空模様

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Posted by チエ on  | 

鍵がない

東京から戻りました。
充実した5日間でした。
お世話になった皆様、本当にどうもありがとう。

*******

昨夜、飲んで帰宅。

今朝、でかけようとしたら鍵がない。
一生懸命探してもない。
このままでは遅刻だ。
ええい、ままよ
と鍵をかけずに出かけた。
ちょっとした買い物ぐらいなら
たいてい鍵はかけずに出てしまう。
なぜなら、ウチはとても開閉にてこずる鍵なのだ。
どうも噛み合わせが悪いらしい。
めんどくさいから
そんな理由だけで鍵はかけずに出る。
施術中もかけない。
でも、誰かが扉を開ける様子もない。
まぁ、いいや
きっと今日も大丈夫
と根拠のない自信で出かけた。


案の定、昼過ぎに帰宅しても
何事もなかったが
はて、それにしても鍵はどこに行ったのか。

探せども探せども姿が見当たらない。
昨夜は確実に鍵をかけて出かけたし
開けて入ってるのだから家の中にあるのはあるのだろうが
ない、ない。

実は、
私は鍵を開けてそのまま抜かずにいたことがある。
朝、ゴミを出す時に、鍵がぶらさがったままだった
ということが何度かあった。

昨日もそうだったのか。

しかし今朝は扉に鍵はぶら下がっていなかった。


誰かに持っていかれてしまったのだろうか。
なーんて平然と書いてるけれど
そうだとしたら恐ろしい。


ああ、そうそう。
鍵はね、一本しかないの。
合鍵はね、亡くなった彼が持っていたから。
あのヤロー、返さずにいなくなりやがって
とずっと思っていたけれど
今日もまたおんなじことを思ってしまった。



でも、鍵の噛み合わせも悪かったしな。
鍵を開ける時、いつもストレスフルだった。
このまま開かなかったらどうしようと思うこともしばしば。

ネットで検索して鍵をかけかえてくれるところを見つけて
きてもらうことにした。

15000円もかかるんだって。
うう、あいたた。

この後、もうちょっとしたら来てくれるって。


それにしても、鍵。
昨夜、私はどうしたんだろうなぁ。
そんなに飲んだつもりはないんだけれどな。


などと書きながら
一仕事終わって、ビール飲んでます。

ホンマ、酔いどれですなぁ。



追記:
その後、付け替え作業終了。
すばらしくなめらかに開閉できる鍵になりました。
わーい。

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Category : いつものこと
Posted by チエ on  | 5 comments  0 trackback

みつゆきくんのハープ

ハープ奏者のおかべっちみつゆきくんも
東京に行くそうな。

東京近郊の方、よかったら
彼のハープを聴きに足をお運びください。


******

5月26日
13:20~15:20
場所は東京都中野区のZEROホール。
http://www.nakanoku-town.com/map/nk002601
(中野駅から徒歩10分弱)

参加費は食事代込みで3000円です。

みつゆきくんの言葉から

自分を癒していく決意は自分しかできないな、
扉をあけていくのは自分だなと思います。

ひとりきりになれる音楽を、
おたがいがひとりきりになる時間を。

ハープはたき火であり、大木であり、せせらぎでもあり
忘れていた感覚を呼び覚まします。

******

私はその時間は残念ながら行けないのですが
ホント、オススメなので
時間があれば、というか時間作ってでもゼヒ。


mixiされてる方はコチラからお問い合わせを。
当日飛び込みでも大丈夫だそうです。
別にスペシャルなことがあるというわけではありませんが
みつゆきくんに、チエのブログを見たと言って下さったら
いいと思います。


