空模様

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「樂」にみみをすます

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「井のいち」のポストイベント「みみをすます」に参加した。
耳先案内人は津田貴司さん。
http://hoflisound.exblog.jp/
数年前から、気功やマッサージの時に流す音は
津田さんのつくったものを使っている。
ここでこうしてお会いできてうれしい。


朝7時、氷川神社に集合して
石神井公園内にある三宝寺池のまわりを
耳をそばだてながら歩いた。

おおきな音、聞き取りやすい音は追いかけずに
その奥の方にある音に耳をすませる。

風によってこすれる葉音。
池にはなたれる水音。
公園を歩く人々の足音。

カラスの羽音、自転車に乗りながらしゃべる人たちの声、
遠くを走る車の音、工事現場の音。

目は閉じていても、
音を発するなにものかの動きを感じとることができる。

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その前日、能楽師安田登さんの寺子屋に参加した。
寺子屋では、論語を中心に
安田さんが毎回テーマに沿って
お話をしてくださる。
謡をうたったり、
「これはどういうことだと思う?」
とまわりの人と話し合う機会もある。

その日のテーマは「樂」で
安田さんと、音楽家ヲノサトルさんと編集者鈴木さんとの鼎談ですすんだ。
3人ともが話さない、空白がたくさんありつつ、笑いっぱなしの1時間半。
その「空白」「沈黙」が、安田さんの寺子屋をいつもながらおおきく包む主題だと思う。

論語【子曰、興於詩、立於禮、成於樂】
子曰わく、詩に興(おこ)り、礼に立ち、楽(がく)に成る。
ネットで訳はいくつも拾える。
それらがつまらない、のは、もはや安田さんの解釈がおもしろすぎるからで。


「楽」の象形文字。「樂」。
楽

左右の「幺」はでんでん太鼓にあるような糸をあらわす。
「白」は頭蓋骨。
現代でも、巫女さんがふる鈴のような楽器。
病気の時にこれを振って病魔を払ったので、
病気を治すことを病垂れに樂でリョウと書いた。
「療」はのちのちつくられた形声文字だそうな。

「興於詩」で、歌や舞によってその場に何かを引き起こす。
「立於禮」で先祖の霊を招きいれる。
「成於樂」まさに「その人・The Man」を招き入れる。

歌はウォーミングアップにすぎず、樂は無音、
「樂とは、音楽そのものをさすが、耳に聞こえる音ではない」とな。

「その無音を意識していくことで、共同体を形成していったのかもしれない」と。

無音というのは、能の中にもみえる、「せーのっ」と声に出さなくとも
すうぅぅぅぅっと入り込んでいく息や気をあわせていく感覚。
たとえば、昔の電話は、鳴る前から鳴るってわかったよね。
鳴る前には、電話機のまわりに空気を吸い込むような気配を感じたものだ。

儒教における「樂」とは雅楽や神楽のこと。
そういえば毎年、GWの頃に宮内庁での雅楽演奏会を聴きにいく機会があるのだけれど、
毎度、演奏が始まってしばらくすると、知らない間にがっくり頭が垂れてしまう。
舞いはしっかり見るんだけどな。

先日、平安期の雅楽演奏を再現した映像を見たが、
いまよりもずいぶんはやいのよね。
http://jupiter.kcua.ac.jp/jtm/archives/takuwa_gakudan/20121013openschool.html
ここにも「雅楽は、千年以上の歳月をかけて、何倍も、
曲によっては10数倍も “まのび”したというのです」
とある。

ヲノさんが、ネイティブアメリカンの「ゴーストダンス」は
同じ節をくりかえしくりかえし演奏してみんなでトランス状態に入っていくと仰っていたが、
雅楽もかつてはそうだったのかも、なんて想像も。
江戸時代、能の謡も現代より数倍速いまわしだったそうだ。


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感覚を研ぎすませていくと
音のない瞬間はない。
無音であるようでいて、なにかしら音が聞こえる。
沈黙、余白。
なにもないようで、たくさんある。

「豊かさとは、ちょっと・少し、わずか・かすか・ほのか、ささやか・こまやか…」
というようなことを“さやか”に感じる能力から生まれる」 という、
野口三千三さんのことばを実感する日々。

