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日常としての死
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2006/11/29(Wed)
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東京から昨夜戻りました。
たたいま。 東京で過ごしている時の私は まるで海に浮かぶ漂流物。 自我という意識がなくて すべてをただ享受できた。 一週間いて、帰る日は なんだか帰るのがいやだなと思ったりしたけれど もうすっかり日常に戻って 私という肉体の器に意識がぴったり収まっている感じがする。 帰ったらきはらさんからのメールが届いていた。 先日行ったベルリンブックスの横には とてもいい雰囲気の美容室があって、 そこの美容室にきはらさんは通っていたそうだ。 ベルリンブックスに寄った時に、ちらとお店の中をのぞいたら すらりとした女の人が椅子に腰を下ろした人の髪に触れているのが見えた。 「あの人にね 髪の毛を切ってもらっていたのよ」と きはらさんは言った。 その髪の毛を切ってくれていた人が 不慮の事故で亡くなったそうだ。 私たちがあの店の前を通った2日後に。 実は、私は死ぬことについて よく考える。 それは本当に常々と言っていいほどで たとえば、道路を歩いていても ここでこけたら、トラックにはねられたら死ぬんだな とか、電車待ちのホームでも ココから落ちたら電車にはねられてしまうんだな とか。 それは「不安」という種類のものではなくて ただ単に、そういうこともあるな と事象として単純に思い浮かべるだけだ。 そして、 そんなふうに死について考える時 私はほんの少し、野生的な感覚をカラダに取り戻す。 こんなところで轢かれたくないから 耳をそばだてる。 目を見開く。 鼻をきかせる。 変な人だ とココまで読んでくださった方の多くは思うかもしれない。 死について深く考え出したのは、 祖父母の死と友人の死がきっかけだった。 天寿を全うするかのごとく死んでいった祖父母と 自ら若くして死を選んだ友人。 私たちはいつかは死ぬ。 それは確実なのだ。 死について考え出すようになってから それを見ないふりして、忘れたふりして ただ生きていくということが できなくなった。 今日の晩御飯は何を食べよう とか 食後のはみがきとか、 それらと同じレベルで 死を日常においてみる。 確実にあることを 忌み嫌うのもおかしなことだと思う。 しかし、いつか来たるべきものとして 喜ばしく迎えられるようになるものか。 先のことは未知だからこそ、私たちは 生きてみようと思う。 先のことがわかっていたらきっとつまらなくて 私でさえも死を選ぶかもしれない。 (今、子供たちの自殺が多いのは 先がすべてわかってしまったかのように 錯覚するからじゃないかと思う。 私の中学時代も決して明るいものじゃなかったし 八方塞に感じたこともあったけれど 自分で死を選ぶほど、全てを見切ったとまでは感じられなかった。) 思うようにうまくいかないことが おもしろいのだということが、30を過ぎてわかってきた。 やるだけやった ありがとう と言いながら死ねる日を その準備をしながら 日々を過ごしていきたいし 近しい人たちとも そんな死の話を していけたらいいなぁと思う。 肉体のぬくもりを感じられなくなるのは さみしくて死ぬ時は泣くかもしれないけれど 日常に「死」の意識があれば 死がすべての終わりではないと思える気がする。 私は実際会ったことはなかったけれど あの店の奥で立っていたあの人が 2日後になくなってしまったということに 思いを馳せている。 いつかは死ぬからこそ 私は、今、ココで生きている ということを強く実感する。 私が意識しなくても、血は体内を駆け巡り 酸素は出入りして、ミトコンドリアもすごい勢いで細胞内を回っている。 今は、こうして私は生きていて そして考えられている。 それだけでも特別なことで こう思えるのもとても大きなことだとも思う。 |
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男性のお客さま
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2006/11/14(Tue)
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ここ最近、幾人の方から同じことでアドバイスを受けている。
