けてきて、参加している人たちの間では大きな大きな変化がそれぞれにあったそうだ。
ただ「話す」。ただ「聴く」。
それだけのシンプルなこと。
けれども無意識層には、それぞれの語ったことばが大きな響きとなって伝わっているのかもしれないね…

学校でずっと続けてきた「いま感じていることをことばにしてみる」ワークもそう。

こういう場が、切実に必要なんだと思う。
そして、私はそんな場を身近につくりたいと思う。


若松英輔さんのツイート、ここのところ再開されてうれしい。











このツイートには安田登さんのレスが。



IMG_6875.jpg

たこ焼きは絶対ソースやと思っていたけれど
何十年かぶりに食べた明石焼は、すんごいうまかった。
また食べたいですのぅ。

IMG_6873.jpg

いかなごのくぎ煮。もうだいぶおおきなって、旬はすぎたけれど、
春を迎える瀬戸内の風物詩。
須磨に住むおばちゃんが毎年送ってくれたんよなぁ…。

「○○キロこうて(買って)、ざらめは○○キロ、醤油は○本使うねん」というのが、
もうなんともかいらしい(可愛らしい)このあたりに住むおばちゃんらの自慢。

写真 2

いかなごって、漢字で書くと玉筋魚やって。
今日、初めて知った。
ちなみに語源はhttp://gogen-allguide.com/i/ikanago.html

そんで、関東の人には「いかなご」ではないんやね。
http://www.rcc.ricoh-japan.co.jp/rcc/breaktime/untiku/130305.html

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Category : いつものこと
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日本霊性論

日本霊性論 (NHK出版新書 442)日本霊性論 (NHK出版新書 442)
(2014/08/09)
内田 樹、釈 徹宗 他

商品詳細を見る


「日本霊性論」。
2012年、相愛大でひらかれた講義の記録。
この講義は3日間ひらかれ、私も運よく参加することができた。
今、この本を読み返して、忘れていたことがさまざまに思い出された。


この講義にはえらく感化されたのだなぁとあらためて思う。
先生方が話してくださったこと、
ことばそのものはすっかり忘れていたけれど、その響きは
私の無意識層に元来刻まれているものを呼び覚ましている。

もともと内田さんの本が好きだったのもあるけれど、
この講義で初めて内田さんの生の声を聞いて
わたしのからだは大騒ぎになったんだと思う。
ここで聞いた話は私の血肉となって、
今やっていることにつながっている。


はじめて読んだ内田本は『身体(からだ)の言い分』。
10年ぐらい前だと思うけれど
ここから武術に興味を持つようになった。
本には蛍光ペンで線が何本も引かれた(はず)。
この本は、誰かにあげたのだろうか。貸したのだろうか。
本棚を探してみたが、ない。

はじめの頃は、私のいいたかったことがあまりに的確に
内田さんによって表現されていて、ちょっと悔しかった。

心酔しきっているわけではないし
本も、買って読んだのは数冊だけれど
内田さんが表現してくださる感覚は、
私にとって精神的な支えとなっていた。
内田さんは「ぼくはシティボーイで、弱っちくてへなちょこ」
といつも白旗を揚げている。私はそこが好き。
腕っぷしの強い人が持つ力ばかりを
「つよさ」と呼ぶのではないということを教えてくださっている。


【からだ】と【霊性】。
私がずっと求め続けていたものは
これだと今あらためて思う。

呼びかけてくるなにものかがある。
その呼びかけてくるなにものかは
「私がここに存在する」ということをしっている。
呼びかけている人は、私に「あなたは存在しているし
存在していいのだし、あなたが存在することを望んでいる」
と言っている。

私も、ずっと呼びかけられ続けているのを知っている。
それは何者だろう。

ちょっとずつそれについて、記していきたいと思う。
多分、これまでここに書いてきたことの中にも含まれていると思う。
読み返して、自分自身にも呼びかけられたい。



*¨♫*•.¸¸•♫*¨*¨♫*•.¸¸•♫*¨*¨♫*•.¸¸•♫*¨

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石神井川沿いの梅の花。
かわいい。
あはあはうふうふと
色香はなちまくり。
にほひますな。

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Category : spirituality
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3月の京都スケジュール

3月末、京都に戻ります。
タイミングのあう方、お会いできますように。


3月25日 予約可
3月26日 予約可
3月27日 終日予約済
3月28日 終日予約済
3月29日 午前予約済 午後3時以降予約可
3月30日 終日予約可
3月31日 午後5時最終で予約可

