空模様

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Posted by チエ on  | 

大学の図書館へは学生証を機械に通して入館する。
地下は2階、上は8階の一棟まるまる図書館。
一世紀以上の時を経た聖書も並んでいた。
本たちに見られている感覚。
本は、開かなくても、そこにあるだけで何かを訴えかけてくるものなのだな。
あの瞬間のことを思い出すだけで胸がいっぱいになる。


はじめてはいった時は
上から下まで、一通り見て歩くだけで精一杯な気がしたが
たまたま遠藤周作さんの「侍」が目に入り
これを最初に借りる本とした。

侍
(2013/03/01)
遠藤周作

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遠藤さんも上智にかよっていた時期があった。
構内にあるクルトゥルハイム聖堂は、小説「深い河」にも登場する。

「深い河」は20代のはじめに読んで、深く感銘を受けた。

この中にもでてくるガンジーのことばは
それ以降も私の宗教観、信仰観、思想として
とどまりつづけている。

「私はヒンズー教徒として本能的に全ての宗教が多かれ少なかれ真実であると思う。
全ての宗教は同じ神から発している。 
しかし、どの宗教も不完全である。
なぜならそれらは不完全な人間によって我々に伝えられてきたからだ。
さまざまな宗教があるが、それらはみな同一の地点に集まり通じるさまざまな道である。
同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異なった道をたどろうとかまわないではないか。
又、どのような思想や行動をとっても、必ず反対をする人々がいる。
忘れてはいけない、彼らも正義なのである」


遠藤さんの小説を読むようになって
「信仰」のもつ強さについて考える。

宗教は、人と人との絆を強め
迷いから救い出すものとなる反面、
人を貶め、欺くもとになり
争いのもとにもなる。
近年は、負の要素が強調されるので
宗教は胡散臭いととらえられがちである。

長崎でのキリシタン迫害を追っていると
最後まで信仰を捨てなかったものたちの
その精神的な強さはいったいどこからくるものだろうと、私は考える。
それを「信仰」と、一口で言うのだろうけれど
「信仰」ということばに言いくるめられているなにかを
もう少し細かく知りたいと思っていた。

そのこたえのようなものが、この「侍」という小説の中にあったように思う。

「侍」は歴史にも残る人物が主人公となっているが
史実とは異なる物語である。
小説のあらすじや背景はここでは書かない。
ひっかかった箇所を抜粋する。


ある元修道士は司祭の説くキリスト教はまるで信じないが
それでも自分はイエス・キリストの信者だという。

「新大陸を求めてノベスパニア(メキシコ)にやってきたスペイン人たちは
インディオの祭壇を焼き払い、インディオを村から追い払った。
それらはすべて、キリストの教えを広めるためという名目でおこなわれた。
だが、その後やってきた教会の神父たちは素知らぬ顔をして、
神の慈悲、神の愛を説く。美しいことしか言わない。
そのことにほとほと嫌気がさして棄教した」。

にもかかわらず、イエス・キリストへの信仰を
持ち続けているのはなぜか
と問われ、彼は言う。

「あの方(イエス)は、生涯、みじめであられたゆえ、
みじめな者の心を承知されておられます。
あの方は、みすぼらしく死なれたゆえ、
みすぼらしく死ぬ者の悲しみも存じておられます。
あの方は決して強くもなかった。美しくもなかった」

「あの方の生涯がそうだった。あの方は一度も、心おごれる者、
充ち足りたものの家には行かれなかった。
あの方は、醜いもの、みじめなもの、みすぼらしいもの、あわれなものだけを
求めておられた。だが今、司教も司祭もこの国では心富み、心充ち足りております。
あの方が求められた人間の姿ではなくなっております」

「泣く者はおのれと共に泣く人を探します。
歎く者はおのれの歎きに耳を傾けてくれる人を探します。
世界がいかに変わろうとも、泣く者、歎く者は、いつもあの方を求めます。
あの方はそのためにおられるのです」


この物語のタイトルにもなっている「侍」は
物語の登場人物である。
「侍」は御政道のためと形式上のキリシタンとなる。
政治のためであって、入信はかたちばかり。
信仰もなにも伴えずにいた。

しかし、さいごには
「人間の心のどこかには、生涯、共にいてくれるもの、
裏切らぬもの、離れぬものを—たとえ、それが病みほうけた犬でもいい—
求める願いがあるのだな。
あの男は人間にとってそのようなあわれな犬になってくれたのだ」
と言うまでになる。

