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シンプルなスープ
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2006/12/29(Fri)
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前の晩に、次の朝食べるためのスープを作る。
私のスープは「飲む」というより「食べる」。 野菜と豆がどっさり入る。 明日のスープは、金時豆と銀手亡を入れる。 紅白の彩りがきれい。 セロリを入れると本当においしい。 (そんなの、みんなにとってすっかり既知のことなんだろうけれど) 既成のスープストックを使わずとも、いいダシがでて 塩だけでもとても深みのある味になる。 お正月は、これにもちをいれる雑煮もいいかもしれない。 みなさんのところはどんなお雑煮ですか。 毎年、この時期になると出てくる話題。 ウチは、両親が愛知県三河の生まれなので すましに角モチ。 菜っ葉とかまぼことわずかな鶏胸肉が入る程度で シンプルな雑煮。 白味噌に小芋が入るのも好きだなぁ。 大掃除をして台所と冷蔵庫がスッキリした。 年末感が高まる。 一年も終わりに近づくこの時期は ほんの少し神妙になる。 この時期の色のイメージは、鈍色。 深く濃い、にごったような青。 大晦日の空の色。 その色の中に一秒、一秒が吸い込まれていく。 31日まで仕事をして、その後はゆっくり過ごす。 本当にいい一年だった。 私史上、最高の一年だったと思う。 コトコト煮込まれていくスープをみながら思う。 シンプルで、深みのある日々を これからも送り続ける。 |
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フラクタル
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2006/12/23(Sat)
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インターネットの中で繋がっていくのって
神経細胞の樹状突起の形成によく似てる。 今さらめんどくさいなぁ とちょっと前まで思ってたmixiも 最近は、これはすごいツールかも と改めて思ったりしてる。 ネットの中って 顔が見えない世界だから 悪用はいかようにもできるけれど こうして、ネットワークが形成されていくこと その動きが加速していく様 を見ているのは本当に興味深い。 一昔前に流行った「みんなつながっているねー」 なんて言葉は、もうそんなのアタリマエ。 一目瞭然、電光石火。 繋がるべきところには繋がる、 それが当然、な世界になっていく。 ある時空に向かって動きが加速していく と言っていた人がいたけれど それが今のこのweb2.0な世界のことなのね、きっと。 使う機械は無機質でも、これはあくまでツールで そのツールの扱いは人間次第。 ネットの中は有機質だ。 確かに、これは新しい可能性だと思う。 芽が出て、樹が育って葉を伸ばして やがて枯れていく様と人間の一生はまるで同じだ と今ではアタリマエに思うことに気づいた幼い時。 この宇宙を構成するものは全て共通する法則を有しており、 全ての根本は同じだと感じた時。 フラクタルという言葉が 以前読んだ中沢新一の本に書いてあって それから私の口からはよくフラクタルという言葉が出てくるようになった。 不規則の中の規則。 無意識の中の意識。 この世をなす全てが美しいのって ニワトリが先か、卵が先かって感じ。 |
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Mac
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2006/12/22(Fri)
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秋頃から調子の悪かったパソコン。
隣の大家さんにハードディスクを入れ替えてもらったりして なんとか使ってきたけれど ここのところまたとみに調子が悪い。 ひゅぅぅぅんという音とともに突然落ちる。 先日、気功協会でお役ごめんとなった ブルーのiMacをタイミングよくいただけたので なんとか急しのぎ。 (タイミングよくというか、iMacをいただくことになって 調子の悪さが加速した。 ・・・もしかしてさみしがってる?) この日記は久しぶりにおそるおそる立ち上げたwinから。 10数年前、会社勤めを始めて、 初めて触ったパソコンがDOS-Vで その後、Windows95の登場によりパソコンに興味がわき 自分でwin機を購入。 macを使う人に「windowsなんて」と言われても 初めてみたパソコンがDOS-V→windowsだったんだから しょうがない。というか、アタリマエ。 パソコンの調子が悪くなって 次に買うのも当然winに決まっている という感じだったのだけれど 先日i-macをいただいたことで ちょっと考えが変わってきている。 winに慣れてきっているので 簡単と言われるmacの扱いも右往左往な感じだけれど とりあえずネットには接続できてるし 画面のシンプルな感じもやっぱりステキ。 microsoft社のソフトも、macバージョンは 色遣いさえシンプル。macは全体的にcoolですなー。 いやー、でも このwinのジャンクな感じも (macに比べて) 慣れているせいだと思うのだけれど しっくりくるのよね。。。 ブロイラーチキンに慣れすぎて 地鶏よりもブロイラーチキンのほうがおいしい と言ったりするのによく似てる。 なんにしても、このwinがやっぱりだめになるのは 時間の問題だと思われるし いただいたiMacでは、できることに限界がある。 近いうちに新しいマシンを買う必要がある。 ずーっとこのまま。 このまま変わりなく続くこと。 それが安定、安心なことだと思い込んでいたのに あっさりとそのアタリマエを覆せることを 面白がれたこの一年の終わりに WindowsからMacに乗り換えてみるのもオモシロイ なんて思う今日この頃。 |