感覚に意識を集めていく。
「みみをすます」時間は、気功そのものだった。

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Category : いつものこと
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マンデラ 自由への長い道

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「マンデラ 自由への長い道」
を公開初日に見に行く。

映画の初公開は2013年11月28日 。
ネルソン・マンデラは
12月5日にこの世を去り
この映画は奇しくも追悼映画となった。

「アパルトヘイト」ということばを知ったのは
小学校の授業だったのか、中学校だったのか。
南アフリカでは人種差別が行われている
ということは、とにかく学校で教えられるのだけれど
「人種差別」って、具体的にどういうことなのか
案外、ピンときてなかったと
最近、つくづく思う。

自分とはつながらず、断片的にしか捉えてなかったな。

ヨーロッパの歴史は
西暦がキリスト生誕にあわせて数えられているように
キリスト教との関わりははずせない。
そして、彼らの歴史は征服、制圧の歴史であり
つまりはその反対に、抑圧、犠牲の歴史があるということ。
世界史からしても、それらを抜きには語れない。

日本は、キリスト教の影に政治支配をかぎとり
禁教令を公布、鎖国によってその手を封じた。
キリスト教弾圧を足掛けに、ひとりひとりを寺へ帰属させ
檀家制度や戸籍が誕生することとなる。
キリスト教のもたらした影響は、日本でも大きい。

直接的な関わりはないようであっても
世界は、たがいに波及しあっている。

歴史を追えば、その波が自分にも及んでいることを
感じとることができる。


ネルソン・マンデラは
偉大な人として認識されているが
彼自身は「私は聖人君子ではない」と言及していて
若い頃は、色恋沙汰もおこしているし
晩年の穏やかな顔からは想像もできない過激な面を持っていた。

私を聖人と呼ぶなら、聖人とは挑戦し続ける罪人という意味になるだろう。
 ―ネルソン・マンデラ



映画では、ネルソンのその人となりを垣間みることができる。

投獄27年。
彼を大きく変えたものは、なんだったんだろう。
変わったというか、おそらくもともとあったものを
拡大させていったものは。

彼の二番目の妻ウィニーは、
彼とは対極の道へと歩んでいた。

悲しみ、苦しみが長く続く中で
自分の中のリソースをなにに、いかに割いていくのか。
怒り、憎しみか。
ゆるしか。

成し遂げたことで私を判断するのではなく、失敗して再び立ち上がった回数で判断してほしい。
  ―ネルソン・マンデラ




彼のプロセスを、知ることのできる映画だった。
自分を静観し続けられる人だったんだと思う。


生まれながらにして肌の色や出身や宗教を理由に他人を憎む人は誰もいない。憎しみは後から学ぶものであり、もし憎しみを学ぶことができるなら、愛することも教えられるはずだ。愛はその反対の感情よりも、人間の心にとって自然になじむものだから。
 ―ネルソン・マンデラ






映像に見える、南アフリカの唄やその衣装も、とても魅惑的。
ネルソン役のイドリス・エルバは、
その素顔は似ていないはずなのに、そのものに見えた。
ウィニー役のナオミ・ハリスも、いい。
映画の中のウィニーは、ただ凛々しくすてきに見える。


この映画のために、U2のボノがかいたという主題曲がまたいい。
「Ordinary Love」。
Ordinaryって「ごくふつう」とか「あたりまえ」「ありふれた」
というような意味。

「そんなこと、あたりまえじゃないか」と
たやすく言えるほどの愛を。





Category : 映画
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そこにたたえる水

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東京にきて、まるまる4年がすぎた。
もう4年か、まだ4年か。
どっちの感慨もある。

いまさらながらおもしろいなと思うのは
関西に住んでいる時も
神戸、大阪、滋賀、京都と移り住んだけれど
地理的な不安を感じたことはなかったということ。

こどもの頃から、地図を見るのは好きだったし
たとえば、滋賀に住んでも、京都に住んでも
なんとなくの地理を把握していた。
東西南北を知って道を行けば、目的地にたどりつく
ということを、あたりまえに思っていた。

けれども、東京に住んでみると
地理感がなくなって
まるで異邦人。

近畿圏の地理感覚はどこにいっても
「北には山がある」
と、似通ったものがあったし
なんというか、これは気の感覚だと思うけれど
同じような空気を得ていたのだと思う。
どこにいっても「違う」とは感じていなかった。

