空模様

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Posted by チエ on  | 

鞍馬の火祭り

毎年恒例、10月22日に行われる鞍馬の火祭り。

以前、鞍馬で仕事をさせてもらっていたご縁で
このお祭りは、私にとってかなり身近なお祭り。
(といっても、そう思っているのは私だけで
かなり一方的な片思いに近い。)

お祭りは、午後6時に
「神事にまいらっしゃれ」という言葉とともに始まり
各家の前に組まれた薪に火が熾される。
お祭りの間中、絶やされることなく松がくべられ
火は燃え続ける。

himatsuri1.jpg



その後、鞍馬街道を松明を担いだ男たちが練り歩く。
初めは子供の小さな松明から
それからどんどん大きな松明が担がれてくる。
大の男が4人で担いでもよろけるぐらいの大きな松明だ。

午後9時ぐらいからおみこしが曳かれ始め
11時ぐらいに由岐神社のお旅所の戻ってくる。
次の祭りを担っていく若造たちの度量が試されるのが
このクライマックス。
この小さな村にこんなにいい男がいたのかってぐらい、
男たちがみんな輝いて見える。
(実際、これにみんな騙されるらしい(笑)
だって、普段の日はこんな若い男は村の中でそうそうみないし
男たちだって、なーんか「仕事してんですか?」って感じだったし。)

himatsuri.jpg



もう4度目になる、このお祭り。
(あ、私が見るのが、ってことね。)
京都のお祭りは数あれど、
この火祭りこそが
私にとっては欠かせないお祭りだと感じている。

観るのはクライマックスだけでいい。
それまでは、観光客が押し合いへし合い。
そして、帰る電車がなくなるので
みんな肝心なところは見ずして帰らなければいけない。
(なんせ帰りの電車は1時間待ちらしい)

私たちは夜の10時過ぎに車で向かい
二ノ瀬に車を置かせてもらって鞍馬まで歩いた。
このルートでばっちり。

himatsuri2.jpg



火と太鼓の音と。
やはり人の心を揺さぶるものは
いずこの地も変わらないものだ。

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Category : 京都
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カラダにも沁みこむ

daikon.jpg


スーパーへ買い物に行ったら
寒くもないのに
おでんを作りたくなって
(食べたいというより作りたかった)
材料を買い込む。

ホントはストーブの上において
煮込むのが合理的なんだけどな。

昆布と煮干、何度もアク抜きした牛スジでだしをとって
大根も、米のとぎ汁で先に炊いて・・・
という、バカ丁寧なことが
時々無性にしたくなる。

料理、やっぱり好きだなぁ。


大根は、むいた皮を捨てられなくて
ごま油でいためてきんぴらに。
葉はお湯でしんなりさせて、こまかくきざんで塩もみ。
炊き立てのご飯にまぜると鮮やかな緑色が広がる。

今日の夕食は大根のフルコース。
お金はかけてないけど
時間だけはかけてる。
ちゃんとだしをとるのって、
なんかもう、
すごい贅沢なことしてるなー
って感じる。


ごはんがおいしいって
ホントに幸せ。

しみじみと
思う。

そしてしみじみとおでんに
味がしみ込んでいく。

私のカラダにも
シアワセな想いが沁みこんでいく。

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蓮の種

R0011290.jpg



ブログにはアクセス解析をつけているのだけれど
私のブログにたどり着く人の検索ワードNO.1は
仕事に関係なく、「蓮・蓮の絵・蓮の葉」。
かなりの数の人が訪れてくれてます。
(なのに蓮の情報はあまりなくてゴメンナサイ。)
蓮好きな人、多いんだね。
私も大好き。


家の蓮は咲かなかったけれど
今年はいろんな寺社に蓮を見に行きました。
写真も結構撮りました。
唐招提寺の蓮の写真が自分では一番のお気に入り。
白い花びらの中に恥ずかしそうに
ひょっこり顔をのぞかせている花托が
なんとも愛らしい。

