空模様

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Posted by チエ on  | 

8月も終わりの空

sky2006_s.jpg



8月最後の空です。



今日は午前中、宇治の気功へ。
再来月から、このクラスも引き継ぐことになった。

誰かがやっていた教室を引き継ぐのって緊張するけど
私がやらなきゃ、この教室はなくなってしまうそうな。

先生を選ぶのは生徒であったほうがいい。
ああ、といっても、私
「先生」と呼ばれるのって、とっても苦手。


でも、こうして
自ら押さないままに、
「どうですか?」と
相手の方から受け入れてくれるのって
ありがたいね。

ホント、去年からのことを思うと
今ここにいて私がこうしていることもとても不思議。
そして、それが脈々とした川の流れのように思えることも不思議。
不思議、というか
わがコトながら感動すら覚える。
この自分の軌跡を振り返ってみても、ホントうまく流れているなぁと思う。
逆らわず、身を委ねてきただけで。

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Category : いつものこと
Posted by チエ on  | 2 comments  0 trackback

反対を叫ぶということ

少し前に、とある方が
戦争や、核燃料処理などの問題に対して
強い憤りを感じる
とお話された。
そして、国民はそれに対して
なんらかのアクションを示すべきだと。
選挙に行かずして、国の政策に文句を言うべきではないし
何にもせずにいられることにも腹立たしさを感じる、と。

正直言うと
私は、たとえば、街中で横断幕を持って
「○○反対!」と語気を荒くして叫ぶなど
とかく「反対」することだけを強くおしだす
ことに違和感をいつも覚える。

なんというか、
もっともっと、
自然に任せてたら
ええんちゃうの
まずは、自分の身のまわりじゃないのー
小さなユニットを大切にすることに尽きるんじゃないのー
と思ってしまっていて
その人の話に対しても、なんだか曖昧な返事しかできず
なんとなく場が気まずくなってしまった。
「反対してもしょうがない」と私が言っているように
受け取られてしまったかもしれない。


うーん。
もちろん、そういうことじゃないんだ。
私だって、自分の生活は脅かされたくない。
安心して暮らしていたい。
ただ、「今の私」にできることは
もっと、基本的なことなんだと思う。

・・・身近じゃないこと
経験していないことに関心が持てていないのかなぁ。

なんだか、その日の気持ちをうまく言語化できずにいた。


そんなところへ
楽天堂のMLでこんなメールが流れた。


「風の旅人」という雑誌に載っている、
読んでみてと薦められた「絶対的平和論」をよんで、
ああ、深く共感でき、ますます祝島に行きたくなりました。
これは、祝島の問題だけではなく、日本の農業や私達、全ての生活
にいえることですので、ここに紹介させてください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・
・・・

戦争に反対すれば、戦争がなくなり、
戦争がなくなれば平和な生活が来る、という考えは幼稚と不誠実
の入り混じった空想に過ぎない。
平和生活は、それ自体が絶対物として成り立つ原理をもっている。
その原理は政治のそれではない。生がとる根本の形態である。
このような原理に根差した生活が立てられるなら、戦争は排される
ものではなく、私達にとってただ無関与なもの、
あるはずのないものになりうるだろう。

         *  *  *

理をたてて戦争にことごとしく反対するのは、戦争への言わば動物的
な関心からではないか。「事よさし」に生きる「個人」なら、戦争に対して
はただ根底から、絶対的に無関心であれば足りる。
平和とは、戦争がなくなった状態のことではない。
平和は、神々を助け、神々に助けられて行う生産生活の本質である。

        *  *  *

だが、「さいふう厳格な謙虚な生活に対して、万一侵入軍が入ってきた
場合の態度」は、予め決しておかなくてはならないだろう。
それは「反抗せず、協力せず、誘惑されない、といふ3項目です。
しかしこれは抽象的なことばにすぎません。さうしてこれら3つの方法を
貫くためには、それには侵入国に協力しなくてすませうる経済体制を
つくっておく必要があるのです。決して誘惑にのらない国民生活の
計画が立っていなくてはなりません。
そのことが本当の対策であり方法です。それを敵をみてから
することではないのです。一切の道義の根本をきづくといふ神聖な
熱情を、その生活に注いでいなければなりません。
これが平和をいふ土台だと、我々は考えているのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・
(祝島・・・現在中国電力が祝島対岸の上関町四代田ノ浦地区で原子力発電所を建設計画を進めている。これに関して、原子力発電所の安全性への懸念等を巡り、島民を中心とした激しい反対運動が起こっている。)