Posted by チエ on  | 0 comments  0 trackback

おやすみします

24日から29日まで東京へ行くため
お休みいたします。

その間、メールチェックはできますので
何か御用があれば、メールでご連絡ください。
ホームページにアドレスは記載しております。

携帯、PCどちらへでも結構です。
お急ぎの方は携帯へどうぞ。

ではでは、行ってまいります。

荷造りしなくちゃ・・・。

Category : いつものこと
Posted by チエ on  | 0 comments  0 trackback

若冲

今日は相国寺。
芸術鑑賞ウィークである。

若冲を見に行ったのだけれど
えらい人やった。

宮内庁三の丸尚蔵館に収められている動植綵絵と
相国寺所有の釈迦三尊像が120年ぶりに会する展示。
本来は一体として見られるべき動植綵絵と釈迦三尊像。
また動植綵絵33幅が一度に展示されること。
相国寺にとっては意味あることではあるが
(この相国寺承天閣美術館の展示室は
この33幅を飾るために設計されたそうな。)
ただ絵を見る、という目的だけだと
なんだか疲れるだけかも・・・
人多いから遠巻きではよく見えないし
若冲の絵は本当に微細で
動植綵絵などはあまり近くで見すぎると疲れる。
(全然進まないからじっくりと見ざるを得ない(笑))
あ、私は、ね。
前回のプライスコレクションの時もげっそりしたんだった。
忘れてたよ。

久しぶりに会えた釈迦三尊と動植物たちの喜びを
なんとなく感じ取る
というだけでよいのかもね(笑)

・・・にしても1500円というのは高くないですか・・・?




私が一番好きな若冲の絵は果蔬涅槃図。
(今回の展示には出てませんよー)
若冲の墨絵作品、好きだな。
kasonehann1.jpg


この絵は京都国立博物館で常設されていることだし
もっとラクに若冲の絵を楽しめる。
「若冲の絵」を見たいのならばこちらのほうがオススメ。
一同に会することに意味を見出すならば、相国寺へ。

さてさて、芸術鑑賞ウイークはまだまだ続きます。
(私にとってはまさにゴールデンウイークだ)


Category : 京都
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平成の坂田藤十郎

じゅんこさんに誘っていただいて
京都造形芸大へ「平成の坂田藤十郎」というドキュメント映画
見に行ってきた。



なかなか踏み込めずにいた歌舞伎の世界。
映画からの一歩だけれど、本当におもしろかった。
うまく言葉にできずもどかしく
日本という地は、本当にすばらしいモノを持っているのだなぁ
とあらためて思うのが精一杯。
映画だけでもこんな気持ちになるのだから
実演を見たら、その気に触れて
ビリビリしびれてしまうような気がする。


近松門左衛門が残した
虚実皮膜(きょじつひにく、と読むそうだ)の論。

芸というものは、実と虚との皮膜(ひにく=皮と肉)の間にあるもの
皮膜の間というのはここにある
虚にして虚にあらず、実にして実にあらず。この間になぐさみがあるもの

「創作においては、事実を完全に描写するのではなく、多少事実と外れるところがミソ」
ということだそうだ。

そういや、先日行った、松園・遊亀・不矩でも
学芸員が学生に絵を解説するのに
「そのまま写実的に、デッサンするのではなく
少しずらして描くというところに見た目の面白さが生まれます。」
というようなことをおっしゃっていたのを、横で聞いて
なるほどと思ったけれど、それと同じ感じだな。


この「あいまいな」感じ。
虚でもなく実でもなく、というのは
先日もちょっと書いた
うすらぼんやりと見る感覚
というのと同じ気がする。



立て続けに、同じような話を
そこここで聞く
ということは、みなさんにはありませんか。

私はここのところ、根っこは同じこと言ってんだな
と思う話ばかりを耳にする。


男が遊女との恋におぼれて
金銭も身をも投げ打ってしまう哀しさを
おもしろみにも変えてしまう。
はぁぁ、なんだかおかしくも切なくて身震いする。
(こんな歌舞伎の心中もの見たら、
そりゃ心中がはやってしまうだろうな
と思った。
実際、心中する人が増えて、一時上演禁止令が敷かれたそうだ。映画外の話。)

自分の人生も、こんなふうに
とらえられたらいいだろうな。
・・・うーん。
自分が死んでからしかできないか・・・(笑)