先週、曼殊院に行った時に
花びらが散って種をつけている花托を
撮りました。
マクロ写真、おもしろいんだよね。
見える世界が変わって、かなりトリッキー。

これから、立ち葉が枯れてくる季節。
枯蓮の写真も趣があります。
まだまだ蓮写真の楽しみが続きます。

Category :
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つながることば

私がこのブログで書くことは
私のひとりよがりで
それに対して、まだ、誰からも咎められたことはないが
反対を叫ぶこと
というタイトルの記事を書いた後
「風の旅人」という雑誌の一文を楽天堂のMLから
引用させていただいたので、
ML(メーリングリスト;ひとつのメールアドレスで複数人に同じメールが流れる。
みんなで同じ話題のメールを共有するためのシステム)に同じものを流した。

そしたら、声高に叫ばざるを得ない人もいるのだ
と、批判を頂戴した。
(ここでは便宜上、批判と書いたが
私にとっては、それは決して「批判」ではなかった。
私が言葉足らずだっただけで、それを教えてくれたということだけだ。)
私がその中で想定していた「声高に叫ぶ人」
というのは、ヒステリックに自分が信じる正義を叫ぶ人
だったのだけれど、言葉足らずだったために伝わらなかった。
そこから、自分の意図するところからどんどん離れて
話が膨らんでいき
言葉の受け取り方の違いから誤解も生まれたり
一時、ML全体がどんよりと重いムードに包まれてしまった。

もうみんなが「メールでは埒が明かない」
と思い始めたところで、この話題は少しずつ収まりを見せたが
私も、私とやり取りを交わした人も
どこかわだかまりを残したままだったと思う。

自分でも気づいていなかったこと。
ヒステリックに正義を叫ぶ人
と書いたけれど
私自身も、自分の書いたことに少なからず
自分の書いてることは正しい
と思い込んでいた節があり
正しいか正しくないか
ということよりも
物事にもいろんな側面があって
自分からは見えない盲点もある
そんな自分の盲点に、誰かの意見によって
気づかせてもらう
つまり、誰かの意見は
自分が考えていることの別の側面を照らし出してくれる
照明にもなるのだ
ということに気づかせてもらえた
本当にいい機会となった。


その、メールをやりとりしていた人と
先日、ようやく直接会って話をすることができた。

私がまず、ゆっくりと会ってちゃんと話したかった
ということを切り出すと
とてもその方は喜んでくださった。

こうやって正面から、しにくい話を切り出される快感を久しぶりに味わいました。
こんなふうに率直に話してもらえるって気持ちいいなあと思った。
と言って下さった。

私は、本当は
自分の意見を言うのはあまり得意ではない。
どちらかというと、中立を保ちたいほうだった。
それは、誤解されるのが怖かったからだ。
そんな人なのねと思われるのも怖かった。
もちろん誰かに理解してもらいたいという気持ちは
あったのだけれど
「こんなことを考えている自分」を
知られるのはとても怖いことで
能面の顔を保つのが得意になってしまっていた。

けれども
仕事や生活を一人でしていくことになったこの一年ほどで
私は無性に誰かと繋がりたくなった。
それ以上に「自分」が本来ある姿を
誰かに見てもらいたくなった。
私は本当はこういうことを考えている人なのだ
こういうことを言う人なのだ
ということを、理解してもらいたくなった。

怖くても、少し震えても
私は、自分がこう思うのだ
ということを
誰かに伝えたい。

そして、何かに繋がりたい。
繋がりを感じたい。

その想いが明確になったのが
今回の出来事だったように思う。


ことば
を大事にしよう
という想いはずっとずっと昔からあったのだけれど
こんなふうに、自分の想いが伝わらない時には
ことばなんていらない
私の頭の中だけテレパシーで読み取ってもらえるような
シンプルさが欲しい
と思ったりもした。

けれども、こうしたできごとがあって
いろんなメールが飛交った後で
一人一人が想いをこめて書いたメールを
またあらためて読んでみると
その時には見えてこなかったものが
また見えてきたりする。
すんなりことばが自分の中に入ってきたりする。