ああ、そうそう。
これこれ。

そういうことなのよ。
腑に落ちるわ、この「絶対的平和論」。


反対だけを声高に叫ぶのではなくて
地に足を着けること。
自分自身の基盤がぐらついてるのであれば
口から出る言葉も、弱弱しく感じる。
頭に血だけ昇っている時の甲高い声も
その波動が険しく突き刺さるだけ。
何度も叫ばずとも
一言でも通ずる力を持つことが必要なんじゃないかしらん。
もっと肩の力抜いて
みんな、自分が心地よいと思うことをすればいい。



なんだか、私には全てが
気功に結びつくのだけれど
これは私の頭の中での回路にすぎず
今ココに書いたことも
「唐突に、なんで気功と結びつくの?」
とみんなの頭の中には疑問符が浮かぶだけかも知れない。
このままではまた、先日のように気まずい返答しかできない。

もっと、うまく噛み砕いて私の言葉にしたい。


Category : いつものこと
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残暑お見舞い

妹のような存在のanmiちゃんから
残暑見舞いが届きました。

anmi.jpg



私のもう一つのブログの写真を見て
コラボってくれました。
とても涼しげでキレイ。
私だけが見るのももったいないし
みなさんにも見ていただこうと思い、
スキャンして貼り付けます。

anmiちゃん
どうもありがとう。
私もあのくちなしの花、
我ながらいい写真だと気に入っているもの。
こうやって使ってもらえてウレシイ。
ありがとね。


残暑見舞い申し上げます。
まだまだ暑い日が続きます。

それでも
昨日、今日は湿度が少し低くて比較的しのぎやすかったし
今朝はタオルケットにくるまって眠っていました。

こうして、少しずつ
風を冷たく感じていく
これからの季節が、
私は好きです。
モノ悲しいもの、切ないもの好き(笑)


8月も残りわずかですね。
もう少しだけ、夏を追いかけたいような。
夕陽を見ると、そんな気持ちになります。
夏休みという区切りは私にはないけれど
この時期の、いろんな焦燥感やらが
体に沁み込んでいるのかしらね。

Category : いつものこと
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強く美しい

昨日、今日と実家に帰ってきた。

最近、車に乗るのが楽しい。
大音量でCDかけながら、誰が聴くわけでもないので
大声あげて歌える、その爽快感。
あ、私の場合、それを自分の家でやっても
全然構わないのだけれど、
なんだろ。
あの密室感がいいのかしら。
道も混んでいなくて、気持ちのいいドライブ。


今日は午前中は両親と買い物。
そして、昼食をご馳走になり
昼過ぎには家に戻り、高校野球観戦。

高校野球なんて
見るの何年ぶりだろう。

それも、再試合になったおかげで
とてもとてもいいもの見させてもらった。
もう、なんともドラマな展開。

両校ともめちゃめちゃカッコよかったなぁ・・・。
特に、早稲田の斉藤くん。
クールな顔して投げ続けていたのに
優勝が決まった瞬間に「おっしゃー!」と握りこぶし。
そして後のクールダウンピッチングでは涙を流していた。
そのギャップに、おねーさんはハートをわしづかみにされました。
そのお顔のほくろも、やはりセクシー。
(私、ほくろのあるお顔にセクシーさを見いだすの。)

母と、しばし斉藤くん談義。
私「斉藤くんはやっぱ帽子かぶってるほうがいいね」
母「そうやね。このコはプロ野球向きじゃないね。
なんか、フツーだよね。帽子取ると。
なんか、手堅いサラリーマン顔。」
私「ああ、いそう(笑) 保険とか証券とかに(笑))))
そして、淡々と器用に自分の仕事こなしてんだよね。」