明確に言うともちろん違いはあるのだけれど
関西圏から引っ越して東京に暮らすという感覚よりは
それはもっと微細な差異だ。

東京は、というか、関東圏は
やっぱり関西圏とは違うなぁと
しみじみ感じているし
あ、でもそれは関西と関東というよりも
住み慣れた土地、不慣れな土地という違いなのだろうか。

とはいえ、東北や九州あたりに住んでみないと
その違いは見いだせないだろうけれど
まぁ、とにかく、東京は道が多いし
駅も多いし
自分がどこへ行くのか
明確な意志を持っていないと
「なんとなく歩く」ということができないように感じて
住みはじめて半年ぐらいは
途方に暮れていたように思う。

少し慣れたなと思った頃に
大きな震災があって
そこから迷いはじめたことは
ここにも以前、書いたような気がする。

仕事をはじめとして、
自分自身の生き方さえも
よくわからなくなった。
私はこのままマッサージの仕事を続けたいのだろうか、
それよりも、このまま東京にいたいのだろうか、
一緒に住んでいる人とは本当にいっしょにいたいのだろうか。
何回も京都に帰ろうと思った。
何度もそう言って、わんわん泣いた。

明確な「イヤ」があるわけではない。
それらは、
気まぐれに涌き上がる入道雲のようなものだったのかもしれない。

帰ってどうするの
と思ったりもした。
一人でできることに限界があると思って東京にきたんだった。

いろいろな想いが巡る。
感情は一つじゃない。
空に浮かぶ雲が様々なかたちをみせるように
こうだと明確に言い切ることはできない。


苦しくなると、自転車で10分ぐらいのところにある
石神井公園にきた。
ここは、東京23区の中でもおそらく随一、
野生を残した公園だと思う。

石神井公園にくると
気持ちがすぅっと落ち着いた。
公園をぐるりと一周歩いて
気晴らしをした。


京都では、鴨川に沿って歩くのが好きだった。
鴨川のほとりは天国のようだといつも思っていた。
季節ごとに色とりどりの花が咲き
鴨川に集う人たちが、しあわせそうにみえて。

石神井公園には
大きな樹々がすっくと立ち、
落葉の敷きつめられたふかふかの空間が
いたるところにある。
抜ける風と木漏れ日。水の音。鳥の鳴き声。
それだけで充たされた。

池のほとりには、やはり人々が集う。
なにかしら会話をしていたり、囲碁や将棋をする人たちがいたり
そっと目を閉じてベンチに座ってひなたぼっこをする人もいる。

水があるところに
人はいたいんだと
思う。
少なくとも私は。
水を感じる地にいたい。





去年の秋に、グリーフケア研究所の存在を知って
学校に通うことを考えはじめた。
いま、あたらしい学びを得られたことに
喜びを感じている。

グリーフとは「悲嘆」
という意味であるが
人生に「悲しみ」はつきものである。
むしろ、標準装備である。
標準だからこそ、喜びというオプションが
この上なくうれしい。


悲しみ、苦しみは
ないほうがいい
というものではなく
人が生きている限り
あるもの。

人と人が出会うということは
かならずや、わかれもあるということだ。

苦しみや悲しみを感じずに生きたいならば
誰に出会うこともなく、なにを見ることも
読むこともなく、何かを育てることもなく
暮らせばいい。

そのかわり、なんの洞察もなく
浮かび上がるよろこびも、浅い。

悲しみや苦しみを
確かに積極的にひきこむこともなかろうが
まるでないのは、スパイスなしの、味気ないスープのようなものだ
と私は思う。
塩も胡椒も、うまく使いたい。

しょっぱすぎる日もあるし
辛すぎる日もある。
試行錯誤して
いい塩梅をみつけていきたい。

必要なもの。

なくなると
つまらない。
塩も胡椒も
味わえよということだと思う。


グリーフとは
一般的には“死別”の悲しみが大きく捉えられがちだけれど、
誰かから何気なく発されたことばで傷つくことも
引っ越しも、結婚も、病気も
それまであった事柄からなにかが損なわれること
すべてグリーフだという。