人が、他の動物と違って
ことばや文字を持った意味。

宇久に滞在したときに
お世話になった家の主が
私にこういった。
「ことば

ことは。
‘光と波’で‘ことは’というんだ。

それがあるものは文字になり
あるものは音となり
あるものは絵となった。」


先日、中沢新一と太田光の対談本を読んだ。
「憲法九条を世界遺産に」

その中で、中沢新一が

臆病なのか怠惰なのか、声高に語るのを避けている重大な事柄を
彼(太田光)が必死になって語ろうとしている姿に心を打たれて
共同戦線を張らなきゃと思ったのだが
その前線まで出かけてすぐに気づいたのは
そこは「ことばの戦場」だったということ。
みんなが尻込みする気持ちもわかる。
こんなところに足を突っ込んだが最後、無傷では帰れない。
ことばの技術、表現の技術を磨き上げていくことが
どれほど大切で難しいことかをたちまちにして思い知らされた。
「ことばの戦場」をたたかいぬくのはほんとうにむずかしい。
でも僕はいま多くの仲間に呼びかけたい。

ことばは世界を表現するためにあるのではなく
世界を変えるためにあるのだから
今僕たちが使っているこのことばに
世界を変えるための力を取り戻してやろうではないか。
お笑いのことば、きまじめなことば
理論的なことば、官能的なことば、音楽とともにあることば・・・。
僕たちは感覚と想像と思考の力を総動員して
ことばに世界を変える力をよみがえらせていきたいと思う

と書いていた。(一部略)

私は、この一文に強く共感。



だから、私はことばをつかう力を養っていく。
誰かに、気持ちを伝えていく。
初めはうまく言えなくても
少しずつ
自分の中のことばの精製度を上げていく。


そのためのブログであり
楽天堂のMLで
私はここから
自分が欲した繋がりを
得ることができるようになった。

想いを、またひとつ叶えた。

まだまだ
繋がっていく。

私たちの未来は
決して暗くはない。


Category : いつものこと
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来原さんの写真

楽天堂の話は時々書いてきたが
先日、久しぶりに豆ランチパーティに参加してきた。

豆ランチパーティは、
ゲストスピーカーを招いて、
その方の話を聞きながら、
参加者みんなともイロイロ話をしながら
豆料理に舌鼓を打つ会。


10日の豆ランチは
来原さんの話を聞きたくて参加した。

来原さんは、看護師だったが
今年の7月に退職した。
病院を辞める前に
うちにマッサージを受けに来てくれたのだが
マッサージを受けた後に「死を思いました」という
言葉を下さった。

マッサージを終えた後、
私はシーツで受け手のカラダ全体を包むのだが
シーツにくるまれた時に、今までの肉体を脱いで
新しく産声を上げるような感覚を抱いた
ということはマッサージの感想としてよく言われること。
でも、「死」については、誰も言ったことがなかったので
とてもインパクトが強かった。

自分の体を置き去りにして
知らない世界に旅立つことは
不安だけれど、それは誰もいつかは経験すること。
そして、死があるから、生も輝く。
光と影のように、生と死は切り離せないものだから
それを避けて見ないようにするとか
忌み嫌うというのはおかしなことだと思ってきたので
来原さんの「死を思いました」という言葉を聞いて
この人はオモロシイ人だと思っていた。
あ、私にとってのオモシロイ人
というのは興味深い人だという意味だ。



来原さんは、自分が話そうと思っていたことを
メモにしてきていたけれど
終わった後、そのメモに書いてたことは
ほとんど話せなかったと言っていた。

だけど、来原さんが撮った写真が
いろんなことを語っていてくれたし
参加者の皆さんからも、そして私自身も
それに伴っていろんな話が飛び出してきた。
「いやー、ライブだったね」
と楽天堂を出た後、二人でお茶をした時に言い合った。
私自身も、あんなに自分のことを話すとは思っていなかった。

来原さんの撮った写真。
写真というのは部分の切り取りだけれど
来原さんの写真はいろんなものが凝縮されて、濃厚だった。

誰も横たわっていないベッドの写真、
薬の包み紙や注射器が大量に入ったゴミ箱。
病院での来原さんのポートレート。
真夜中の時計。

病院の写真は、光がなくて虚ろ。
もちろん写真を撮るのに光源は必要だから
照明の明るさは写りこんでいるのだけれども。
対照的に、来原さんが作ったご飯たちの写真には
きれいな光が映りこんでいた。