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守破離
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2006/12/15(Fri)
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書のお稽古を休んで3ヶ月。
書けるようになりたいという気持ちに反して 属している会の書風への違和感とがあって 時間がたてばたつほど、気持ちが薄れていった。 今までお客さんだった人が師匠になったので 「親しい人」気分がいつまでも抜けずにいたけれど 数ヶ月前、やんわりと、師弟関係について戒めを受けた。 師匠の家は、花街の中にあり 師匠の家も昔はお茶屋だった。 芸妓さんや舞妓さんたちとも親交がある。 みんな、○○ねえさんと呼び合う。 今度の春、書の教室に来ていた14歳のSちゃんが 舞妓になるための修行を始める。 彼女の家もやはりお茶屋だ。 今、踊りの稽古に余念がない。 師匠も昔、踊りをやっていたので 最近Sちゃんに稽古もつけたりしている。 14歳のSちゃんは私なんかよりもずっとずっと大人に見える。 師匠につくときの礼儀作法の話を聞いていたら 私なんかこの年で知らないことばかりで本当に恥ずかしい。 背筋が伸びる思いだった。 型にはめること を嫌っていたけれど 時には、型にはめることも 必要かもしれない。 今の師匠には、書だけではなく「書道」を学びたい。 茶道の言葉で守破離という言葉があるそうだ。 「守」 まず、師からの教えを忠実に学び、型や作法、知識の基本を習得する第一段階。 「破」 経験と鍛錬を重ね、師の教えを土台としながらも、 それを打ち破るように自分なりの真意を会得する第二段階。 「離」 これまで教わった型や知識にいっさいとらわれることなく、 思うがままに至芸の境地に飛躍する第三段階。 この言葉は武道でも使われるそうだが、 まずは守から 今になって、始めてみる。 もう子供の頃からしている書だけれど また新たな気持ちで取り組むことを決めた。 まずは来週、 師匠の前で正座して 「よろしくお願いします」というところからはじめる。 |
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震動共鳴
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2006/12/14(Thu)
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月曜日はなんもしなくてもこの時間が好きだと思えたのに
火曜日にはなんにもしてない時間がいやだと思った。 一日のうちに何をどれだけやったか ということではなくて 一日に何度自分が震動したか ということが私にとっては重要みたい。 ここでいう自分とは 肉体としてのカラダもココロも どちらも。 細やかなバイブレーションが 細胞にまで響けば というか、細胞のウチからも響けば なんだかすべてうまく行っている気がする。 水曜日に気功のクラスで、どんよりした気持ちを払拭できた時にそう思った。 カラダのうちから、ジンジンと心地よさが沸いてくる。 それって、きっと細胞がバイブしてるんだと思う。 日曜日に思いっきり体を動かして汗をかいたときに感じた爽快感とは また少しだけ違う。 今日は久しぶりに共鳴しあう、まさしくセッションといえるセッション。 マッサージで、人と触れ合うのは化学反応的だなぁ と思うことはよくあった。 そういうのって、つまり気の交わりあいなんだけど (私は気功をやっているので『気』という言葉を使うけれど これを表現する言葉はもっと他にもイロイロあると思う。) 最近は、マッサージだけじゃなくて 人と人との何気ない会話も、ライブだなぁと思う。 特別なことしてなくても、出会いそのものが その人と共有している場そのものが なんらかの反応を起こして 思いもかけないものを生み出している気がする。 目には見えないんだけど。 最近、人と出会うのが楽しい。 その新しく知り合った人と、どんな場を生み出せるのかと。 今まで知らなかったことを知る。 自分が何を楽しいと思うかも まだまだ未知で、そんなことがまだまだあるかと思うと 心が躍る。 |
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虎豆というらしい
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2006/12/07(Thu)
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![]() 結局、人は自然に習うことぱかりで 人の手から作り出したものがどんなすばらしく見えても 自然から生み出されるものの美しさには やはりかなわない気がする。 この豆の模様の美しさに、しばし見惚れる。 かわいい。 なんてかわいいんだろう。。。 |
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