はー
あれもこれも
私のグリーフよ…。



そしてまた、学びの中であたらしいと感じたのは
「ケアを施す側も、不完全な人間である」
ということ。

マッサージの仕事(そう言われるのはずっと苦手なままだけれど
いわゆる“セラピスト業”として)では
誰かを癒す人は自分自身が癒されていないと施術はできない
などと、まことしやかに言われてきた。


でも、そうじゃない。

にんげんだもの。
完璧じゃないもの。
不完全だもの。

超越的視座をとろうったって
あんた所詮、人間じゃないのさ。

……いやはや。

不完全な私ではありますが
あなたのお話、どうぞよろしければ
お聞かせいただければさいわいです。
私のぶざまさを垣間見せることにもなりますが
ひとしく私のこともお見せしていきます。

…というのが、グリーフケア研究所のとらんとする
スタンスらしい。
御意。





東京の街を歩きながら
いにしえに湧いた水をどこかで
求めている。

太古、複雑に入り組み
いたるところで水平線のみられた、
今東京とよばれる地。
どんどん地下奥深くにひきこもり、
かつてあった水の推移は、坂道の上下にみてとられるのみだ。

けれども、地下には水脈がちゃんとあって。
あんまり多くの人に知られないところで、しずかにつながっていて。
そっとそっと、小さく井戸を掘って、奥にあふれている水と出会う。
でも他の人には大きな声で知らせない。
むやみに掘りかえしちゃいけないの。
たいせつだから。


東京で暮らすようになって
大好きだと思える地と水と人たちにあえた。
4年経って、ここで暮らしていけると思うように
最近はなった。

悲しみも苦しみも消えてはおらず
私の奥底につねにたたえている水のようなものだ。

時々は、地表にあふれ
私を水浸しにする。
けれども、潤いとなす。


4年。
こう思えるまでに。


…………………
先日、石神井であったおまつり。
運営されていたみなさんの
真摯な想いが伝わる場だった。

ここならだいじょうぶ。
そう思えた。
大きなこと。

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井のいち
http://inoichi2014.i-mondo.org/

Category : いつものこと
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ヴェニスの商人

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遠藤周作さんの「沈黙」を読んで以降、
長崎におけるキリスト教伝来から迫害の歴史を追い、
いまはヨーロッパを中心とした、
世界各地におけるキリスト教がもたらした暗い歴史を
すこしずつ見ている。

先日、ゆきさんから借りていたDVD「ヴェニスの商人」を見た。

こどもの頃に読んで以来で
物語のあらすじはなんとなく覚えている程度だ。
高利貸しのシャイロックは
アントーニオに金を貸した。
返せるはずだったアントーニオの借金は不幸にして
めどが立たなくなった。
いきり立つシャイロックは、
アントーニオの肉を1ポンド、切り取ることを要請した。
そこに名判事が登場。
「血を一滴もしたたらせることなく
そして1ポンドは多くても少なくてもだめだ。
きっかり1ポンドだ」と
シャイロックには無理な条件を付け
彼を引き下がらせた。
快哉、悪役を前に溜飲のさがる喜劇だ、
そう思ってきた。


しかし、キリスト教の歴史を追った今に見ると
この痛快喜劇の影にあるのは、悲劇だった。

見終わってすぐに感じたことは、
おおお、こんな話だったのかー
こどもの頃にはわからなかったよ。



シャイロックは、ユダヤ人だった。
金貸しというのは、当時のヨーロッパでは
ユダヤ人にしかできない商売だった。
なぜなら、キリスト教徒には
利子を付けての金融業が禁止されていたからだ。

ユダヤ人の歴史は本当に複雑だ。

その複雑さは、日本人には理解しがたい。
あたりまえに、日本とされる地で生まれたから日本人である、
そこに疑問を持ったことがない私たちには。

シャイロックには、彼自身が意識していたどうかはわからないが
深い悲しみがある。

「ユダヤ人は目なし、手なし、臓腑なし、感覚・感情・情熱、すべて無し。何もかもキリスト教徒とは違うとでも言うのかな? 毒を飲まされても死なない、だからひどい目にあわされても仕返しはするな、そうおっしゃるんですかい? だが、他の事があんた方(キリスト教徒)と同じなら、その点だって同じだろうぜ。キリスト教徒がユダヤ人にひどい目にあわされたら、(右の頬を打たれたら左の頬を差し出せという)御自慢の温情はなんと言いますかな? 仕返しと来る。それなら、ユダヤ人がキリスト教徒にひどい目にあわされたら、我々はあんた方をお手本に、やはり仕返しだ」
 —福田恒存訳 新潮文庫版を基に要約 wikiより




