空模様

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Posted by チエ on  | 

観 自 在

ちょっと前に、
「今ある五感の中で、なくなってもいいと思える感覚はなんですか?」
という質問を受けて
そこからずっと感覚に集中する日が続いている。

なくなってもいいという質問が
ちょっと特異であって
「一つだけあるとしたらどの感覚をとりますか?」など
失うより得ることに希望を見いだせるような聞き方をしてもらえると
もう少し感じ方も違うのだろうけれど
なくすことは怖いことだとあらためて知らされる質問だった。
それからなんとなく「一つ一つの感覚」について
気になり続けている。


その時、私が出した答えは「視覚」だった。
見るということ。

今、五体満足に生まれている私は
どの感覚も失いたくない。
正直、どの感覚も失いたくはない。
でも質問を受けて、考えて
敢えて選ぶならば
失いたくない感覚を一つ一つ消去していくと
最後に残るのは「視覚」だった。

嗅覚、触覚
は仕事上のこともあるが
自分のカラダに嘘はつけない感覚だと思った。
つまり、これがある限りは
私はたくましく本能的に生きていける気がした。
次は味覚。
そして聴覚。
最後に視覚。


ふとするごとに、考える。
私がどこかの感覚を失う瞬間。
ここで、見ることができなかったら
聴くことができなかったら。
そして、そうではない。
私は、今、見ることも聴くこともできている。
なくすことを思えば、今あるありがたさが浮かび上がる。



先日のお客様は東京から来られた方。
その人の体に触れていて、
なんだか、泣きたいような気持ちになった。
悲しくて、じゃない。
細胞がざわざわと動き出して、突き動かされる感覚。
感覚全てが響いて共鳴しあう感じ。


いろんな記憶が繋がる。


先日読んだ本に、
「本質を理解するには、ひたすらみることしかない。」
とあった。
これは、古美術商を営んでおられる方の言葉だった。
古美術の真贋を見分ける、その目を持つに至る話だ。

みるということ。
それは、単純に「目に映るものを見る」ことではないのだろう。


そしてさらに記憶が繋がる。

私が屋号にしている「空」は
般若心経から引用したものである。
(般若心経から、というより
空は、いわゆる東洋思想と言われているものの根底に流れているものだが)
その般若心経で一番初めに出てくる「観」という文字。
観は、日本語だと「観る」になる。

「観る」と「見る」。

同じ「みる」と読むが、奥行きが異なる。
ここにある「観」とは、感覚を総動員することなのだろう。


においを嗅ぐ。
その中に「観る」がある。
カラダに触れる。
その中にも「観る」がある。


どの感覚においても、他の感覚全て含まれる。
私が仕事をしているマッサージの中には
触れること以外に
聞く、味わう、嗅ぐ、見る
すべてがあるように。
それを言葉で表したのが「観」なんだな。

般若心経に書かれているその意味に、
目から鱗が落ちる想いを抱いた時から
そしてこうして、マッサージしている自分をつなげる。
「ボディワーク」という新しい言葉に対して
どう説明していいかわからなかった頃の自分のことを思い出す。


その人に触れながら
「観る」ことがボディワークだった
とセッション中に落ちてきた。
ずっと感じていたことを、ようやく「コトバ」として
形にできた気がする。


私は、この数年間
ひたすら自分のことを観続けた。
カラダのすみずみ。
そして自分の感情。
とめどなく流れる思考。

自分がわからなかったから
見続けるしかなかった。

自分が言っていることを聞く。
鼻腔を広げて、繊毛でとらえる。
自分の熱を、手のひらで受け止める。
鏡に写る自分を平らな目で見つめる。
(こうして書き出していくと、失ってもいい感覚は、
「味覚」かもしれないと今思った。)

カラダの中にある、実際見ることのできない
血、肉、骨格、細胞の一つ一つに
意識を向けることが全て
つまりホディワークであって
観るということなのだ
と改めて気づいた。