このドキュメントを見る前に
この造形大で宗教哲学を教えてらっしゃる
鎌田東二さんという方にお会いした。
じゅんこさんのお知り合いで、偶然バッタリ。
「モノ」を通して日本人の感性を探る
「モノ学・感覚価値研究会」を立ち上げてらっしゃるそうだが
ほんの少しお話をうかがった中に出てきたこと。

「モノ」が単なる「物」ではなく霊性を帯びた
「いのち」を持った存在であるというふうに見ること。
なぜ「物語」といったり「もののあはれ」というような言い方をするか
ということ。

・・・これまただ。


話がイロイロ飛ぶが
昨日は、おかべっちのハープを聴きに行った。
ギターとホーミーを歌う清火(さやか)くんとのジョイント。
彼らの、なんだか魂に響き届く音に
私は自分のマッサージに対する想いもリセットしよう
と思ったのだ。

 魂に響く
 魂の入った
 仕事をしよう

今までも決して手を抜いていたわけではないけれど
ここのところ、「魂」について考える。

 本物の仕事をしなければ
 本物の人には出会えない

リンカランという雑誌の別冊で
「産んで育てる、自然な生き方。幸せいっぱいの出産、喜びの子育て」 
という本が出ているが
その中の、吉村医院という奇跡的な産院の特集に出てくる言葉。

そのおかべっちのハープと清火くんのライブは
でみさんという広島に住む方の写真の展示に合わせて行われたのだけれど
でみさんの写真も、光をとらえたとてもきれいな写真だった。
私が「ホントにきれいな写真ですね。」と言うと
でみさんは「受け取るあなたがそう感じようとしてくれているからよ。」とおっしゃった。
「カメラのことも写真のこともよくわからないの。
ただ私は受け取っているだけ」とおっしゃっていた。


 魂を、込める。
 そして、それを受け取る誰かがいる

そんなつながりを、ずっと感じ続けていたい。


ここ数日、同じような言葉を聞くのは
何か、私に対するメッセージなんだろうなと思う。



坂田藤十郎の襲名は231年ぶりなのだそうだ。
故人は、その人を偲ぶ人がいなくなった時に
本当に死するという。
そういう意味では、坂田藤十郎、まさしく魂の復活だな。
なんて、偉業をなした先代に対して
私が言うべきことでもないだろうが。


23日、同じく造形大の春秋座にて行われる
公演も見に行くことにしてしまった。
無料で参加できるシンポジウムにも行くことにしてしまった。

あの響きをライブで体感できるなんて
ホント、今からとっても楽しみ。


それにしても、久しぶりの学校。
造形大、すごいな。
学校って、楽しそう。
今さらに、こんなところで学んでみたいと思う。
・・・何を?(笑)

いやー、贅沢だなー。
うらやましいなー。


Posted by チエ on  | 5 comments  0 trackback

松園・遊亀・不矩

前から気にはなっていた滋賀県立近代美術館に行ってきた。

今、気になる展示がイロイロ。
万博にある民族博物館の「聖地巡礼」
相国寺の「若冲」
東京でやっている「ダヴィンチ」
そして忘れかかっていた「松園・遊亀・不矩」。
じゅんこさんに「よかったよ」と言われ
ああ、そうやん、コレも行きたかったんだ
と思い出すぐらいの健忘症な私。

今日の一日に、どれに行きたいか
カラダと相談してみる。

民博は行きたいけれどな・・・
若冲って感じではない。
若冲はなんだか心身ともに元気じゃないといけない感じ。
民博と迷って、やっぱり滋賀美にした。
大阪に行く気分じゃないな、と。
そして、やさしい絵が見たかった。

