空模様

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Posted by チエ on  | 

なにもかんがえなくていい

昨夜は友達と会う約束をしていたのだが
彼女の予定が変更になってしまい
さて、この空いた時間をどうすごすべかと
ぼんやりと(かつ、仕事をしているふりをしながら)
ツイッターを眺めていたら
パパタラの小池さんが西麻布でワークショップをするとあり
しかも当日参加可となっていたので
いってみることにした。


パパタラのことは2010年10月の日記に記している。

宇宙的包括。
すべて含めて、舞台芸術なんだ
と代表の小池さんは言う。
踊りだけじゃない、歌だけじゃない、
演劇ではない、ミュージカルじゃない、
興行ではなくて、芸術だ、と。


ココで自分のことを引き合いに出すのは
実におこがましいと感じながらも描くが
私も、自分をセラピスト
と呼ぶのも、呼ばれるのも
苦手で、
それは小池さんの考えと相通ずるものが
あるのではないかと考えている。

私は
セッションは、場だと捉えていて
私がマッサージするのはもちろんなんだけれど
それだけじゃなくて
迎える部屋、灯り、音、におい、出すお茶、お菓子
すべてを含めて、きていただいた方に味わってもらいたいので
それを、なんというか、セラピーとは私は言いたくなくて
いっそのこと、空間プロデューサーとでも
(あ、かっこよすぎ!)言ってもらえた方が
うれしいのである。

それによって、なんらかの症状が改善される方もいるやも知れないし
来てくださった方がそれはセラピーだと言うのならば
それはそれでいいのだけれど
こちらからは「セラピー」として提供しているつもりはない。
(なんてことを言ってしまうので、伝わりにくいのだが。)


なにもかんがえなくていい空間。

それ、
それだ。



昨日のWSは
とにかく「考えるな、感じろ」というものだった。
目の前にあるものを手にとり、胸にあて、
また元の位置に戻し、座り直す。
たったそれだけのことを5分かけて動いてみる。
日常の中では数秒でできてしまう動きだ。

5分という時間も、時計を見ずに
だいたいこれぐらい、と自分の中で感じながら動く。

ゆっくりゆっくり動いてみて
小池さんが「では止まってください」と言った時に
自分では何分ぐらいかけて動いたと思うかという問いに
多くの人が5分ちょうどくらいと答えた。
中には3分、長い人で7分くらい。
でも実際には10分が経っていた。
これまでさまざまな国でこのWSをおこなってきたそうだが
だいたい半分だと感じる人が多いそうだ。

時間を外す、とはこのことで
自分がそう感じたならば
それはその人の5分であって
まちがいじゃない。

とにかく、考えないでください
と小池さんは言った。
他の人の動きも一切気にするな、と。


少しずつ違う動きをとりいれながら
ひたすらゆっくりと動いてみた。

最後は四隅から、5、6人のグループになって
真ん中に集めたものをとりに
ゆっくり動く。
途中、人とのコミュニケーションもとりながら。
パッと我に返って、速く動いてはいけない。
そこで寸断されてしまうから。
ふれるのも、ふりかえるのも
ゆっくりゆっくり。


予定調和ではない動き。

間に時々、音楽が入る。

なんだか、まるで舞台の上にいるようだった。
(そう、パパタラの一員として。
まるで、Ship in a view。)


はじめはぎくしゃくしていた動きが
2時間でずいぶん滑らかになった。
最後はかなり恍惚な気分だった。
舞台に立つって、こんな感じなんだろうなと
想像できた。

通常、このワークショップは8時間くらいはかけて
するそうだ。
合宿形式で、野外ですることも。
かなり生々しいものになるだろう。
想像するだけでおもしろい。



途中、書いててわかった。

私がセッションとしてしたいのは
「なにもかんがえなくていい場」だ。

なにも考えず、ただ感じる。

これが、今はとってもむずかしいのだから。
でも、考えつづけて多くの人が苦しくなっているのだから。



いかに「何も考えないですむ場にできるか」。
これが私の探求していきたいこと。
安心して、そうできる場。

小池さんからはいっぱいヒントをもらえそうだ。

個人として動いていくために
カンパニーを解散するとおっしゃっていた。

これからの動向に注目して行こう。




そうそう。
ワークショップ開催場所もとてもよかった。
「Switch」や「Coyote」を発行している
スイッチ・パブリッシングが運営する「Rainy Day Bookstore & Cafe」。
興味深い本がたくさんあった。
またゆっくり行きたいな、雨の日に。