とあるサイトでエサレンのことが話題になっているようだ。 それは私たちエサレンのプラクティショナーにとっては 喜ばしいものではない。 私たちのマッサージは 決して肉体的な快楽を求めるものだけてはない。 エサレン=気持ち良い でもその気持ち良いとセクシャリティーはどこで区別するのか? よくマッサージ仲間との間にもでてくる話題。 エサレンは、着衣はすべて脱いで行うオイルトリートメント。 このエサレンの感覚を、女性のものだけにとどめておくのは惜しいし なによりも、心身ともに疲れきった世の男性方に カラダの感覚を取り戻すために受けてもらえたら と思って、私は男性のお客様も受け入れている。 男性のお客様の生理的なことは ある程度受け入れていく必要があるとは思う。 しかし、性的なことのみを求めてこられると対応しかねるし そのような方は、こちらから排除させていただく。 枠にとらわれた思い込みから解き放たれるツールになるのが さまざまなボディワークであったりすると思う。 実際、受けているあいだ、 「自分の肉体としてのカラダ」という枠がない感覚を 味わえたりする。 あの感覚こそ、私が屋号にした「空 くう」の感覚じゃないかと思う。 肉体を越えて意識、感覚が広がる。 私たちは本当はとても自由なのだ。 それを体感するツールとして エサレンを使って欲しい。 私がしているマッサージは 私とお客様、お互いの信頼関係で成り立っています。 ウチはとあるサイトで言うところの「超健全店」です。 肉体的な快楽のみを求める方 セクシャルな行為をお求めの方は お断りしております。 そんなことをお望みの方は、スルーしてください(笑) 皆さんが求めるようなことは絶対しませんし 落胆させるだけですので。 純粋にエサレンを受けてみたい と思ってくださる方には、少し窮屈な思いをさせてしまうかもしれませんが 初めての方には、公的な身分証明書となるもの を提示していただいてます。 (運転免許証やパスポートなど) そして、内容を控えさせていただきます。 信頼関係あってこそなので なにとぞご了承いただけますよう よろしくお願い申し上げます。 |
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湖北ドライブ
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2006/11/13(Mon)
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![]() ようやく11月らしい風が吹いてきた。 木造住宅の我が家はすっかり冬支度。 ガスストーブもスタンバイ。 (あ、灯油はまだだ・・・。) 私の部屋は、ぼろい木枠の窓のためすきま風がピューピュー入る。 完全に隙間ができているんだもの、当然の寒さ。 分厚い羽毛布団だけでもそのふとんの隙間から冷気が入り込んで 寒さで目が覚める。 ああ、毛布も必要だな・・・ 書きながら、私は今時どんなとこに住んでるねん と一人突っ込みをいれずにいられない。 (今年はちゃんと隙間を埋めなきゃ・・・) 今日は、前々から両親と約束していた湖北へドライブに出かける。 月曜か火曜かと話していて、初めは火曜の予定が 火曜はお天気がまた崩れるらしいと 昨夜、急遽、月曜に変更。 これが定年退職した自由気ままな両親と 自由業の私の強みだ。 9時過ぎに八条口で待ち合わせ。 ルートは以下のとおり。 京都南インター→北陸自動車道木之本 木之本地蔵院 木之本の地名はここに由来。 門前は北国街道の宿場町として趣きがあった。 木之本地蔵院すぐ前の和菓子屋で柏餅と くず饅頭をあわせたようながらたてというお菓子をいただく。 餡が程よい甘さでおいしい。 奥琵琶湖パークウェイ うっかり見過ごして、永原方面から入る。 途中、丸子船資料館に立ち寄る。 ちゃっちい内容に違いないと 両親と一緒じゃなきゃ絶対入ってないのだけれど なかなか侮れない資料館だった。 湖上水運の歴史がよくわかる。 その先、がけ崩れでつづらお展望台には行けず。 そのかわり、須賀神社そばの佐吉という割烹旅館で昼食。 平日でお客なんてこないだろうと店のほうも思ってただろうし とりあえずおなかがすいたのでこちらもあまり期待せずに、 入ったものの、内容はなかなかのお値打ち。 私はうな丼定食。両親は川魚さしみ定食をいただく。 奥琵琶湖の味覚を堪能。もちろん父の奢り。 ![]() 海津大崎 春は桜が綺麗だろうな。。。 大崎寺を抜けて、浜へ降りられる。 竹生島と湖ととても美しい風景が見渡せる。 海津の町並みを抜けて湖西を走る。 白鬚神社 日が沈む絶好のタイミングで到着。 変わりいく空の色を楽しむ。 ![]() そのまま湖西道路を走って京都に戻る。 やっぱり滋賀はいいな。 空が広くて、訪れるたびに深く呼吸できる感じがする。 そして湖も。 すべてが大きく受け止めてくれる気がする。 京都は好きだけれど 空の広さが物足りなく感じた時は 時々、滋賀に車を走らせる。 いつもちょっぴり切ない感じがする。 それは、私のカラダにビリビリと刺激を与えてくれる。 そして私はいつもなにかしらリセットされて また京都に帰る。 今日も、ありがとう。 両親にも感謝。 そして湖と空にも感謝。 湖北ドライブとタイトルしたけれど ほとんど琵琶湖一周だな。 さすがにちっと疲れました。 |