3月7日現在の情報です。
以降は
http://slowbody.p1.weblife.me/pg46.html
で、ご確認くださいませ。

29日、もし予約が入らなかったら
ひさびさに脱力乃回@京都やろうかな。
マッサージも脱力乃回も、行きたいという声が
先にあった方をいたします。


3月末には桜もほころんでいるでしょうか。

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これは去年の桜。


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采配

昨日は、若松英輔さんの「読むと書く」講座に行ってきた。
http://yomutokaku.jp/

若松さんのことは、能楽師の安田登さんを通して知ったのだけれど
琴線に触れる、うつくしいことばを紡ぐ人だ。

昨日の題材は遠藤周作さんの「切支丹の里」。
題材で「この講座ははずしたくない」と思ったから参加したのだが
若松さんの、遠藤さんへの視点を知ることができてよかった。
私も相当読み込んだつもりでいたけれど、つもりにすぎなかった。

キリスト教のことを、多くの日本人は知らない。
キリスト教が世界宗教と言われる由縁は、征服にあるため
そのような解釈しか持てない人もいる。
私も、遠藤さんの小説を読むまでは何も知らなかった。
キリスト教という宗教と、イエスキリストの求めていたものは
違うのだということを。
(それは、仏教とて同じことではあるが)

若松さんは
「遠藤さんは、宗教と文学へ、問いを投げかけて亡くなった」
とおっしゃった。
「文学は書き手だけのものにしてはならない。
読む者にも開かれている。
それは柳宗悦の言う、名も無き人々が作った日常品の『美』
と同じようなこと」と。

読み手は、その問いに応えていく。
文学は「私たちが読むことでまたよみがえる」と。
本当にそうだと心から思う。
小説「沈黙」を読んでからの、私へのその扉の開かれ方を顧みるに。

「長崎へは一度行かれるといいですよ。
試練を背負った町。
名もなき者が西洋というものに出会った、
西洋文明に出会っていった歴史を感じに」。

日本にキリスト教が伝来してからの歴史を追っていると
からだがざわめく。血が騒ぐ。
なにがそうさせるのかわからないが、駆り立てられる
としかいいようがない。
おそらく、その歴史は現代起こっていることにも繋がっている
ということをからだがしっているからだとも思う。

長崎は私にとって驚くべき縁のある地である。
なにものかの采配を感じずにはいられないほどだ。

大学で教えをいただいているシスター高木は
長崎最後のキリシタン弾圧、四番崩れのリーダー的存在だった
高木仙右衛門を祖先に持つ。(シスターの曾祖父にあたる)

今度の3月17日は、信徒発見150年にあたる日で大浦天主堂で
ミサが開かれる。それにあわせてツアーをするから
来ないかとお誘いいただいたが、実に世俗的な理由で
その旅には参加できず。
ツアーは私にはあわないというちょっとうがった
言い訳がましいことをはいてみたりするものの
ツアーでしか体験できないこともあるのだということも
わかっているのがどうにも口惜しい。

あまりにも長崎が私のなかに浮き上がってくる。
脈々とした流れを感じ続けている。
若松さんからは課題をいただいている。
200字で「心のふるさと」について書き記すというものだ。
この200字は、今ここで書き出してみたことを抽出、
編集して送ろうと今思った。

去年行った長崎私的巡礼の旅
http://soramoyo.blog43.fc2.com/blog-category-8.html


私の人生は川の流れのようで
流れに身を委ねるってことをよく思うけれど
おそらくこれをキリスト教の方々は
「御手にゆだねたてまつる」というんだと思うわ。

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Category : spirituality
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グリーフケア / 死を見据えてまなぶこと

2月19日、ばあちゃんが息を引き取った。

ちょうど旧正月の新年、新月を迎えたちょうどその頃。
木曜日は家族全員がお休みの日で
朝から病院に向かい、まだぬくもりの残るそのからだに
みんなふれることができた。

入院は心不全のためではあったけれど
担当のお医者さんから死因は「老衰」だと告げられた。
1月末に96歳を迎え、大往生だった。

病院から自宅へ搬送されるとき
担当のお医者さんや看護師さんたちが深々と頭を下げて見送ってくださった。

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その日もいいお天気だったが
翌日、翌々日の通夜、告別式の間も
ずっといいお天気だった。
なにもかもがすばらしくて
それらはすべてばあちゃんの人生を象徴してるように感じた。

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通っている上智大学グリーフケア講座での単位の一つとして
一週間の病院実習があり(もう一度、今夏にもあるそうだ)
私はA病院に21日から行くことが決まっていた。
本当は正直な気持ちを言うと、お骨をとりあげるところまでは
私は見届けたくて、葬儀が終わってから実習先へかけつけようかなどいろいろ考えてはみたが、
この実習はグループとの関わりがその成果に大きく反映されるものだし、
実習へも最初から最後まで関わりたいという想いが増し
これからのことを選ぶことにした。
そして家族もみんな、なにを咎めることもなく
むしろとてもこころよく送り出してくれた。