何かに打ち込んでいる姿
というのは、とても美しく見えるけれど
(たとえば、今年の夏の高校球児たちは本当に美しかった。)
あれは、その人自身のエネルギーが最大限に使われているからなんだね。
そういう、何かに打ち込むと言うのは
恋愛にも少し似ていて、
誰かに惚れこんで、手をつないで少しどきどきする感じ
という状態とよく似ている。
人を内側から光り輝くように美しく見せるのは、
性エネルギーだと思うのだけれど
来原さんの、ご飯たちの写真にはそういったエネルギーが感じられた。

反対に、病院の写真は
そういった性のエネルギーは
当然ながら見られなかった。

病院という場所は
何か、分断される感がある。
どこにも何にもつながっていない。
だだつながっているのは無機質なチューブとコンピューターたち。

それは、病院内では「死」を単なる死としか
捉えられていないからだろうか。
すべてがそこで終わってしまって
つながりが感じられない
から、看護師さんたちもどんどんと自分自身のカラダから
意識が離れてしまうのかもしれない。
(今まで、何人もの看護師さんと会ってきたが
みんなほとんど疲れきっている。
それがおもしろいことに、看護師さんと対照的に、
助産師さんというのはとてもエネルギッシュなんだよね。
同じような勤務状況だろうに、
これが生と死に向き合う差なのかなぁ。)



つながっているもの
切り離せないもの

それは私の、永遠のテーマなので
(なので、私の店の屋号も「空 くう」なのだ。)
来原さんの話と写真たち本当に興味深かった。

Category : いつものこと
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高野山詣り

忙しいわけではないのだけれど
あっという間に日が経ってしまう。

結局、山水人のことも書かないまま
私は次の旅に出てしまった。

書きたいことはイロイロあるけれども
それを軽く追い越す日々。


koyasan1.jpg



6、7日と高野山へ。
高野山といえば、
小学5年の時の林間学校での滞在地だったのだけれど
私は当日に風邪を引いて熱が出たので行けなかった
というほんのり苦い思い出の地。
行けてないのに、思い出の地と書けるのは
その後、行けなかったことを泣いて悲しんだ私を不憫に思ってか
両親が高野山に連れて行ってくれたから。
いや、私が泣いたのは
おそらく高野山に行きたかったからじゃないんだけども。


今回は、群馬に住むまゆに誘われての高野詣出。

仏像は、私にとってアイドルだけれど
空海も然りだね。

今から1200年前に空海は高野山を開創。
宗教家としてはもちろん、政治、文学、建築
あらゆることに長けたスーパースター。
ミーハーな私は、その名前からしても
「カッコイイ」と思ってしまう。
空海がいた頃の建築は高野山には全くといっていいほど
残っていないそうだが
彼がすごした時代に思いを馳せる。


フリースをはおっていても寒い雨の2日間。
けれども雨の中立ち込める蒸気は、
高野山をいっそう幻想的に魅せてくれて
とても気持ちがよかった。
雨のにおい、土のにおい、樹々のにおいに包まれ
何度も深呼吸をした。



今回の旅での、特筆すべきことは
おそらく幼稚園頃に読んだだろう
「地獄と極楽」という本を、
30年以上ぶり(笑)に発見したこと。

tngoku.jpg


誰の家にあったのかは覚えていない。
けれども、何度も読み返した本。
懐かしすぎる!