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WSは
パパタラの舞台美術をつとめたことのある建築事務所のお二人を
交えてのものだったのだけれど
その建築家のかたが
「建築は動かないもので、
10年経っても、100年経っても
ずっとそこにあるものと考えていた。
けれども何年経っても、覚えていてもらえないものも多い。
それが一瞬で葬り去るとしても、覚えていてもらえるものがあるならば
それはおもしろいと思って、建築とは対称とも思える舞台美術を引き受けた」
とおっしゃっていたのが興味深かった。


あと、長くなるけれど
これは自分へのメモ書きとして。

多くの人が意味を求めたがる。
わかりやすいもの
メッセージとして受けとりやすいものが
もてはやされるが
ことばではっきりさせるのではなく
「えっ?」と思うことが重要。
はやく理解したいと思いがちだが
音楽、空間、ひかりだとかが何をメッセージしているかと
考えようとするのではなく
ただ、感じるのみだ。


そう、パパタラの舞台は
理解不能だ。
でも、私はそこがいいと思っている。

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Category : いつものこと
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「はるのよろこびを祝いあいましょう」

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春分の日に
歌にならない声をだして、
背骨から骨盤にかけてゆらして
糀のおやつと飲み物でまったりと
音に舞う場をもちます。

「はるのよろこびを祝いあいましょう」

 日時 2012年3月20日 13時~17時
 場所 練馬区富士見台地区公民館
     西武池袋線「富士見台駅」徒歩10分 http://chizuz.com/map/map81249.html
 参加費 2000円

※メールフォームから、お問いあわせ下さいませ。

これははじまりのうた。
五感を目覚めさせる色に酔い、
ゆるやかに種をまきませう。
官能への入り口へようこそ。

・声だしワーク miyo
・背骨からゆるめる気功 チエ
・糀のおやつ keiko
・ディジュリドゥ てらじん


***********************************

春分の日は私にとって
なにかしらいつも特別。
私はここ数年「春分の日」を
自分の中の「生」を感じる日にしています。
ひそやかにわっしょい。
表向きひそやかだけれど
内実、大きな大きなうねりを感じています。


二十四節気という暦がありますが
あれは簡単にいえば「農作」カレンダー。
立春から始まり、雨水、啓蟄を経て春分へ。
季節に見られるリズムを大まかに感じて
これぐらいにはだいたいこんなことがあるので
備えよし、と受けとっておくと
楽だよってことなんだと思います。

2月に入り、寒い中にも
水の動きを感じます。
木々の芽がグッと膨らんでいます。
コブシは花を咲かせんと準備が着々と進んでいる模様。
縮こまる私たちのカラダの中にも
おなじように春の準備が進んでいます。
少しずつ、少しずつ
固まっていたからだの関節をゆるやかに動かしていきましょう。
ギシギシと音が聞こえるようなところへ油を注すように。

今から備えていくと
本当にあたたかくなった時にパッと動き出せるようになります。
自分の意識に関係なく。

私も旧暦を意識するようになって
グレゴリオ暦でいうところの1月、2月、3月が大好きになりました。
自然のハタラキが自分のカラダの中にもある、
そう思うと、自分の裡にある流れ、芽吹きを感じて
自分のからだがいとおしくてたまりません。
ちいさなものたちのひそやかでいておおきな躍動を
感じられる今この時期が大好きです。


「春分」は、太陽黄経0度になるオンタイム。
昼と夜の長さがほぼ同じになります。
(ほぼ、というのは、昼の方が若干長いため)
「春分の日」は春分の起こる日。
日本では国民の祝日となっています。
祝日法第2条では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日となっています。



東京に来てもうすぐ丸二年。
間に震災があり
心細い中にも、それをきっかけにいろんな人と
それぞれの想いをシェアする場に出会うことができました。
そして、一人ではなんにもはじまらないことを
しみじみ感じました。
まぁ、それは京都にいる頃にも感じていたことなんだけれど
「私がやりたい」人なので、結局
誰かとじゃなくて一人でやっちゃうんですね。
でも、1995年1月17日についで
2011年3月11日から
足下を揺さぶられる日々があって
やっぱり、私にはできないこと
そしてできること、があるなぁと
再び、思い知るのですね。

できないことはできる人にまかせて
私はできることだけしてようって。
それで丸くおさまる。
スムーズな流れのなかで
できるだけ心地よくいたいもの。


先日の日記に挙げたことをもう一度。


神は中心であったり、頂点であったりしない。
私たちの間を自由に流れつづけているものだ。
それらは私たちの間に、そしてすぐそばにあるものだ。

与える、受けとる
の関係ではなく
もはやそれらとわたしたちは、
浸透膜のようなものを経て循環しあっている
と私は考える。

その循環しあっているエネルギーに
神という名がついている。
私たちはこのからだを浸透膜に
そのエネルギーと交歓しながら生きている。
私は「神」という存在をそう捉えている。
そして、もはやなにをもって「私」というのかも
わからない。
膜の内も外も一体だからだ。