ホント、自分の持てる力
出し切っている人の顔は美しいな。

その後、続いて
「プロフェッショナル ~仕事の流儀~」と言う番組を見た。
イタリアでカーデザイナーとして活躍されている奥山清行さんにスポットをあてた内容。
その番組の最後、
「プロフェッショナルとは」
との問いに、彼は
「「プロと言うのは、今日のためじゃなくて本当に明日のために仕事ができる人。
自分のためじゃなくて、人のために仕事ができる人。
だから明日の人のために仕事ができる人だと思う。」
と答えていた。
カッコイイんだ、これがまた。
番組の内容

番組の中で、脳科学者の茂木さんが言っていた
「ものを食べたり水を飲んだり、
いわゆる生命に欠かせないことをして満足する脳の場所と、
美しいデザインを見た時に満足する脳の場所は
まったく同じなんですよ」
というのも、本当にそうだなと自分でも感じる。

何かを見て美しいと思うことって、
とっても自然で、それは自分の意思を越えたところにあって
満ちたりる感あるもの。

夜は、NHKでビートルズ来日の軌跡。

今日は久しぶりにテレビに釘づけだった一日。


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江戸の誘惑

残り一枚になった18切符をいただいたので
これはラッキーとばかりに
見逃していた「江戸の誘惑」展を見に名古屋まで行ってきた。

名古屋ボストン美術館に行く前に
学生時代の友人と会って、ランチ。
そして、共通の友人のお墓参りに。


江戸の誘惑展、とてもおもしろかった。
すんごい誘惑された。
見てるだけで胸がキュウキュウ。

なんて表現したらいいんだろうな、
あの気持ち。
私もこの絵の中にいたような親近感と、
それと嫉妬や焦燥にも近い感じ。
この色と、この図柄の組み合わせがね
なんて口に出しても出しても言い足りない。
言葉が足りない。
悔しいのと。
あああ。たまらん。
今時のどんなファッション誌見ても
ここまでの気持ちにはならない。
私に自由にしていいお金があるのならば
間違いなく着道楽になる。
長持ち十棹分ぐらいの。




10月下旬に江戸東京博物館に行くそうな。
いいねぇ、江戸で江戸の誘惑。

http://www.asahi.com/boston/

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太陽の花

himawari.jpg


いつも、ここは季節の花が揃う。

春に訪れた時には、菜の花。
秋にはコスモス。
一面の花畑。


別に、ここが目的地というわけではなかったのに
沈みゆく夕陽を追いかけてたら、
同じように太陽に顔を向ける花たちに気づいて
しばし、その姿に見惚れる。



あなたも、やはり太陽で

私が追いかけていたのは

あなただったのかも知れない。




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糸井さんと中沢さん

9日、アコガレの中沢新一氏と糸井重里氏の対談を聴きに行ってきた。
コレ

二人とも、実物を拝見するのは
初めてなのだけれど
なんだか、とってもよく知っている人たちのように思えた。
話している二人の間に、私もすんなり入れるんじゃないかと思うぐらい
全て平易な言葉で話が進み、うんうんとうなづきながら聞いていられた
あっという間の2時間だった。

中沢センセも糸井さんもホンマにステキなオトナやわぁ。
私が最近、ホンマにステキや
と思うのは全て
「ムリ・ムダ・思い込み」のない人。(笑)

まぁ、もちろん、日々の中に全くムリやムダがないか
というとそうではないのだろうし
そんな合理的な見方なのではなく、
そしてホンマの意味でムダなのでもなくて
他人がゴミだと思うようなものも
決してゴミにならないで使っている
そして、他人が大切だと思いこんでいるものを
実はそれがなくても平気なんだとあっさり捨てられる、
そういう価値の置きどころが違う
ってことだけなんだろうけれどもね。
私も自分にとっての価値の置きどころが
最近、わかってきて
わかってくると、ちゃんと同じような価値を共有できる人たちに
出会えるからオモシロイ。


その日の対談は「学ぶ」
ということがテーマで
いきなり糸井さんが「中沢さんに『学ぶがテーマ』
ということに
ダメ出しを受けました」
と言ってた(笑)
もうね、キャリアアップとか
そんなこと言うのやめましょうよって(笑)
ビジネス書ってヤツにも、いい本は全くないって。
ははは。
こういう話はウッキーの『自分探しはもうやめよう』
にうまく繋がるなぁ。


