空模様

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耳をすます

津田さんの「耳をすます」WS@南田中。

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数年前、西荻のCD屋「雨と休日」で
津田さんのCDを試聴した。
http://shop.ameto.biz/?pid=26718667

気功の教室で流すのにぴったりで、それ以来
ずっと津田さんの音を使わせてもらっている。

これもホントにいい。
http://shop.ameto.biz/?pid=13674510


南田中へは、うちから自転車で5分ぐらいで
震災後に知人から「南田中図書館、いいよ」と聞いて
訪れるようになったが、まずは、
その手前にある石神井川の河岸段丘にのこる
雑木林の雰囲気に胸がときめいた。
お気に入りの場所。

津田さんに南田中で会えるようになるとは。

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耳をすませていくと
どんなしずかな地でも
なにやら音がする。
それを津田さんは「画用紙のような背景」とおっしゃった。
ヨガと耳をすませることは同じような感覚、と。



私は気功をする時に、
自分の内側にどっぷり潜り込んでいく。
うちがわにあるはたらきに「耳をすませていく」。
あくまでもイメージだけれど
骨がつみかさなっているからだと
血が巡るかすかな気配
それに伴う気の流れをかんじることが主体で
あんまり外部に対して耳を開けていないことに今回気づいた。


耳でとらえることのできる音ではなく
音としてとらえていない、耳では聞こえない音を
肌感覚と分別できないところで、その地を感じとっている。

ダイアログ・イン・ザ・ダークのように
視覚をオフにして
この地にたたずんでみたいな。

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Category : いつものこと
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あそび

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「あそぶ」ということばは、神のお出ましを意味しており
その神のお出ましとは、どういうことかというと
無我夢中の状態。
我を忘れる瞬間。


「あそび」を英語に訳すのに
「Play」ではなく「Trance」
と書いていた友人がいたが
私もそう思う。

こどもの頃、一心不乱で何もかも忘れてあそんだ時間。
あれは、神と一体の時間でもあったのよね。
というか、あの感覚をこそ、神の出現といったと思うのよね。


空を見上げる瞬間、
我を忘れる。
呆気にとられる。
そんな時の空っぽな状態から
我に返った瞬間、
ああ、ひとつだったなと
思い出す。



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老いと死 その三

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「老いと死」と題して書きはじめたけれど
前回の記事は、すこしテーマからは外れた内容になった。
多分、毎回少しずつずれるけれど
つらつらと考えついたことを、今は書き出していきたい。


今の介護に携わる仕事をするようになって
仕事はなにをやっているんですか?と問われた時に
マッサージだと答えるのはやめることにした。


マッサージをはじめることにしたのは
神戸での震災がきっかけで
少しでも誰かの力になれるのならばという気持ちからだった。

その延長線上で、独立して仕事をするようにまでなったけれど
私のなかでは、ずっと釈然としない想いがあった。
私がマッサージの仕事を始めた頃からしばらくして
マッサージやエステ業界はどんどんと台頭をあらわしはじめ、
いろんなパターンのマッサージがあらわれた。
独立してサロンを開業する人もずいぶん増えた。

私は私のしたことで誰かが喜んでくれて
そしてそれがその人の力の足しになるのならば
マッサージじゃなくてもいいと思っていた。
なんでもよかった。
たまたまマッサージができることだっただけで。
だからよく「辞めてもいいんだよね」
と言ったりした。

ただ、辞めて何をする?
というのが具体的に見えないうちは
できることをしようというだけだった。


同業の人たちの、きらびやかな感じが苦手だった。
セラピスト然とした雰囲気も嫌いだった。
ばっちりお化粧を決めた写真をプロフィールに載せた人とは
友達になれないと思っていた。
そんな人たちが「お客様のために」とかブログに書いていても
「お客さんに『先生、すてき』と言われる自分が一番好きなんだろー」
などと思っていた。
(毒舌、スミマセン。もちろん、そうじゃない人もたくさんいる)