この地獄絵図が子供心に恐ろしくもありながら
興味も多大にありで、忘れらない本だった。


tngoku2.jpg



まゆとのラクチンなゆるい旅。
地獄と極楽はまゆも子供の頃読んだ本だったそうで
その本を見つけた後の私たちは
幼稚園児に戻ったかのような顔をしていた。

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憲法九条を世界遺産に

憲法九条を世界遺産に 憲法九条を世界遺産に
太田 光、中沢 新一 他 (2006/08/12)
集英社

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憲法改正の動きがある
ことは、世論に疎い私でも知っていることではあるけれど
具体的な動きということにはまったくついていけてない。
(だいたい、安倍首相になったこともピンときていない。)

去年、「日本国憲法」というドキュメント映画を見てから
この憲法は変えちゃイカンだろう
と思ってきてはいるけれど
じゃあ、これまた具体的に九条の何がいいの?
と誰かに問われれば、私には何の説明もできない。
いまだ言葉をもてない。

そんな私だけれど
受け売りでも何でもいいから
この本に書かれてあったそのまま
「九条は世界遺産にすべきだ!
世界遺産に指定された場所の多くは、現代社会の中で
なかなかほかにはありえないようなあり方をしている。
人間とは愚かなものだから、
何があってもこれだけは守ることにしておこうというのが世界遺産の精神。
日本国憲法の九条というのは、
ひょっとしたら間違いを犯すかもしれない、
そんな愚かな人間だからこそ守っていかなければならない世界遺産なんだ。」
ということを、私も自分の言葉として使っていきたい。


中沢センセの語り口は相変わらずソフトで
そして爆笑の大田くんが
とってもシンプルな考えの持ち主で、
そして多角的に物事の見ることができている人だった
ということに驚き。
彼に対する見方が変わった。
(テレビ見てないので知らなかった・・・。
ねずみのカッコして踊ってるトコぐらいしか覚えてなかった)



世の中、わからないことがいっぱい。

この二人の言葉はとてもよくわかるのに。


Category : いつものこと
Posted by チエ on  | 5 comments  0 trackback

大きなおなかに手を置くシアワセ

もうずいぶんと日が経ってしまったけれど
書いておきたいことがイロイロある。
なんか今日はすごくいっぱい書ける。


9月19日、あやのちゃんがマッサージを受けに来てくれた。

あやのちゃんは、去年6月
京大の西部講堂で行われた「太陽と月の祭り」
というイベントの準備期間中
私がきまぐれでまかないを手伝いに行き
知り合った女のコ。
話したのはその時一度だけ。
その後、みすずちゃんの店(その2階は私の部屋)
での飲み会で一緒に飲んで、
それから数ヵ月後、東一条で自転車に乗っててすれ違って
「あ、久しぶり」と声を掛け合ったぐらい。

あやのちゃんは、ウクレレで歌を歌っていて
そのライブ情報をメールでくれていたけれど
一度も行けず。
そしたら最近のメールに
「ママになっても歌います」と書いてあってビックリ。
いつのまに結婚したんや。
しかも8ヶ月って書いてある。

そして、先日行われたベジピースで
おなかの大きいあやのちゃんとバッタリ再会。
ホンマに大きくて、思わずおなかに触らせてもらった。
それから数日後、あやのちゃんからメール。
「眠れなくなって4ヶ月。マッサージしてください」と。


私、妊婦さんのマッサージ
実は大好き。
おなかが重くて、腰も痛くて、自分の体の変化にも戸惑う、
出産も不安だし、ドンと構えた妊婦なんて少ないけれど
彼女たちのカラダはしなやかに変化を続けていて
それはそれは魅力的だ。
そして、おなかの中で動く胎児。
ああ、こん中にいるんだなぁ
と思うとドキドキする。

おなかの大きい妊婦さんは
うつ伏せになれないので
背面のマッサージは横向きで行う。
その時の彼女たちの顔こそ、赤子のようで
このまま出産を迎えられたらさぞかし幸せだろうな
と思ったりする。

マッサージの最後には
おなかに手をおいて、そのまましばらく手当てする。
赤ちゃんの気配を感じる。
お母さんがリラックスしているからか、
赤ちゃんの動きもどことなく落ち着いている。
「元気にでてこい」
私はおなかの中の赤ちゃんに心の中で声をかける。
私までシアワセな気持ちになる。


ayano.jpg


その日、あやのちゃんは
4ヶ月ぶりに熟睡できたそうだ。
よかった。
マッサージを受けた人から
こういう声を聞けるのが私は本当にうれしい。


そして、とてもいいタイミングで20日の夜はライブ。
これから出産月に入るため、しばらく休止活動に入る。
あやのちゃんの歌声はしっとりとしていて
とても気持ちがよかった。
風を集めて
本当に、彼女の周りでいい風が吹いた。
いいなぁ、お母さんが歌えるって。
ayano2.jpg