すごく印象深いお話。
糸井さんはほぼ日というサイトでコラムを掲載しているけれど
その中で書くことは、詩だと言っていた。
詩って、いつでもそこに繋ぐことができるんだよね。
自分とその場を、その人を繋ぐツール。
書いてるのは、『その時』なんだけれど
その書こうとしていることが起こっている
その場、その時に、いつでも身を置くことができているんだ
って。

私も過去はいかようにも変えられる
と常々思っている。
過去とか現在とかの時間の流れは
今いる時点からすると退化だと考えるのが一般的だけれど
それも、退化ではなくて進化だとも言えると思っている。

過去から現在までに流れている時間も
向こうからこちらではなくて
こちらからむこうにも
流せたりするもので、その流れは、実は自由自在なのだ。

だから、こうして、9日にあった対談の話も
過去の話を書いているのではなくて
こうして、パソコンに向っている私も
瞬時にして、あの時空に移ることができているのだ。
常にリアルタイム。


糸井さんが、「僕の友達に、運動神経が悪いヤツはいない
ってことを唱えているやつがいるんだけれど
その人が、誰でも運動神経がよくなるって体操を考えた
って言ってるんだ。ポイントは股関節なんだって。」
と言った時は、私は一人で爆笑した。
すると右斜め前に座っているジャスミンさんも
同じように吹き出しているのが見えて、さらに笑った。
・・・糸井さん、友達って平山さんだったらビックリします(笑)
こんなとこで股関節の話が出ると思っていなかったから
ものすごくおかしかった。
ああ、なんかうまく繋がっているな。
また、点在しているものが、ちゃんとラインになっているのを
感じられた瞬間。


話はさらに畠山鈴香容疑者の話になり
「あの人がしてきたことの中で一番すごかったのは
『あんな人でも子供を産んだ』ということが一番すごいことなんだ」と二人は言っていた。
鈴香容疑者。何かにつけ、誰にとっても気になる存在らしい。
だからこそ、容疑者であるのに名前で呼ばれたりするのかもしれない。
結局、人がアタリマエのように思っていること。
普通にできていること。
それが、普通にできない今が異常だってこと。
普通に生きていくことが、一番すごいんだってこと
それが今回の対談の一番のキーワードだったのかも知れない。


もう、会社の中の会議も
同じことをどこかがやっているんだったら
それとは違うことをしましょうよ
言ってた。
もう、
同じでなければいけない
とか
手順を踏む
ということから、社会全体も卒業した方がいい。


また、今回の対談も文字になるらしい。
楽しみ。
そして、ココには、糸井さんの写したあの日の光景が。
糸井さんは、首からGR-Dを下げていた。
そして、それでパチリパチリとコチラを写していた。
私も同じカメラー と手を振りたかった(笑)


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まわるまわる股関節

昨日は、エサレン仲間のみかちゃんちで
平山さんを迎えてのワークショップ。
平山さんは、以前もここでちょっとだけ書いたけれど
魅せるカラダという本の著者で
東京にてstudio pivotを主宰、
女優やモデル、アスリート達を相手に
カラダのdirectionを行なっている人。
ひょんな繋がりで、前々から名前だけはよく知っていた彼のワークショップを
本当にオモシロイご縁で受けさせていただくことになった。

一応、ワークショップの名目は解剖学。
最近ハヤリの骨盤やらインナーマッスルという言葉を
単に名称だけじゃなくて、また知識だけでもなくて
自分でその働きを体感して、カラダでカラダの構造を捉えていこう
という内容だった。

今日はとりあえず第一回目の「股関節」。

元来、日本人は
骨身に沁みる
骨のあるヤツ
骨太
などなど、骨格や
また
肝が据わる
腹が立つ
などなどのカラダで捉えた
言葉が多いことからわかるように
普段から体の動きを、意識的に感じ取っていたし
また、基本は体にあることをわかっている民族だった。

欧米人は体格も大きくて力もあるので
それで押し切ってきた「力」の人種。
日本人は小さくて、それほどパワーもないため
できるだけ最小限に、無理も無駄もなく動くことを
旨とした「技」の人種。

また建築の構造からも見られるように
西洋の建築物は、壁を中心にしているのに対して
日本の建築物は、柱を主としている。
日本人がいかに、「骨格」を大切にしてきたかが伺える。
欧米の発想は「筋」で、日本は「骨」。