車でドライブがてら、瀬田まで。

松園・遊亀・不矩
ああ。
本当によかった。
行ってよかった。

やっぱり、画集で見るのとは全然違う。


その繊細な筆遣い。
色。
魂入ってるなぁ。

特に不矩さんの絵には
エネルギーもらった。


なんだか
もうね、物事を分けて考えるバカバカしさ。
そういうの、どうでもいいやん
って感じ。

こっちが光で影で
って分けて考えている間に
太陽は刻々と位置を変えて
光も影も元の位置にない。

男も女もそうなんじゃないかな。
善も悪も
生と死さえも。

ただ、人間が考え出した記号に過ぎなくて
もともと一対なんだからさ
分けて考える方がおかしいんだよね。

それでも、女性が画家として生きることに苦難が多かった時代、
生涯や創作への心持ちの揺るぎなさが3人に共通するがゆえに
副題には「松園賞・文化勲章受賞の女流画家たち」とあるけれども
きっと、彼女たちには「女だから」とか「女でも」もなくて
ただ一心に絵を愛しているという想いだけだったんだろうな。

ものごとを見つめる豊かな目。
受けとめる。慈しむ。放つ。
それがオンナなんじゃないかと思う。


滋賀県立近代美術館周りは
なかなか気持ちよく整備されている。
庭園もあって、茶室もあって。

久しぶりに写真を撮る。
たんぽぽの綿毛。
いやー たんぽぽの綿毛も宇宙だねぇ。
http://ametsuchi.exblog.jp/
tanpopo.jpg


帰りは宇治周りで
車の運転も楽しみながら帰宅。

曇り空ではあったものの、気分が晴れた一日。


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今日の教室

さっき途中まで書いたところで
誤ったボタンを押してしまい
書きかけの記事が消えた。ショック。

気を取り直してもう一度・・・書けるかな。
概して、一度目と同じような表現ができなくなるのだけれど。


月曜日は高槻天神山での気功。
この時期は呼吸器系の調整がポイントだというお話を伺う。

横に寝転がって、まず両膝を抱えるようにしながら
脚をゆっくり上に上げていく。
手で足首を支えながら、太ももの裏側をじんわりと伸ばしていく。
ピンと張る必要はない。
膝が曲がっても構わない。
重要なのは、太ももの裏側が気持ちよくじんわりと伸びていく
という感覚だけ。

しばらくじんわり伸ばした後は
ゆっくりと両脚を下ろす。
今度は片足ずつ。
やはり太ももの裏側をじんわりと気持ちよく伸ばしていく。

もう一度、両脚をゆっくり上に伸ばしていく。
ゆっくり、じんわり
太ももの裏側が伸びていく。
無理はしない。気持ちよさを感じていく。

しばらく伸ばして
ゆっくりと両脚を下ろしていく。
床に落ちる寸前でとめて、しばらくその状態をキープし
そして一気にかかとから両脚をドスンと床に落とす。
自然に息が入って脱力。

横になった状態で、おなかの裏側が反って空間ができ
手が入るぐらいだと調整成功。

そのままゴロンとうつぶせになり
腕と脚を引き寄せるようにして起き上がる。
仰向けのままエイッと起き上がると腰に負担がかかるゆえ。

起き上がり正座をしてみて
腰がスッと伸びて、胸の辺りが開いていたら大成功。
肩が前に落ちていたり、反対に後ろに反りすぎていても
息は肺の中に入ってこない。

腰がスッとのびる感じがとても気持ちいい。
太ももの収縮で、胸襟の開閉も変わってくることを体感。

今日の教室は
先生の話と絡めて
私が仕事で使う精油の話もしてみた。


私が普段、仕事で使う精油は
簡単に言うと、植物が持つ香りを水蒸気蒸留という方法で集めたもの。
アロマテラピーはこの精油を使って
心身のバランスを整えようとするものだけれど
おもしろいなぁと常々思うのは
肉体と、その香りが得られた部位とが呼応しあっているということ。

例えば、花の精油。
花は受粉して実をつける器官だから
生殖器にあたるわけだけれど
これら花々の香りは女性の月のリズムにそっと寄り添ってくれるものが多い。
そして、葉の精油。
昔、理科の授業に出てきたから覚えてるかと思うが
葉には気孔という器官がある。
これが口の形をしているのだけれど、ホントこれは呼吸器。
樹木の呼吸を蒸散というんだよね。
その葉から得られた精油たちは、気管支や咽頭などのトラブルに有効的なものが多い。
もう一つ、根の精油。
泥臭いような重い香りのものが多くて、少々マニアックだけれど
私はコレらが好き。
地面にアースするような感覚。
しっかりと地に足を着け、深く落ち着く心地がする。