シェイクスピアがこれを書いた当時、500年前には
喜劇として認識されていたそうだ。
実際、訳者の福田恒存氏も、これを悲劇だと見る意見に対し
「時代背景を考慮せず、現代の視点から一方的に見た拡大解釈」としている。

しかし、この映画では
シャイロックに焦点が当てられている。
アル・パチーノが演じていることからも
彼から目をそらすことができない。


善者とされるアントーニオと
あからかに悪者として描かれるシャイロック。
それだけでは、あまりにも二元的すぎる。
こうして、500年を経ても
なおも解釈がなされようとする「ヴェニスの商人」。
うみだしたシェイクスピアの偉業を想う。

ヴェニスの商人 [DVD]ヴェニスの商人 [DVD]
(2006/04/05)
アル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズ 他

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先週の授業でA先生が仰っていたこと。
「見る、読む人によって受け取るメッセージのちがう小説、映画は秀作。
駄作は、こう見てくれという制作側の意図的な導きのあるもの」。
まさに、そういう意味でも大きな作品。
時を超えても読まれる価値ここにあり。


ユダヤは、民族でもなく人種でもない。
国家を持たないので、その地にうまれた人をさすものではない。
このあたりは、私も研究者ではないので
Wikiの助けを借りたい。

ユダヤ人はおおむね居住地民族と同化した肉体的種族とは
別個の概念となっている。
ユダヤ人とは、ユダヤ教を信仰する者、あるいはユダヤ人を親に持つ者。
ユダヤ人社会内やイスラエル国内においては、
「ユダヤ人の母を持つ者」をユダヤ人と呼ぶのに対し、
ヨーロッパなどでは、母がユダヤ人でなくともユダヤ人の血統を持った者
(たとえば母がヨーロッパ人、父がユダヤ人など)もユダヤ人として扱うことが多い。
こうしてみていくと、明確に、こうであれば「ユダヤ人」であるという規定はないようだ。

私の薄い知識で書く。

キリスト教の始祖であるとされるイエス・キリストは
ユダヤ人であったので、ユダヤの歴史とは切り離して語れない。
もともとイエスは、ユダヤの民を救いたくて
説法を説いていたのだけれど
それがユダヤを取り仕切る上層部から
政治的に危険だと見なされて、処刑されてしまった。
キリスト教徒にとっては、イエスキリストを処刑したのは
ユダヤ人だとして、ユダヤ人に対して疑義を抱いてきた。
(よく考えれば、本末転倒かつ堂々巡りな話だ)
また、間の悪いことに、ユダという名前の使徒に
裏切られたということも大きいようだ。
単なる偶然にすぎないのに。
(いや、ユダの行いも裏切りと言えるのかどうか。またこの話は別の機会に)


キリスト教は、勢力を拡大していくに伴い
キリスト教以外を「異教」とみなし
先住民への迫害を繰り返していく。


そして先の理由で、ユダヤ人は金融業についた。
しかし、それは一部で、裕福なユダヤ人は少なかった。
けれども、ユダヤ人は、どこか疎まれる存在であり
いつの時代も「ユダヤ人による陰謀論」が巻き起こっていく。

1902年、ロシアでユダヤ人が世界征服を企んでいるとする
シオン賢者の議定書が作成されたことが(偽書にもかかわらず)
決定打となり、あからさまなユダヤ排斥運動へとつながっていく。
その迫害の凄惨さは、収容体験を綴った精神科医フランクルの著作「夜と霧」、
また、アウシュヴィッツ収容所が負の世界遺産と登録されたことで
語り継がれていく。


長崎のキリシタン迫害の話も
アウシュヴィッツ収容所の話も
これが人のなすことかというほどに
読み進めるのがつらい描写の連続だ。
何の下地もないまま読みはじめると
その後、相当なショックを受ける人もいると思う。
結構な精神力がいるかもしれない。