あやのちゃんも、この日のことを
ブログに書いてくれている。
よかったら見てみてください。

私もとってもウレシかった一日。


あやのちゃんのブログ
http://kitchen.ponde.net/blog/

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うごいてやすむ

うごいてやすむ―幸福になる気功 うごいてやすむ―幸福になる気功
天野 泰司 (2006/09)
春秋社

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私が通っている気功教室の先生の新しい本が
9月に出版されました。

「うごいてやすむ 幸福になる気功」
というタイトルです。

今回の本では
先生のパートナー、じゅんこさんの墨絵に加え
さらに、我が家で撮影された写真も掲載されています。
主に、セルフケアの実践編。
東京の友人あきちゃんと私もモデルで写っています。

KICX2470.jpg



私が、今シアワセだーー
と言えるのは
きっと、この気功に出会えたからだなー

ふふふ。
その名も「幸福になる気功」
まさに、まさに。

みなさまもぜひぜひ
お求めください。

私がシアワセである理由が
シンプルに、手に取るように
お分かりいただけるかと思います。

お近くの本屋かamazonで。
ぜひ。





私と気功の出会いは2002年の2月。
エサレンから戻って何か体を動かすことがしたい、
ヨガか気功かと考えて検索したところ
その時住んでいた高槻で気功の教室を見つけて
見学体験に行き、
よだれがでそうな気持ちのよさ
(かなり官能的)に感動したのが始まりだった。

滋賀へ引越しして、高槻の教室に通えなくなり
さてどうしよう、と
気功協会のHPを再度のぞいたところ
山科で定期的に気功講座が行われているのを知った。

今まで、ただ単に毎週気功教室に通っていただけで
協会のHPは全くのぞいていなかったし
そんな講座が行われていることも知らずにいた。

引越しして教室に通えなくなった代りにと行きだした講座だった。

それが、結果として
自分のこれからを踏み出す
大きな支えとなるものになった。

先生は、いつも私に必要なことを仰ってくれた。
でも、先生は具体的な誰かに対して
何かを仰っているわけではない。
でも、なぜかそれはいつもタイムリーに私の元に届いて
そして等しい浸透圧で私の中にじんわりとしみこんできた。

私がそれまでなんとなく感じてきたこと。
でもうまく言葉にできずにいたこと。
私だけがそう考えているんじゃないか
こう考えるのはおかしいことなんじゃないか
と思ってきたことを
言葉にしてくれたのが、天野先生だった。


それは、とても自然なことなんだよ
本当はとてもシンプルで簡単なことなんだよ
当たり前のことなんだよ、と。
そんなすごく単純なことなのに
今まで誰も言ってくれなかった。

だけど私は私で、それまで誰にも助けを求めようとせず
「私に口出ししないで」みたいな態度を取り続けてきたので
それも当然のことではあったのだけれど。


自分の体を、ラクだと思うほうに
もう少し動かしてみる。
自分が気持ちいいなと思う方向に伸びてみる。
シンプルにカラダを動かしていくだけで
私の人生もそれにつられて本当におもしろいように変わった。

思い込みやとらわれから抜け出すのは
むずかしくて、何度も泣いたけれど
自分のカラダが「イイ」と思う方向へ
ただ行きたいと望んだだけで
するすると道は開けた。
自ら進んだというよりは、
いつも思うのだけれど
私は桃の中の桃太郎で
どんぶらこと、川の流れに沿って運ばれた
という感がある。

この夏、
まだ気功を始めて数年しか経っていない私に
気功クラスの先生の話を下さった。
正直言うと、まだまだ初心者の域を脱していない私だけれど
「教える」ことによる学びを、私に促してくださったのだと思う。
7月から奈良で
この10月からは宇治の教室を引き継ぐ。
誰かのクラスを引き継ぐことはかなり勇気がいることだったけれど
いい機会を与えてもらったなとしみじみ思う。