今の時期、呼吸器系の調整という話で
ふと思ったのは
まぶしい新緑、勢いよく伸びている葉たち。
樹木たちも、呼吸器を発達させて
夏に向けた準備をしているのだなぁ
ということ。


人間のカラダも、
樹木たちのように見える形での変化はないけれど
この時期は樹木たちと同じように
体の中では見えない葉が伸び広がっているのだろう。

なるほどなぁ。

昨日の先生の話と絡み合わせて
上記のような、私が感じた話をして今日の教室は終わった。


以前は、自分がリードするよりも
先生に従っているほうがラクだ
と思っていたけれど
最近は、自分の動きたいように動ける、
持たせてもらえている教室の後が本当にラクになれる。
そりゃそうだよね。
自分が整うように動けばいい、
リーダーの役割なんてただそれだけなのだから。

去年の7月から持たせてもらって
まだ一年には満たないけれど
ずいぶんといろんなことを学ばせてもらっているな。

教室のみんなの顔も本当につるつるとしていてきれい。


「常に伸びている、成長している人がリードしていける」
これは、気功の学校という講座で
よく先生がおっしゃること。

わかった、と思う時点で終わっちゃうんだなぁ・・・。


根から水を吸い上げ
勢いよく伸ばした葉っぱで息をする。
そして、ゆっくりと花を咲かせ
豊かな実をつける。
そして他者に与え、種を落とし
地に眠る。

私もかくありたいね。

自然が先生
とはまさにこのこと。



あ、そうそう。
「気功入門」という本を
どなたかに貸したのですが
誰に貸したのかすっかり忘れてます。トホホ。
はよ返せ、というわけではなく
誰に貸したか思い出せないのが気になっているのです。
覚えのある方は、お声をください・・・(_ _ゞ

Posted by チエ on  | 2 comments  0 trackback

なんとなくそんな感じの詩

ピアノの調律は
平均率といわれる方法で行われるそうだ。
簡単に言えば、下のドの音を100サイクルとしたら
オクターブ上のドは倍音で200サイクルとなる。
ドからオクターブ上のドの音まで12の鍵盤があるので
12等分に割り振って音階を作ることとなる。
100を12で割っても割り切れない。
できる限り理論上純粋な間隔の音階を作ろうとすれば
純正調でオクターブ間の鍵盤は20個の鍵盤と46の音が必要になるという。
これでも完璧ではないそうだ。
また実際に演奏しようと思っても無理。
平均して割り振って音階を作ったのが平均率音階なのだそうだ。


物事を理論で説明しよう
というのも無理な話なのだと思う。
捉えたつもりでも、完璧じゃないのだ。
絶対じゃないのだ。

宇宙のことも、近くまではいけるかもしれない。
でも、本当にのことはわからないのだ。

人間はどこからきてどこへ行くのか。

古代の哲学者たちは、詩を詠んだのだ。

言葉で説明できないことをわかっていて
はっきり言い表さず、詩にしたのだ。

哲学者は詩人だ。



もともと「ただそこにあるだけのもの」を、
分けて考え、きっちり説明しようとしすぎて
こんなにも私たちはバラバラだ。


全てにおいて、なんとなくそんな感じ
でしかないのだ。
私たちにできることは。

凝視してはいけない。
なんとなくぼんやりとしてみるのがいい。

なんとなくそんな感じ、なのがいい。
なんとなくそんな感じ、でいい。

Category : いつものこと
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おかべくんのハープ

おかべっちという、アイリッシュハープを弾く友人がいる。

おかべっちと出会ったのは2年前。
友人が主催するイベントで
おかべっちがハープを弾き
私がアロマの話とエサレンセッションのデモンストレーションを行った。

多分、半年にわたる企画の段階からイロイロ話をしたのが
なんとなくお互いの心に残っていたのだろう。
友人を介さなくても、会えるようになった。
私の家でもハープを弾いてもらった。
去年の9月には
五島列島の宇久島で開かれたコンサートにも同行した。