私が般若心経を知って
そして目から鱗が落ちたあの衝撃は
こうして、誰かに触れるということに繋がっていた。

まさしく観自在、なんだな。

私が興味を抱き続けた般若心経(あえて仏教とは言わない。)
とボディワークのつながり。




今日来て下さった方は面白いつながりのある方。
縁ある人なんだろうなと思う。
先日、東京国立博物館で行われている「薬師寺展」に行ってこられたそうで
そこで販売されていたTシャツを着ていた。
仏像の手が前面イラストで、
手のひらの中には、目が描かれている。
イラストの下には英語に訳された般若心経。
その人に会って、初めに目がいったのがそのTシャツだった。
それを買うだけでも薬師寺展に行きたい
とまで思えるほどだった。

セッションが終わった後にそんな話をすると
「ホントに、この絵の手みたいでした。
その手のひらに仏を感じましたよ。」
と、思いもかけずのお言葉をいただく。



手のひらの中に目がある。
ブツ(ホトケさまという言い方、私はしない)にとって、
 観る
ということはそういうことなのだなぁ。
あらためて思う。
一つの器官にはそれぞれ感覚が宿っている。
単純に「五感」は「5つある感覚」だとは区切れないものなのかもね。


今、
言葉にしつくせない、
あふれる何かを
感じている。
この感覚こそが
私が、持ち続けていたいものだと思う。





やっと、ちょっと見えてきました。
見えてきたことを、ちゃんとコトバにして行こうと思います。
気功教室、また再開します。
気功、という枠を外したいと思ってます。
気功というイメージを取り払って
そして全てをつなげていきたい。
どんなものもベースに流れているのは同じ。
その根底につながるプロセスを伝えたいと思う。

そう。
入り口が違うだけ。

マッサージにもいろいろあって
ロミロミ、スウェディッシュ、タイ式、按摩とか・・・
ホントいろいろ。
でも、それらは全て入り口に過ぎない。
ありとあらゆるボディワーク全て。
でも、その名前でとどまってちゃいけない。
その手技を取得したところが頂点じゃない。
登っていく頂上はまだその先。

・・・頂上というか、根底というか、核というか。
本質、魂。
タマネギの皮を剥いていくようなモノ。



どんな芸術的表現手段も
それは同じだと思う。





私は気功を扉にして

「スローボティのススメ」

を広げていきたいと思う。






5月14日午後7時~定員になりました
5月24日午後3時~あと一名です
の予定です。
一回1500円です。
来られる方はご連絡ください。
メール、コメントでどうぞ。





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Posted by チエ on  | 4 comments 

パチュリ

私がこうして一人で仕事をするようになる前、
大阪の店で勤めていた時
ほぼ毎日、電車に乗って大阪の街中まで出ていた。

電車を降りて、大きな改札を抜けると
目の前に小さな雑貨店があった。
私は毎日そこに立ち寄って
サンプルで置いたあったオイルを手首に塗って仕事に向かった。

何度嗅いでも、その香りは私を捉えて離さない。
カラダの奥底まで深く届いてくる香りだった。

サンプルを塗るためではなく
ただその香りを嗅ぎたいと思っていただけだったのだが
欲望は抑えられず、手首にクルクルと塗って店を出ていた。
ある日、そこまでするのならと思い、ようやくそのオイルを買った。
本当はもっと早く買えばよかったのだが
出勤前のブルーな気持ちをその店でなだめる
ということが私には必要だったんだと思う。


ロールオンという先端に転がるボールのついた容器に入ったオイルの
その名前はパチュリだった。


パチュリは、墨液のような香りがする。
この香りをつけていたら、店の人から「書道の練習したの?」とよく聞かれた。
昔のシルク製品には、このパチュリ(シソ科の植物。見た目はシソによく似ている。)が
防虫の目的ではさみ込まれていたそうで、年配の方々には懐かしく感じられるそうだ。


精油は酸化がすすむので、フタを一度開けると
使い切るのはできるだけ早い方がいいと言われるが
パチュリなどは熟成していく香りなので、反対に年月が経てば経つほどいいとされる。
私はどうも、この年月を経て深まる類いのものに
ココロを奪われるようだ。