そんなふうに思うなんて
なんだかんだ言って実はうらやましいんじゃないの?
と自問自答した。
東京に引っ越してきて、しばらくした頃だったと思う。

大阪のマッサージ店で勤めはじめて、独立して京都で仕事するまでは
流れに乗っかっていたにすぎなかった。
私がなんとしてでもがんばって興したことではなく。

なので、京都から東京に引っ越してきて
またあらたにがんばっていかなくちゃ、お客さんなんて
そう簡単にきてはくれないとわかった時
やっぱり、本当にマッサージがやりたいのかわからなくなった。
営業活動をする気にもなれなかった。

それでも、まだ震災がおこるまでは
マッサージの仕事をやっていこうという気持ちはあった。
それが、3年半前の大きな震災で
なにもかもを失った気持ちになった。
被害を受けたわけではなかったし
表向きはなんにも失っていなかったけれど。
立つ、歩く、動くための
基本的なチカラがなにかしら損なわれたような感覚だった。
(原発爆発したのを見た時は、日本終わったと実際思ったし)


震災の数ヶ月後、福島県のいわきへ出向くようになった。
あたりまえだけれど
自分の力は本当にちっぽけで
私にできることなんてなんにもない
と思わされた。
なにかできると思っていたのか
なんておこがましいことを、と叩きのめされた気持ちだった。

「神も仏もない」と言った人がいたけれど
それでも、ここで人々の支えになるのは
自分を奮い立たせるなにものか
人を超えた存在じゃないかと感じた。

神戸の震災後に感じたことも
同じことだったんだと思う。

悲しみにある人の支えに、少しでもなれたら。

それは、私にできることではなかったけれど
それでも、人を超えるなにものかに出会える瞬間が人々にあって
「やっぱり生きていてよかった」
と思うことがふたたびできるようになるためには
私に今なせることは何だろうと考える。

そう考えはじめたところから
グリーフケア研究所の存在を知ったわけだけれど
「私たちにできることはなんにもないのです、実は」
と授業の中でも言われている。


マッサージの仕事は表向きはやめたことになっているけれど
ぼちぼちとやっている。
マッサージするのはやっぱり好き。

手のひらのあたたかさとやわらかさ
流れる水の音
なつかしいようなにおい
ホッとする瞬間があって
「実はね…」と澱のようにためてきた感情を少しでも
解き放つことができたならば。
その瞬間、私も生きていてよかったと思う。



最近、この人の書いていることを読んでいる。
http://ima.goo.ne.jp/column/article/1540.html

こんなふうによめるんだね。
グリーフをケアするって、こんな感じだと思う。

「ぼくのほうこそありがとう」

そうなの。
いつもいつも、思うのは
私のほうこそありがとう、なの。





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老いと死 その二

私が「死」のことを考えだしたのは
小学校へあがるかあがらないかくらいだったと思う。

その頃は、親がいつかは死ぬ
ということが恐かった。
死んだらどうなるんだろうとも思ったりしていた。

この春に出した「脱力乃回」という本の中でも書いたが
こどもの頃から本を読むのが好きだった影響か
「ガリバー旅行記にでてくるような大きな私が、
私自身の物語を読んでいる」
という絵柄がよく浮かんだ。
今思うと、それはあたらずとも遠からずで
「真っ白なノートの中で自分自身の物語を紡いでる」
というのが、肉体を持ってこの世で生きるということなんじゃないかと感じている。



この春から通っているグリーフケア研究所の講座の中で
自分の生育歴を書き出すことが宿題となっていたのだけれど
編集学校の講座を受けていた時に「クロニクル編集」というお題の中で
うまれてきてからの歴史を書き出す過程があり
そこで一度、直視させていただく機会を持つことができていたので
今回の宿題は楽勝だと感じていたけれど、案外難しかった。


私の人生、30代はなかなかすごかったなと思ってきたけれど、
今書き出してみるとすごいと感じなくなってる。
もうすっかり過去なんだな。
これまで十分に見つめてきた。
散々みてきたし、もう過去は見直さなくてもいい気がしてる。
だから、生育歴を書き出す作業がつまらなかった。

ちょっと前までは自分の過去をおもしろく感じていたから
今そんなふうに感じている自分に少し驚いたし
よかったねとも思った。
過去はもうどうでもいいんだな。



思い返してみると
生きているのがつらくて
これから先、何十年も生きていかなくちゃいけないのか
もうめんどくさい、早く死にたい
と思ったこと数知れず。
ため息三昧だったな。