見ることも、聴くことも
味わうことも、嗅ぐことも
触れることも
すべて交歓だ。

そして、それらを官能と言おうと思っている。
官能とは「感じること」。
神との交歓。




神、ということばを使うと
宗教?と思う人も多いかと思います。
でも、違います。
これは「畏れ敬う」、信仰です。
信仰と宗教、どう違うのかといいますと
宗教は、なにかに頼ること、そこに依存して救いを求めること
信仰は、自分と自分のまわりにあるものによって立っているのを知ること
だと私は解釈しています。
依存と自立、相対するもの。
信仰と宗教は真逆です。
どちらも「しんじる」に違いはないのだけれど
自分を信じるか、他を信じるか、ということだと。

話が難しくなってきました…


えーと、何がしたいかと言うと
今生きていることを、その瞬間を
喜びあおうよということです。
それを特化して意識するのが
「春分の日」だなー、と。


官能ということばを使いました。
それはエロスだけれど、エロじゃない。
似て非なるものなのです。
エロスとエロも対極です。
受容と拒否、ぐらい違います。


官能の世界を
探っていく部会をはじめます。
興味ある方なら誰でも参加可。
ギリギリを楽しみましょう。
ふふふ。
3月20日はそのはじまりです。

とりあえず、思いつくままに書いているので
洗練されていませんが、一度ここでアップします。

(こわいかなー、この書き方。
でも、おいおい活動報告していくので
楽しそうと思ったらきてね。)

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Feelいわき

20120211-RIMG0028.jpg


2011年12月、福島県いわき市に暮らす人々の声を聴く会
「Listenいわき」を新宿で開催した。
被災前のいわきの映像や、震災当時の写真を「見て」
いわきの人々の声を「聴いた」
その次は「Feelいわき」。
いわきの今を「感じよう」と
2月11,12日と総勢21名で
いわきへと向かった。


1日目は
「Listenいわき」でもお話いただいた
豊間の大工、志賀秀範さんを中心に
消防団員で震災後救援活動、捜索活動に従事した吉田一美さん、
震災後は小名浜に住む主婦の橋本さん、
商店を営む矢吹さん、
豊間小PTA会長の志賀幸重さん、
豊間中元PTA会長で防犯協会会長の鈴木さん
久之浜諏訪神社の高木優美さん、
元新聞記者の吉田隆治さん、奥さまのまさ子さん、
除染ネットワーク、「あいでつつもうプロジェクト」をたちあげた田中さん、
浪江からいわきに避難している永橋さん。

2日目はトチギ環境未来基地主催の
プランター作りに合流させていただき
仮設住宅に暮らす広野町の方々と。
午後からはシャプラニールが運営する交流スペース
「ぶらっと」の様子をうかがい、
利用者の方々からもお声をいただいた。


いわきで出会う人たちは
人懐っこい方が多く
こちらが励まされるぐらい明るい。


双葉郡からの原発避難者2万人がいわきで暮らす。
東電からは原発避難者には補償金が毎月ふり込まれるが
一方、津波や地震で被災したいわきの人たちのもとには入らない。
いわき市民である被災者と双葉郡の避難者が
道を隔てた近隣の仮設住宅で暮らす。
穏やかでいられるわけもない。

結婚を間近に控えていたのに
放射能の不安が拭えないこの地に嫁は迎えられないと
破談にした若者の話も聞いた。

参加者の中には
「危ないのにどうしていくのか」と
家族から不安がられたという人もいた。

一人一人に向き合えば
こんな話がぽろぽろと出てくる。

何をどうすることもできない私は
ただただ、いわきの明るい空を見上げ
海を見つめて
キレイだとしか感じられずにいた。

誰かの話を聴いて
悲しい、つらいと同情したくない。
震災にあった人たちの悲しみもつらさも痛さも、
想像しきれない。
誤解を恐れずにいえば、
悲しげな顔したって、それは私の悲しみじゃない。
フリにすぎない。
だから
ひかりを見て
美しいと感じていたかった。


なんにもできないから
ただ、気にしているよと
手をふり続けていたい。

また行くよ、いわき。

2日間の写真をこちらにあげています。
見てください。

http://mf1.jp/MO2Z0Z
http://mf1.jp/NX_IQR



.........................