2ヶ月前に亡くなった私の彼も宇久島についてきていて
ただ彼は単純に私についてきたかっただけなのに
スピーカーから聴こえる音をバランスよく
生音に近い状態に響かせるミキシングという仕事をプロとして生業にしていたので
そのハープコンサートのミキシングを担当してくれた。
リハーサルで聴いた音と、ミキシングをした後の音では
まるで違っていて、私は彼の仕事をそこで初めて理解したのだった。

宇久島で過ごした日々は
私にとっては色褪せることのない甘い思い出だ。


彼が亡くなって
少したっておかべっちがウチに遊びに来てくれた。
おかべっちと彼が接触していたのは2日間だけだったけれど
おかべっちは彼のことをよく理解してくれていた。
涙もなく、淡々と彼の思い出話ができた。

5月6日にある気功の講座でハープを弾いてみないか
と私が持ちかけ
そして、先日、山科であった講座で弾いてくれた。

おかべっちのハープは
本当にやさしい。
音も粒子なのだと、改めて気づかせてくれる。
オイルが肌に染み込むように
おかべっちが奏でるハープの音も
粒子となって、カラダにしみわたる。

おかべっちのハープを聴くのは
その宇久島以来で
島での情景が思い出されて、ポロポロと涙が出た。


来月、またおかべっちは五島の島で
ハープを弾くという。
私も一緒に行くことにした。

長崎は何かと縁のあるところ。
2ヶ月前にも訪れたのだけれど
ずいぶん前のような気もする。


今月末は東京へ。
来月は島へ。
なんだか巡礼の旅みたいだ。
私の旅は、ただの旅では終わらない。
旅としての「時間」は短いけれど
いつもとても濃密だ。
時計の針が示す時間と
「時」は全くベツモノなのだ。


五島列島の中の
無人島となってしまった野崎島にある教会でのハープの音
楽しみにしている。
きっと、私の亡くなった彼も聴きに来ることだろうと思う。



*******

おかべっち(いや、彼は「みつゆき」という名前の
アーティストなのだけれど・・・私の中ではおかべっちなのだ。)こと
おかべくんの音はここで聴けます。
http://www.little-healing.com/

水脈というCDは私も時々セッションに使っています。

いつのまにベスト盤(¥3000)を出したらしく
それをウチでも取り扱うことにいたしました。
発送もいたしますので
お問い合わせくださいマセ。

********

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極楽

今日は、エサレンの同期生サトミンが
マッサージしてあげるよ
と言ってくれてるのに甘えて
彼女がいる朝潮橋のサロンへ行って来た。

マッサージ、受けるのは久しぶり。

どちらかというと、
マッサージをすることで自ら整ってしまう私は
誰かのマッサージを受けに行くということは
滅多にないのだけれど
ここんところのゴタゴタバタバタが
少し落ち着いてきたら、やはり疲れがドンと出てきて
カラダが緊張状態にあったのと
また昨日のバイト初日の疲労もあったし
実にタイムリーに声をかけてもらえてありがたかった。


自分で自分をマッサージできたら一番いいなと思う。
でもまぁ、そういうわけにはいかず
誰かに身をゆだねることもたまには必要なのだけれど
ああもう☆※○×、と言葉にならないような
マッサージにはなかなか出会えない。
私が信頼している「手」を持つ人も、数えるほどしかいない。
(もちろんすばらしい「手」を持っている人は
たくさんいらっしゃるのだけれど、
私、結構緊張体質なので、ホントに心から身を委ねきるのって
ムズカシイのよね・・・。)

サトミンとはやはり寝食を共にした仲でもあるし
私のダメさ加減もよく知ってくれているので
緊張することなく肌をさらせるし
本当に暖かかで包み込むような手をしていて
今日も、丁寧に体に触れてもらえて
じんわりとカラダが喜んでいるのを感じることができた。