それは今あるフィットネスの発想からもわかる。
今までは、筋肉をいかに発達させるかが重要視されてきたけれど
欧米のスタイルを日本人の体に適合させようとしても無理がある。
強さとは、力まかせなのではなく
しなやかに対処できる体の動きを言う。
平山さんの著書の中に
世界的に有名なバレイ指導者が話した言葉がある。
「無駄な力を入れながら動きを覚えてきたものは、
関節から脱力して身体を動かすことができず
ふだんの動作にも無駄な緊張が見受けられる。
当然故障も多い。」
それは実際、どんなことにもあてはまる。

最近受けた太極拳のクラス、そして以前からしている気功、
そして、最近よく読んでいた内田樹氏の本。
書の師匠の話。

全て繋がって、辻褄が合う話。



すべてうまく、滞りなくすすむことを
円滑というが、
それは関節、骨と骨との結合部がなめらかに
円を描いて動くことを指す。
関節の動きがなめらかであれば
すべてうまくいくってことだな。
気持ちも体もこわばってる場合じゃない。



実際、左の股関節をゆるめてみた後
右と左で驚くほど歩き方が違った。
左はしなやかなのに対して、
右はロボットみたいにぎこちない。
(私は左がキョーレツに固かった。
いつも気功の動きのときに、右と左で左の方が
よく回っていたような気がしていたのは
ただ左にねじれていただけだったのね(苦笑))

それにしても、ゆるんだ左の脚だけが
自由だーーーと叫んで踊りだしたくなるような感覚も
とてもおもしろかった。
左だけラテンノリなの。
ひゃっほう、って感じ。

股関節がゆるむと、気持ちが愉快になる感じは
先日の太極拳でも経験済みだったけれど→参照
こうして、右と左で違う感覚を得ると
それが顕著で、さらに新鮮だ。

南の島の人たちや、南米の人たちって
陽気だけれど、サルサとかランバダとか
踊りまくってたら、関節緩んで
そりゃご陽気だよなー
なんて納得。

初めの方に
股関節をずっと回してもらっていた時に
涙がずーっと流れて出た。
気功の時もよく涙が出てくるんだけれど
いつもはあくびを伴った涙。
ゆるむといつもおびただしく出てくる。
昨日は、感情のない涙が流れた。
平山さんが、全部出せよー
と言ってティッシュを置いてくれた。
飴とムチの使いわけがウマイ人だわ。
最近の私は、感情に関してはかなり消化してたので
ワンワン泣くまではいかなかったけれど
3ヶ月ぐらい前だったらきっと声あげてボロボロ泣いてたよな。
ただ、カラダはまだ頑ななままだ。
平山さんのフルセッション、受けたいです。。。


骨盤の歪みとか、
それだけはなぜか
漠然と自分は歪んでるんだろうな
と感じてる人は多いようだけれど、
そのゆがみだけをとることには、全く意味が無い。
その歪みが生じている大元に目を向けてあげなければ。

自分の内側を見ること。

そして、自分のカラダを教科書にすること。

カラダの動きの無理、無駄、勘違いに気づいて行くこと。



股関節の動きと、骨と
筋肉の位置を見た後は
歩行のプロセスに。

足の裏全体が、地面に全部くっついている感覚。
足の裏を地に付けて歩くなんてアタリマエなんだけれど
全部がピッタリと吸い付いて、ああ、地面に立ってんだなー
ってことをシミジミと味わう。


楽しい時間でした。
平山さんは、勢いがある
いいオトコでした。
あんな人に、「力抜けよ」と言われたりなんかしちゃうと
ヨロヨロと力を抜いて泣きついちゃうよな。
そんな女の人が少なくないのはよくわかります。
雑誌で流行っている「チョイ悪オヤジ」なんて
1日でできるもんじゃありません。
カラダのことをよくわかっている人って
他のこともよくわかってるよね(笑)。
(極端な感じで。。。)