偶然にも、葬儀会場から実習先のA病院は歩いていける距離にあり
朝一番にもう一度会場に立ちより最後のお別れをして
実習先へと向かった。




われながらすごい一週間のはじまりだった。
一週間というか、新しい年というか、これからまたはじまるというか。

私はばあちゃんと、それほど密度の濃い付き合いをしたわけではないが
それでもこの一年、それまでよりもずっとそばに寄せてもらって
実の祖母以上に気持ちのやりとりをした。
それはことばではなく、ただそこにいるだけのものだった。
そして私はばあちゃんからたくさんのなにものかをもらった。


この一年間、学校の演習で
自分が感じていることをことばにしてみるということを試みてきた。
特に後期からは、これまで生きてきた歴史をふりかえながら
それが今抱えている課題にどうつながっているかを感じていき、
そしてそれらをシェアしあうことによって、グループメンバーの語ったことが
どう自分に響いているかも伝えあってきた。

後期の演習は、多くの人が戸惑った。
私も自分の話を人にするというのが苦手だ
ということにあらためて気づいた。
けれども、その時点では
それぞれが抱える課題にようやく気づきはじめたところにすぎなかった。

病院実習の初日も、まずは生育歴の発表からだった。
人前で泣くのって、なかなか素直にできることではないし
なんとなく泣きながらも押さえようとしてしまうけれど
この決壊はそうそうおさまらなかった。
悲しいのか、なんなのかよくわからない涙が
えんえん流れ続けた。

この一ヶ月ほど、イスラームをめぐる事件があって
ばあちゃんのことがあって
そして病院実習が始まる緊張感もすごかったし
なんとなく張りつめていた気持ちが
ぷつんと途切れたというのが一番適切だったかもしれない。

一週間の間に泣いたのは
私自身はあともう一度。

自分の死を受けとめた癌患者さんの話を聞いてだったが
それもまた悲しいつらい涙ではなく
あまりにもその方の話が荘厳すぎて、うつくしすぎて
もう胸がいっぱいになってしまったからだった。

2時間ものあいだ、聴き続けたことばで頭の中はいっぱいだった。
いただいたことば一つ一つ、忘れたくない、漏らしたくない
と思っていたが、記録として書き出すのも難しいほど詰まりすぎていた。
毎日、その日の実習終わりにはまとめの時間があった。
その時間に先生がかけてくださった音楽を聴いていると
涙が次から次へとあふれた。
ひとしきり泣いたあとは、頭のなかもゆるみ
家に帰ってからは一気に記録として文字起こしができた。
(話を聞いている間は、メモは取れない)


死を迎えゆく人の話は、
受けとめきれずにあると重いと感じるかもしれないが
私は、これまでに出会ってきた「死」の話を
自分の中で噛み砕いてきて
「重い」というようには感じなくなっていた。
決して軽いものではないが、重すぎるということもない。
私も同じように「死」についての疑問を持っていることを
自分で知っているから、受けとめられる。


人は死についていろいろ考える。
死とはなんだろう、なぜ生きるのだろうと思い悩む。

「いつ死んじゃうのかな」
「死んだらどうなるんだろう」
「はやく死にたい」
「死にたくない」

そんなことばに目をそらさずにいられるだろうか。
その人の苦しさ、悲しさ、辛さに向き合えるのだろうか。

「話をする方も、話を聞く方も
互いにその場にいる自分自身が問われ続ける。
ただ、どちらも問われる存在である」

先生は、そのような「場」をこそ
スピリチュアルケアという
とおっしゃった。


ただ「話を聞くこと」に関してだけだと
テクニックはいろいろあるのだろうが
ここでは、自分自身がどう感じているのか
がいつも問われ続ける。
そのときに湧きのぼる感情は、得てして
これまでに自分が経験してきたことによるものが大きい。
そこも探りながら、徹底的に自分自身と向きあい続ける。
そして実習の間、そんなメンバー同士
揺れ動く気持ちを吐露しあい、その存在を認めあい続けた。




「いつ死んじゃうのかな」
「死んだらどうなるんだろう」
「はやく死にたい」
「死にたくない」

これらのことばに対して
正解が出ることはない。
ただ、目をそらさずに、ごまかさずに、肚をくくって
私も相手の目を見続ける。
いっしょに考えさせてください、答えはでないかもしれないけれど
ただあなたとそれについて一緒に考え続けさせてください。

メンバー一人一人の内側でめぐるもの
グループでかたちづくる輪
先生たちとの輪
患者さんたちとつながる横糸
看護師さんとの縦糸
病院といううつわ

実習の最後には
いくつもの輪が、それぞれまわってまわって
不思議な幾何学模様を描いていた。
それは、本当に本当にきらきらとうつくしく光を放ちながら
まわっていて、心からありがたくうれしかった。



あいだには、めぐみの命日もあった。
完璧、いい仕事をしてくれているなぁと思っていた。
こんな学びの中に身を置けることのしあわせを
私は何度も何度も噛みしめていた。




IMG_6772.jpg

病院のホールにあった観音像。
この方にも見守っていただいていたと思う。


Category : spirituality
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