こうしてカラダを丁寧に扱ってもらえるって
本当にうれしいことだな。


うつらうつらと意識は行ったりきたり
心地よいリズムと自分の中の波の音を聞きながら
私自身のマッサージにもフィードバックできる
暖かさをもらった。
シアワセ。
ありがとう、サトミン。



帰りは、大阪駅で降りて
カンテでパンを買い、ジュンク堂に行き
昔、この辺りで勤めていた時に仕事帰りによく立ち寄った
立ち飲み焼き鳥屋でビールと焼き鳥を食して帰宅。
ああ、これだけはすまいと思っていたけれど
とうとう一人で立ち飲んじゃったよ。


yakitori.jpg

yakitori2.jpg



いやー 極楽、極楽。

これで温泉でもあれば言うことなしだけれど
家のお風呂にゆっくりつかって
今夜ははよ寝ます。

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小料理屋deバイト

今月から小料理屋でバイトすることにした。

家計の足しに
というわけではない。
週一4時間なので、
そんなレベルの収入にはならない。


喫茶店(昔はカフェなんて言わなかった)では
いくつかしたことがあったけれど
昔から、居酒屋バイトは憧れだった。

こんなふうに、独立してマッサージの仕事をするようになり
まさか、今になって小料理屋でバイトなんて
確かに憧れではあったけれど、実際するとは思ってもなかった。


先月、たまたま寄った店がこじんまりとしていて
なかなかいい雰囲気で。
手作りのポテトサラダもおいしくて。
さりげないこだわりも垣間見られて。

私たちが入った後、カウンターがうまるほどの来客があり
女将さんが忙しそうにしていて
なんだか手伝いたいなぁと思ったら
壁のすみっこに「バイト募集」の紙が貼ってあった。
なんだか働いてみたいなぁと思った。
けれども、その日は何も聞かずに
本当にやりたいのか一晩寝かそうと持ち帰った。

一晩寝て、
やっぱり、やりたいと思ったことはやってみようと思った。
もうそれしかない。
「やってみたいって思ってるんだよねー」
では終われない。
数日後電話した。


今日が初日。
緊張した。
この感覚は久しぶりだ。

でも楽しかった。

男の人はかわいいなぁと思う。
お客さんとの対話は、大阪で勤めていた店で鍛えられたな。
酔客の戯言を聞くのが好きだ。
なぜなら私も戯言をしょっちゅう言っているから。


「チエちゃん、美人やねぇ。
お近づきのしるしになんでも好きなもん飲みぃ」
と言っていただき、女将さんに
「近づいてもらっては困ります」と言われながらも
「カウンター越しのお近づきをよろしく」と
お客さんに、ビールを一杯ごちそうになった。
ありがたきシアワセ。

酔客を手の平で転がしているように見えて
実は手玉に取られているのは私のほうかもしれない。
いかん、いかん(笑)


単なるバイトじゃない。

別にこの先、小料理屋がしたいわけでもないが
私には、これも、大きな勉強なのだ。
「ヒト」を見たいのだな。
カウンター側とカウンターの向こう。
見えないネットワーク。
導線。
押して引いて、Whole。
これもまた陰と陽、光と影の関係と
とてもよく似ている。
二つで一つ。


なんかわからないけれど
これも直感だ。
スルッと流れていく方向にただ身を任せる。
これだけでここまで来たから、きっと間違いはない。


高槻のTという小料理屋にいます。
また慣れたら、のぞきに来て下さい(笑)



Category : いつものこと
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高槻ジャズストリート

私のコレまでの人生の中で
一番長く住んだ町は実家のある大阪の豊中で
次に長いのは高槻。
けれども豊中には愛着がない。
もちろん実家に帰るとそれなりにホッとはするのだけれど
なんだかなぁ、カラダのフィット感がないのだな。
豊中という地に。