パチュリ、ベチバー、スパイクナード、アンジェリカ
私が土臭いシリーズと呼ぶ精油たち。
ウチに来られた方々には、必ず嗅いでいただく。
単体で嗅ぐと独特で、好き苦手がはっきりわかれる香りだ。

嗅ぐことで、肚が据わる心地がある。
地に足がつく。
アースする。
大地に繋がる。



香りを嗅ぎに雑貨店に立ち寄っていたあの頃、私は今よりずっとずっと不安定だった。
頭でっかちで考えすぎていた。
その不安定さに、「落ち着いて深呼吸しなよ」と言ってくれたのが
パチュリだったんだと思う。

今も大好きな香りだけれど、あの頃よりは使う頻度が減った。



昨日、久しぶりに
ロールオンに、オイルを入れた。
入れたのはパチュリ。
ロールオンでブレンドオイルを作るとしたらやはりパチュリだ。
手首に転がすと、あの頃のうっとりした心地がよみがえる。




気持ちを救ってくれる香りがある。
香りで、気持ちが変わる。

あの時のパチュリが、私の原点。






Category : 精油のこと
Posted by チエ on  | 2 comments 

本質を表す

今日は京都国立近代美術館に
秋野不矩さんの絵を見に行ってきました。
flyer363recto.jpg


雨で人も少なく、大きい絵を近くからも遠くからもじっくり見ることができました。
不矩さんの絵の、やわらかくて深い色が好きです。
見ていると心が躍りだします。
京都国立近代美術館のHP

日本人には
複雑なものを、削ぎ落として
シンプルに抽象的に
そのものの根底にある本質だけを表す独特のセンスがある
といいます。(今でもそうなのか、は不明ですが。)
不矩さんの絵には、そんな言葉にできない「本質、魂」といったものが
見えるような気がします。
けれど、これも言葉にしてしまうと陳腐でしかないようです。

5月11日まで開催されているそうです。
おすすめです。



Posted by チエ on  | 0 comments 

精油の販売 定期購入中止のお知らせ

ご無沙汰です。
前回の日記に書いた近江八幡行きの日の大雨ですっかり冷えきり
風邪をひきました。
この風邪は随分と長引き
ようやく通常の感覚に戻れたのが今週初め。

鼻と喉をやられて、嗅覚を失いました。
匂いを感じられないと、世界が色褪せますね。
何を食べてもあまりおいしくない。
それに全ての感覚がぼやけます。
鼻が利かないだけで、鈍くなった感じ。
やっぱり、「鼻が利く」って言い得て妙です。
(敏感で物を見つけ出すことなどに巧みである yahoo辞書より)
嗅覚がある喜びをヒシヒシと味わう
いい機会となりました。




さてさて話は変わり
精油の販売についてです。
実は先日、発注した分が届かないというトラブルがありました。
国際の保険付きの発送ではなく
スモールパケットというつまり普通郵便の形で発送されたようで
いつもなら10日もかからない到着が2週間過ぎても届かないので
心配して問い合わせたところ、
初めは、復活祭のお休みをはさんだから遅れているのでは?
と返事が来ました。なのでもうしばらく待つことにしましたが
4月に入っても届かないので、再度問い合わせ。
するとどうも紛失してしまったようだとのこと。
どうなるのかと思ったら、ちゃんと再送してくれるそうな。
いやー、太っ腹。
なかなか対応もよくてありがたく思いました。

先月発注の皆さん、もうしばお待ちくださいね。。。


で、考えたのですが
やはりこういうトラブルはあるものなのだな、と。
先月張り切ってショッピングカートを作ったものの
私が発送する側で同じトラブルがあったら
対処できそうにありません
なんせ弱小家内制なので・・・


というわけでたった数回の受注でしたが
精油の定期販売は中止することにしました。
これまでご購入くださった方、また検討中の方
ごめんなさい。

ただ、私は自分のところで使うオイルは
この会社のものを継続して使っていくつもりですし、
2ヶ月に1度程度は発注すると思いますので
急ぎじゃない方のご注文はよかったらご一緒に承りますよ。

また注文する日が決まったらこちらでお知らせしますね。

Category : いつものこと
Posted by チエ on  | 0 comments 
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