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シアワセの循環
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2006/11/06(Mon)
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15分ぐらいの会話とふれあいの中でも
大事なこと、大切にしたいと思っていること が伝わっていく。 香りって スゴイんだねと 表情を緩ませて帰っていく人たちを見送りながら 私がずっと見続けたいものは これなんだよなぁ とあらためて再確認する。 もうずっと、いろんな人からマッサージを受けていて 東京にまでマッサージを受けに行く と言っていた人が 「柔らかい手をしているね。」 と言って下さり そして帰り際に 「いい顔してる」と私のことをおっしゃってくださったのが 本当にうれしい。 私は自分自身もシアワセで そして相手も気持ちよく過ごせてシアワセだと笑って帰る顔に さらにもう一度うれしくなりたくて 自分で仕事をしてみたくなったんだった。 むずかしいことは やっぱどうでもいいか と思う。 私は好きな人が 笑っていてくれたら それで私もシアワセになれるのだ。 そしてそのシアワセな感じを循環させ続けていきたいのだ。 |
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イベントにてハンドマッサージ
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2006/11/05(Sun)
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東京のYUKOさんが京都に遊びに来ています。
あ、もとい。 仕事で来ています。 高○屋主催のイベントで この11月4,5日と YUKOさんと一緒に仕事をさせてもらってます。 いい男フェア というイベントで フロアにて1万円以上購入で ハンドマッサージの体験。 あ、いい男フェアといっても 女の人ももちろんオッケーで、 今日は半々ぐらいでした。 カップルの方が多かったな。 (再来週はシェービングだそうな。 気持ちよさそう。。。) 昔、勤めていたマッサージのお店を彷彿させる人数 のマッサージをさせていただき さすがに最後のほうは、こんなに長時間立ち続けたことが しばらくないために少し疲れましたが いつもは出会わないような人たちとお話できて とても新鮮な一日でした。 ご夫婦の方々もそれぞれに個性豊かで、 (ホント、いろんなカップルがいて・・・オモシロイ・・・) いやー、ホンマ楽しませていただきました。 高○屋の方々も協力的でとっても和気藹々とした雰囲気。 明日もやってます。 4F紳士服売り場にて。 10時30分から8時までです。。 肘までのマッサージでだいたいカウンセリングを含めて 20分ぐらいの施術なのだけれど その香りの変化と肘までのマッサージだけで肩が緩む感覚を 体感してもらう中で、お客さんの表情が変わっていく過程も とても興味深いものでした。 いつも私が家でしているマッサージとは対極にあるような 短い時間だけれども、その短い中にもイロイロな気づきを マッサージと香りはもたらせてくれるものなのだなぁ、とシミジミ。 それにしても、いつかYUKOさんとは 一緒になんかしたいね とよく話していたけれど、こんな形で一緒に仕事することになるとは(笑) YUKOさんとの仕事は 多くを聞かずともうまく連携が取れて動くことができて とても気持ちよいのです。 また違うベクトルをもった仕事を 一緒にできる日が きっとあるのでしょう。 YUKOさんと話するのは本当にラクチン。 何も話さなくてもいいし そして多くを話しすぎてもいい。 さてさて 明日も一日楽しんできます。 |
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