2月の終わりと言っていた京都行き。
3月2日からになりました。

3月2日 終日受付可
3月3日 終日予約済
3月4日 終日予約済
3月5日 午前予約済 午後5時以降受付可
3月6日 午前10時から午後3時最終で受付可
3月7日 終日受付可
3月8日 終日受付可

(2012年2月15日現在/ 以降はこちらでご確認ください。
http://slowbody.p1.bindsite.jp/kyoto.html )

京都でお会いできるのを楽しみにしています。

4月からは東京でも
本格的に始動します。
どうぞよろしくお願いいたします。

Category : 福島
Posted by チエ on  | 0 comments 

神様

立春。
春の始まりの日。
そして、星占いの世界では海王星が魚座に戻った。
寒さが続くが、なんだかほのりと
あたたかくやわらかいものをカラダの中に感じている。
境界を越えて、もっと自由に泳いでいいんだよ、と。


今いるNGOでの仕事が終わりに近づいていることもあり
(もちろん今後もいわきには関わりつづけていくが)
着実に春への準備がからだの中ではじまっているのを感じている。


この一年近く、私自身が分裂したかのようでまとまりなく
このブログに記すこともめっきり減ってしまったが
もっと感じたことを書いていきたいなぁと思う。


で、さっそく。

ツイッターで石井ゆかりさんがリンクをはっていたこのブログ。
http://asahi2nd.blogspot.com/2011/04/1_19.html
「神」ということばが出てきたので
つらつらと書いてみる。


このブログを読んだ時に思い出したのは
遠藤周作の「沈黙」だった。
震災の後はしばらく何もする気になれなかったが、
編集学校のお題で読むことになった小説。


沈黙 (新潮文庫)沈黙 (新潮文庫)
(1981/10)
遠藤 周作

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私は遠藤さんの小説が好きだ。
宗教とは何か
信仰とは何か
常日頃、よく考えることだが
遠藤さんのキリスト教に対する想いは
私の考える「信仰とは」にリンクする。

「神も仏もない」。
このブログにもでてくるが
未曾有の大災害を前に、多くの人が思ったことだろう。

遠藤さんの沈黙の中に、こんな一文がある。

長崎奉行所に捕らえられた司祭ロドリゴは、
棄教すれば拷問を受けている信者を
助けてやると持ちかけられ、踏み絵に足を掛けた。
他人の苦しみのため、キリストを裏切ることを選んだ。

「踏むがいい。お前の足の痛さを
この私が一番知っている。弱者も強者もない。
強い者が弱い者より苦しまなかったと誰が断言できようか。
キリストを裏切ったユダの心も痛んだのやもしれぬ。
私は沈黙していたのではない。
一緒に苦しんでいたのだ」


私たちは救いを求めるが
おそらく神は上からあらわれて
私たちを救い上げる存在ではない。

最近読んだ「古代から来た未来人 折口信夫
/ 中沢新一著」に
「神々の構造のすき間を埋め尽くしながら
そこを霧のように浸し、流動している、別種の霊性」
ということばにであった。
このことばも私の中にぴたりとはまった。

古代から来た未来人 折口信夫 (ちくまプリマー新書)古代から来た未来人 折口信夫 (ちくまプリマー新書)
(2008/05)
中沢 新一

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神は中心であったり、頂点であったりしない。
私たちの間を自由に流れつづけているものだ。
それらは私たちの間に、そしてすぐそばにあるものだ。

与える、受けとる
の関係ではなく
もはやそれらとわたしたちは、
浸透膜のようなものを経て循環しあっている
と私は考える。

その循環しあっているエネルギーに
神という名がついている。
私たちはこのからだを浸透膜に
そのエネルギーと交歓しながら生きている。
私は「神」という存在をそう捉えている。
そして、もはやなにをもって「私」というのかも
わからない。
膜の内も外も一体だからだ。


見ることも、聴くことも
味わうことも、嗅ぐことも
触れることも
すべて交歓だ。

そして、それらを官能と言おうと思っている。
官能とは「感じること」。
神との交歓。


これまでも言ってきた
「気持ちよさに従う」
ということを
私はこれからこう表現していこうと思っている。


***********************

20111030-RIMG1088.jpg

12月の「Listenいわき」の流れで
2月11、12日と総勢22名でいわきを感じにいきます。
「Feelいわき」。
順調に準備が進んでいます。
とてもありがたいことだと感じています。

そして
2月の下旬から京都に戻ります。

またあらためて書きますね。

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