なんで生きてるんだろう
生きてることに何の意味があるんだろう
生きているだけですごいって、意味が分からない
私が生きていることなんてすごいと全然思えない
と思い続けてきたこれまでが
今の私へと到っている。

ずっと問い続けてきたから
大げさではなく、今は
私をいかしてくれているからだのつながりを感じられるし
ささいなことでシアワセを感じたり
生きていてよかったと思えることがたくさんある。



生きている中で感じる
「なんで生きてるの?」
「なんで私だけがこんな目に遭うの」
「死んだらどうなるの?」
というような精神的な痛みを
スピリチュアルペインと称する。

人がいきている上で持つことになる根源的な苦しみ。
仏教では四苦八苦。
生・老・病・死
が四苦。さらに、
愛別離苦あいべつりく(親愛な者との別れの苦しみ)、
怨憎会苦おんぞうえく(恨み憎む者に会う苦しみ)、
求不得苦ぐふとくく(求めているものが得られない苦しみ)、
五蘊盛苦ごうんじょうく(心身を形成する五つの要素から生じる苦しみ)
を加えたもの。


どんな時代も、いたる地で人々は苦しんでいたから
その人々を癒そうと動いた聖者がいて
その聖者の遺したことばを弟子たちが編纂して
宗教が生まれた。

なので、宗教とは本来
生きている人々の慰めとなるもののはずである。
実際、東日本大震災以降、宗教家に求められる資質は
それまでのものとは変わってきている。
私もそれを感じたから
なんらか、哲学、文学、宗教的素地を得たいと思うようになった。

日本という地には「宗教」と世界的にカテゴライズされる信仰はない
と言われているけれど、そうじゃないことを、
民俗学という観点からアプローチしている人たちの存在も知った。


私がマッサージの仕事をはじめるようになって
独立する際には、屋号を「空」としたのは
般若心経からだったけれど、仏教に傾倒しつつも
仏教徒にはなれないと感じていた。

ここのところキリスト教にもふれる機会が多いし
聖書に遺されたイエスのことばに感化されることもあるけれど
それでもキリスト教徒になろうとは思えない。



スピリチュアルペインをケアすること
=スピリチュアルケアは
人々の根源的な苦しみや悲しみを
彼ら自身がみずからのことばで語ることによって
解きほぐしていこうという試みだけれど
本来は、宗教枠で担われるものだと思う。

そして、そのケアはキリスト教の教えに基づいて
実践されてきたものでもあり
今受けている講義でも、キリスト教由来のものはたくさんでてくる。
否定はしないが、しかしながら組織に属することは私のなかで違和である。
(とはいえ、キリスト教はとても誤解されている。
どの宗教にも言えることだけれど、元来、聖者の伝えたかったことと
宗教と相成ったものは、全くベツモノなのだよね
そういう話はしたいなぁと思っている。)


今後、私は宗教家になるつもりはないし
この地で育まれてきたものをまとめていきたいと思っている。
この地に根ざすものがある。
ここのところ、読んだ本によって
それが露に感じられるようになってきたこともあり
次に書き出していきたいのは、この地に根ざしてきた「なにか」についてかなぁ…。
その「なにか」はもううっすらと顔をのぞかせてくれている。



死について考えることは
決してネガティブなことではない。
「生きていること、生きていくこと」によりフォーカスするための
ポジティブな作業である。


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日本でキリスト教のイメージが今ひとつよくないのは
この黒字に白で抜かれた看板の影響だとも思う…
聖書配布協力会っていうらしいんだけどね。

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老いと死 その一

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相方のばあちゃんが、今年の一月から入院。
デイサービスで95歳の誕生日を祝ってもらい
それがうれしすぎて、心臓に影響が出たらしい。
病名をつければ、心筋梗塞で
心臓の大部分が機能していないと言われたそうだ。

時々、
本当に時々、見舞いにいって
オイルを使って手と足のマッサージをさせてもらった。
「生き返るわぁ」と冗談を言えるほどに
しっかりと話していたが
その後、病院から老人保健施設にうつり
一昨日久しぶりに会いに行ったが
私のことはもうわからなくなっていた。