迫害は、誰か一人の命で下されたものだけではない。
民のひとりひとりが、その恐怖と不安に同調していったのだ。
そのひとりひとりは本来、善良な民なのだろう。
こうして、国単位となると
その善良な民も、自身のそんな面をはずすことができることを
いかようにも転じることができることを
人はとてもとても弱い存在であることを
歴史はあらわしていると思う。



こういう歴史があった。
事実があった。
人類の歴史として闇に葬りたいような過去を知りたいのは
どんな人にもその芽があるのを感じるからだろう。

でも、その芽は、できるならば
それ以上大きくならないように
気づいたら、他の花を咲かせたい。

これからを、できれば国単位で殺しあうことなく
しあわせによく生きたいと私自身は思っているからである。
特に、昨今は、それを思わざるを得ない状況にあると感じている。


そうそう、
ハンナ・アーレントの再上映があるようだ。
彼女の背景がすこしわかってきたので
あらためて見に行こうと思う。


昨日の授業で、先生が最後に仰ったことばは
教養、芸術、美術、生活を豊かにするさまざまな感覚など
家族、仕事に注いでいるものを
どんな場面でも断絶させないようにしましょう
だった。







Category : 映画
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医は仁術



http://ihajin.jp/


ようやく行けた、科学博物館開催の「医は仁術」展。
見応えがあった。

医療に携わる人はもちろん、
「健康」「養生」というキーワードに
なにかしらひっかかる人たちにもみてもらえるといいと思う。




ここ最近、長崎の歴史を追う機会があった。
江戸時代、日本ではキリスト教禁令が敷かれ、鎖国政策がとられた。
それは、単純に一宗教を排することだけではなかった。
他国の思惑にはのらないという意思のあらわれでもあったと思う。
(実際、当時、日本人の中からも人質がとられたりしたそうだ)

もちろん多くの布教者にそんなつもりはなかっただろう。
今とは違って、船で訪れる日本への旅は
死を覚悟するものであっただろう。
しかし、キリスト教の陰には政治支配がついてまわる。
キリスト教以外は異教だとみなし、
先住民を追いやってきた事実は看過できない。


歴史は、多層的、多面的だ。
キリシタンへの弾圧は凄惨ではあったが
キリスト教禁教から端を発した鎖国のその反面に
この国は独自の文化を形成していった。

長崎の出島では唯一オランダとの交易が続いたが
その扉が日本医学への架け橋ともなった。

オランダ人の医師から伝えられた医学は「蘭方」と呼ばれる。
日本の医療のはじまりは、戦国時代に渡海した僧たちの伝来からはじまる。
「蘭方」という呼び名が確立して「漢方」というようになったが、
この頃にはすでに中国から伝わったものとは別に、
日本独自のものとなっていた。

日本人は、コピーするのが巧いといわれたりするけれど、
他からはいってきたものをそのまま使うのではなく、
自分の手元に置いて、
自分たちの使いよいように引き受けることのできる人たちなんだと思う。




先日配信されたISIS通信から引用する。


……………

日本の稲作は、東アジアの天水農業を
継承してはいるが、
風土・気候・水利・労働力のちがいによって
「直播き」ではなく、
いったん苗代(苗床)をつくってそこで優秀な苗を育て、
これをあらためて田植えするという独特の二段階にした。

私はこれこそが日本流の方式だと思っている。
グローバル・スタンダードなシーズ(材料)やコード(方法)を
海外から取り入れても、それをいったん日本の風土や仕組みのなかで
選別編集し、そのうえで優秀な農産物や工業製品にしていく
という方式だ。
そこには「育む」という方法が生きている。

「週間ポストー百辞百物百景041 松岡正剛」より

 
 松岡は、文章の後段で、
 海外のシーズもテクノロジーも、
 日本の美意識やユーザビリティに合わせ、
 使い勝手のいいものにしてきた日本の方法を、
 「苗代主義」と名づけています。

……………


他から入ってきたものを、独自のものとしちゃう。
もうずっとずっとこの地でなされてきたこと。
それを「和する」って言うんだな。
おもしろい人たちだよね、日本人。

私も、やっている気功は、「中国からのもの」じゃなくて、
この地独自のものと捉えていきたいんだよなー。
それが自然、「自ずから然り」だと思うんだよね。


Category : いつものこと
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