物語は、史実に礎を置いているが
これは遠藤さんご自身の魂の軌跡でもあるそうだ。



こどもの頃に、母親から十分に愛された、
想われた経験を経たものは自信にみちている。
「母親に愛されている」、そこに自分の存在意義を見いだせるからであろう。

人は誰かから想われている、そう信じられていることが
自分を立たせる、なによりの力となる。
キリスト教信者の場合は、その存在にイエス・キリストがなり得る。



「宗教」は必要ではないが
「信仰」はたいせつである。
つねづね、私も公言してきたことだが
ここに、それがどういうことかが記されていた。
その点では、すこしばかり霧の晴れる想いである。

しかし、遠藤さんの小説は、時代に翻弄されるものたちの悲哀描写が多く
読んで「感動した」「すっきりした」とはなり得ない。

一冊の小説に出会うということは
その中に登場する幾人もの人と
時代をこえて出会うということでもあると思う。

小説にでてくる者たちの、嘆き、悲しみ、痛みを
あなたはどう受けとめるのか、ならばどうするのか
問われているような気になる。
もやもやする。混沌さを味わう。
そこからまたなにかうまれてくる。

IMG_5895.jpg

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ワタクシ的進化論

6月になりました。
梅雨を通り越して、一気に真夏到来。
寒さで縮こまっていたからだなのに
一気に汗が吹き出す熱波についていけず
戸惑っています。

とはいえ、「おかしいよね、最近の気象は」と言っている場合でもなく。
進化論で語られていることは、決して「優秀だから生き残った」のではなく
「環境に適応したから生き残った」ということ。

京都の家も、今の東京の家も
冬は酷寒ですが、夏は風が抜け
とてもしのぎやすいです。
今、こうしているあいだはとても快適。

京都は、夏は暑いし冬は寒い。
けれどもどっちかって言うたら
夏をなんとか快適に過ごしたいという想いの方が強いんでしょうね。
徒然草でも「家の作りやうは、夏をむねとすべし」と書かれていました。

徒然草五十五段
家の作りやうは、夏をむねとすべし。
冬は、いかなる所にも住まる。
暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。
……
住まいの建築は、夏を考えて造りなさい。
冬は、住もうと思えばどこにでも住める。
猛暑の頃に、風も通らず湿気のこもった家なんて到底我慢ならない。




なにがなんでも生き残りたいわけではありませんが
生存本能があるので、なんとか適応していきたい
と私は思うわけです。



さて、6月から新しい仕事を始めることにしました。

要介護とまではいかなくとも、足腰の衰えの気になる方々にむけた
からだづくりのお手伝いをするというと伝わりやすいかな。
それはひとまず入り口で、
もっと深く年配の方々と接していくこととなると思います。

神戸での震災がきっかけでマッサージの仕事を始めました。
身一つでできることをと思ったのがおおきなきっかけ。

これまた、こちらでの震災がきっかけで
これまでとは状況を変えたいという想いが涌き起こりました。

私が出会いたい人たちは、目には見えないいたみを抱える人。
からだだけではなく、こころにも。
なんとなくそんなことを考えるようになりました。
家にいては、出会えない人。
こちらから出向かなければ、と。
(とはいえ、職場は歩いて5分と近いのもなにより)




というわけで、京都へ帰るのも
以前のように一週間というわけにもいかなくなりました。
また東京の家でも、ご新規のお客様を迎える
というのは困難になってきました。

すこしずつすこしずつ、フェードアウトしてきましたが
またあらたに、一から出直して
今学んでいるグリーフケアの実践も視野にいれ
何年か後には、今とはまた違うカタチで
さまざまな方におこしいただける場を
作りたいと思っています。

IMG_6194.jpg

気功の教室は、曜日は限定されますが
今と同じカタチで続けます。

月に一度の気功のひろばは
できれば月に二度できるといいなぁと考えています。
近くの区民館の大広間はとても心地のよい空間ですが
この部屋をとるのは月に一度が精一杯なので
他の部屋での開催を検討しています。

そして、月に一度は
みっちりと個人レッスンを受けていただければ
よいなぁとたくらんでおります。

上の写真は、気功のなかにでてくるうごきが
みてとれるおもちゃです。
こんなおもちゃがからだの中にもあると想定して
からだと遊ぶように向き合っていただけるよう
お伝えしています。


今度の仕事では、ご高齢の方々にお会いする機会が増えます。
さまざまな方のからだに携わらせていただくことで
気功はどういかせるか、考えられるいい機会だと思っています。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

Category : いつものこと
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