1月までは、一人暮らしのなか
しっかり自分の足で立って歩いていたが
もうすっかり寝たきりの老人になっていた。

先週末にふたたび心筋梗塞の発作を起こし
この次なれば病院へ搬送するが
その際、生きながらえるための措置をどうするかという話を
お医者さまや、ばあちゃんの身の回りをお世話してくださるチームの方々
と相談することとなった。

日頃から、そこらじゅうを管でつながれてまでは生きなくていいと
ばあちゃんや家族で話していた通りに
「検査も、延命措置も結構です」と
明確にはことばにできずとも
話し合いの中で、暗にそのようにお互い了解しあった。

話し合ってきたこととは言え
当人でないものがその判断をせざるを得ない
ということが、末席にいるものとしても重い。
今回の場合も揉めることはなく、
親戚みんなが同意の上であっても。


私が介護の方向をみようと思うようになったのは
ばあちゃんのことが大きいかも知れない。
人が老いていく過程を
私はこうしてはじめて身近に見させてもらったような気がする。
自分自身の祖父母は、離れて暮らしていたし
私ももっと若かったから、「老いること」について
感じ入ることはほとんどなかった。


介護職員初任者研修の一日目を先日受けて
その会場である介護老人福祉施設、
いわゆる老人ホームの内部を見学させていただいた。
翌日はばあちゃんのいる介護老人保健施設。
(研修でその施設の違いについて聞いたばかりだったから
実にタイムリーだった)
この夏から、たくさんのお年寄りの顔を見ている。

これから団塊の世代が「高齢者」といわれる世代へ移っていく。
50年前までは70歳、男性は65歳だった寿命が
今年、とうとう男女とも80をこえた。
単純に聞けば、長生きできるということは
しあわせでゆたかに聞こえるかも知れない。


日本はもはやこどもの数が少なく
2060年には、2.5人に1人が65歳以上
4人に1人は75歳以上となる。

50年前には16人で1人を支えてきたが
来年には3人で1人を支える計算になる。
2060年にはほぼ1人で1人を支えることになる予測が立っている。

動ける力のない人々がそんな割合にある国の将来は
はたしていかように。


この国で
長生きできることはしあわせなんだろうか
そんなことをつらつら考える。
ここ最近、見かけた方々の顔を思い出しては。


ばあちゃんの姿を見ていて
デイサービスで働くようになって
ここ数日、施設ですごすたくさんの方々の顔を見て
気持ちがずいぶん揺れているのだけれど
今はまだ、うまくその気持ちをことばにできない。
ようやくここまで書き出せた。


「老いること」と「死ぬこと」を
あらためて考えながら、感じていることを少しずつ書き出していきたい。


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東京と京都をいったりきたりと言えば、聞こえはヨシ。


京都から東京へ帰着。

予定が変更になり、短い滞在だったけれど
充実した時間だった。




デイサービスでの仕事をはじめて
最低限、基礎知識は必要だということをヒシヒシと実感。
(いや、無資格でもやろうと思ったらできる。
でも、知識が増えるとよりスムーズに行く。)
気持ちがそれないうちに介護職員初任者研修を受けようと考えていたのだけれど
かなりタイムリーに、近所の特別養護老人ホームでの開講がわかり
その開講日が9月1日ということで
京都滞在をやむなく短くすることにした。
(今日、開講初日。
こちらもいろいろ感じること多々あり。
それはまたあらためて。)


私がそうしたいと思うままに動いても
その結果、だれかの希望に添うことができなくても
「あなたのそうしたいようにしたらいい」
と承諾してくださった上に、ここにきてくださる人のあることを
こころからありがたく思う。


いつもにくらべると
短い時間だったけれど
東京に帰ってきた今
すごした時間のことを思うと
泣けてくる。
…酔っぱらってるのもあって。


そんな京都での「ええなー よかったなー」
という想いがあるから
東京の日々も楽しく感じるんよね。

東京と京都と。
どっちも、中心地じゃなくて
はずれてるけど。

このいったりきたりが
どちらの存在も高めてくれているんよなぁ。
どっちもあるから、大げさではなく
生きていられる、そんな感じ。






最終日、友人と、歩いて30秒の焼肉屋へ。
京都の南側にはこんなディープさもあんのよ。
この店、ええよ。
http://tabelog.com/kyoto/A2601/A260604/26002272/

いい肉ってわけちゃうけど
もりもり食べられるし
女将の陽気が好き。

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