高槻は、いい街だなぁと思う。
10年住んだ街。
駅前の商店街、城下町の名残を残した町並み
駅から外れると、長閑な風景が広がる。
正確には私が住んでいたのは
隣駅の摂津富田だったけれど
摂津富田も酒蔵が残るいい街だった。


その高槻で毎年行われているジャズストリート。
もう9回目になるらしい。
なんとこのイベントは、全てチャージフリーだ。
しかも一個人の主催からスタートしている。
全く儲けにはならないまま、規模は大きくなり
赤字ばかりが増えるイベントが
なんと9年も続いている。
すごいことだと思う。
駅前の広場、公園、ホール、駅周辺のいろんなお店
40箇所を舞台にジャズ演奏が繰り広げられる。
全てこれが無料で聴けるなんて、こんな夢みたいな企画が
ここ高槻で繰り広げられているなんて、行かない手はない。
(・・・と言いつつ、見るのは5年ぶりぐらいなのだ。。。)

夕方、キハラさんと待ち合わせして高槻へ。
本当は見たいユニットがいたのだけれど
ホールはとんでみない長蛇になるらしく
あきらめて、まずは青空の下、市民広場で
ビールを飲みながらBigband観賞。
気持ちよかったーーー。


ここでおなかがすいたので
腹ごなしに焼トンの店へ。
豚肉の串焼きが食べられる
というか、メニューがこれしかない
という少し変わった店。
ここも行くのは8年ぶりぐらい・・・。

気持ちよく飲んで食べた後は
教育会館の研修ホールでBigband。
最後は、JKカフェでカッコイイBluesを。
私の真横をフライドプライドのお二人が通って行ったよー。
ライブは見られなかったけれど、ちょっとウレシイ。


ああ、堪能したー。
やっぱりええなぁ、音楽は。
ジャズのイベントだからか、
男性で年配の方の参加率高し。

舞台に立っている人も楽しげで
道行く人の顔も楽しげで、
こういうのを一生懸命になって作り上げる人がいる
高槻はええ街やなぁと改めて惚れ直し
帰路に着いた。


明日はローリーが出るのだとか。
高槻名誉市民だからか?(笑)
聴いてみたいぜ・・・。
行けないのが残念。


来年はお弁当持って、一日中、市民広場でもいいなぁ。
・・・って、来年の今頃は私はどこでどうしてるんだろうか(笑)



5月4日

今日の仕事が急遽キャンセルになった。
キハラさんが、絶妙のタイミングで
今日も聴きに行くとメールをくれたので
私も行くーと返信した。

市民広場で青空とビール。最高だった。
ジャズのイベントで、なぜか琉球太鼓も聴けて
(ジャズの始まりがドラミングから来ているといっても。)
カチャーシーも踊れて、気分は沖縄へ。
すっかり心奪われてしまった。

やたら常連客がうるさい店で小腹をみたした後
やはり今夜もJKカフェで締めくくり。
ふかふかソファに体をうずめ、音に身を委ねた。

今夜もいい夜。

jazz.jpg

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願いは叶えられる

久しぶりにのぞいたゴスペルの先生の日記に
こんな詩が書かれていた。


*********


「ニューヨーク州立病院の 
リハビリセンターの壁に
残されたある患者の詩」



大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと神に頼んだのに

謙虚を学ぶようにと弱さを授かった



より偉大な事ができるようにと
健康を求めたのに

より良きことができるようにと
病弱を授かった



幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった



世の人の称賛を得ようとして
成功を求めたのに

得意にならないようにと
失敗を授かった



人生を楽しもうと
沢山のものを求めたのに

むしろ人生を味わうようにと
シンプルな生活を与えられた



求めたものは
一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた



神の意に
添わぬ者であるにもかかわらず

心の中で言い表せないものは全て
叶えられた



私はあらゆる人の中で
もっとも豊かに祝福されていたのだ


**********

私も願ったことは
全て叶えられていると思っている。

きっと、亡くなった彼も
今はそれを得たことだと思う。




Category : いつものこと
Posted by チエ on  | 6 comments  0 trackback
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