実際、動きを言葉にするのはとてもむずかしくて
まだまだだなーと思わされることもあるけれど
教室のみんなの顔がほわんと緩んだのを見る時は
これでいいんだと思える。

そして、今の家に住み始めて
また高槻の教室にも通えるようになったので
月曜日は高槻に、生徒として通い
そこでエッセンスを賜り(笑)
水曜と木曜の教室に運んでいる。


昨日も、高槻に行って大笑いしてきた。
教室のMさんの言葉が、ホントいつもおかしくて
笑わせてもらっている。

何か、こう
ふつふつと
楽しくてたまんない
とか
おもしろくてたまんない感じ。

これが、天野先生の
シンプルな教えのひとつでもあるので
あの高槻の教室の空気は
みんながそれを実践できているからだなぁ・・・。




カラダって
自ら整うようにできてる。
それも実に簡単な動きで。

私はマッサージの仕事しているけれど
これができれば
マッサージいらないかも
とまで思えます。
(いや、実際は誰かに触ってもらいたいことも
あるけどね。)

高槻や奈良、宇治まで
通えないわ
という方がいらっしゃれば
ぜひウチへどうぞ。
一緒にカラダ、動かしてみませんか。

お聞きになりたいことがあれば
コメントか、メールくださいまし。


気功協会のHP
http://npo-kikou.com/

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ちょっとヌケてる なんてかわいいもんじゃない

今日は千穂ちゃんと遅めのランチ。

出町柳で千穂ちゃんをピックアップして
一乗寺の中谷へ。

名前は知っていたけれど、行ったことがなくて
一度行ってみたかった店。
食事のメニューは一つしかないけど
デザートが楽しみな店。


前のコンサートのときはゆっくりと話せなかったし
去年12月以来ぶり、お互いのこの一年を
2時間半のダイジェストながら、じっくり話した。

私が食べたSweetsは「絹ごし抹茶ティラミス」。
いやー、どれも選びがたかった。
実は和菓子の月見団子も草もちも捨てがたかった。

雰囲気もよいし、sweetsもおいしかったし
またゆっくり訪れたい店。
違うsweetsもぜひ試したい。


nakatani2.jpg





帰り、車に乗って
ハタと、「あれ、鍵がない」と
私はおもむろにかばんをガサゴソ。
ホント、私の鍵たちはよくかばんの中で行方不明になる。

あれ
おかしい。
ないない。
千穂ちゃんは店に戻ってお店の人に聞いてくれたりした。
でも、ないない。

わーどうしよう。
帰れない?
かばんをひっくり返しても鍵が出てこなかったときには
さすがにあせった。

が、待てよ。
この文章を読んで、お気づきの方もあるかと思う。

私たちは車のシートに腰を下ろしているのだ。

・・・そう。

鍵は車のドアについたままだった。


さすがに愕然とした。
自分のヌケ様に。
もうボケてるとしかいいようがない。
千穂ちゃんにも散々笑われたし
(が、彼女のヌケ話も相当ひどい。)
私も本当に自分の行動に呆れ果てる。

千穂ちゃんを四条でおろし
一度帰宅し、車を置いて
気功の教室に出かけようとして
かばんの中にあるはずの家の鍵をガサゴソ。
・・・またない。

ホント、どうして
鍵を閉めた後、開けた後の行動に
こうも無関心なんだろう。
10分ほど探して、途方にくれた後
2階の自室の机の下に見つけたときは
いい加減、自分を呪った。

鍵を閉めた後、開けた後
ちゃんと意識を持って
鍵の行方を追わねば。


私のバカ話。
こんなん、いくらでもあります。
抜け具合を露呈するのもお恥ずかしい話ですが
こんなヤツです、私。
ハイ。。。

Category : いつものこと
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トケイソウ

tokeisou3.jpg


夏前に隣の大家さんにもらった
トケイソウ。
昨日、花をつけた。

ハッとする美しさ。
花が咲いているのを見た時
(つぼみに気づいてなかったので)
思わず声を上げた。



tokeisou.jpg


紫の色、蒼の色
その造形
自然の美しさに
ことごとく魅了される。



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