気功や太極拳がなんでカラダにいいと言えるのか
そのメカニズムとか
自分なりに少しずつ理解できて来ました。

もっともっと知りたい。
カラダのこと。
自分の中で起こっていること。


欲求はまだまだ続きます。


前々日に、初対面だった平山さんとご飯を食べた時
「全てシンプルなんだ。頂上は一つ。
富士山みたいなもんなんだよ、登山口が違うだけ。」
と彼が言った時は驚いた。
私も、同じことをずっと思っていたし
その表現する語彙も同じだったから。
同じ言語を話せる人に出会えるとウレシイ。


イロイロ、この日のために
奔走してくれたみかちゃん
おつかれさま、そしてありがとうね。
そしてここまでつなげてくれた各氏に感謝。

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黄檗山萬福寺

午前中は宇治へ気功の講座を受けに。

こちらの気功の先生、華学さんに
以前、萬福寺のことを聞き
一度行ってみようと思っていた。

そして、講座の終わった後、隣の駅、黄檗へ。
昨日も暑い日差しが照りつける中での寺社参拝に
ぐったりしたことだし、何もこんな暑い日に
とも思うのだけれど、思い立ったが吉日。
でも、やはり暑くて駅からの道のりで少し後悔した。
萬福寺の横に、児童プール。
ああ、いいな。水浴びたい。


グッタリしながら、境内に足を踏み入れて驚き。

ここはどこだろう?

しばし異国にトリップしたかのような空気。
ここは流れる気が違う。
凛と引き締まった心地のよさ。

manpuku2.jpg



華学さんもここの寺でよく坐禅するらしく
ここの気が自分にとって一番だと言っていたけれど
確かに、確かに。
ここの坐禅は厳しいらしく、私は受ける気はないけれど
法堂の階段に座り込み、しばし瞑想状態に。


宇治は本当に気のよいところだと思う。
気功の講座の縁がなければ、こうしてここを訪れることもなかった
と思うと、本当にありがたいことだなぁとあらためて思う。

萬福寺は本当にいい。

私の中で、今までお寺NO.1は浄瑠璃寺だったけれど
その座は、今日で萬福寺になった。
(これまた細分化されていて、仏像の寺(つまり総合的に)NO.1とか
仏像NO.1とかでまた異なる。)

今日の帰りの足取りは軽やか。
気持ちのよい暑さに感じる、気がよいことのおもしろさ。


Category : 京都
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唐招提寺と薬師寺

気功の教室を高の原で行なった後、
いつも少し足を伸ばして奈良の寺社を見に行こうと思うのだけれど
用事があったりして、なかなか行けず。
今日は午後から予定がなかったので
暑い中ではあったけれど、高の原の先
西ノ京にある薬師寺と唐招提寺に行ってきた。

これは唐招提寺の蓮。
hasu_tosho2.jpg



夏らしく、カンカンと日差しが照りつける一日。
こういう日は、歩き回るより
庭でも見ながらぼんやり涼んでいたいところだ。

3時間ほど歩き回ってグッタリ。
帰りの電車の中も、爆睡。



今日の気功教室は3回目ともあって
かなり気楽にすすめることができた。
教室の雰囲気もなかなかいい感じ。
みんなの動きもずいぶんと自然になってきた気がする。

Category : いつものこと
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ムシ嫌い

めずらしく食欲がない。

夏バテとは無縁で
むしろ、その酒量のために
体重増加につながるのが例年なのだけれど
ここしばらく食欲がわかなーい。

恋わずらい
とでもいいたいところだが
そういうことで食欲がなくなったこともない。
・・・あ、失恋した時はあったっけ。
あの時はめずらしく体重激減した。
でも、そんなのは過去の話。
そんな色気のある話ではなーい!


実は、
一番大きな理由は
GKBRだ。
もうカタカナで書き表わすのもおぞましい。
先週初めにはじめてこの家でご対面した。

その日はちょうど高槻の天神山で気功教室。
その教室でGKBRが走っていて
Aさんがティッシュでつかまえたのを見たときは唖然とした。
私には絶対ムリだ。
そういや、ウチはGKBRでないなぁ
と思っていたのに、その日、家に帰って着替えて
台所に降りたら、ヤツがいた。
・・・そんなシンクロはいらん!

なめを踏んださすがの私も
あいつらだけはダメ。
見るのもイヤイヤ。

それからほぼ毎日のようにご対面する。
今のウチの台所は縦長で、モノがちょこまかと置いてあるので
彼らの姿を見ても、そうそう叩くことが出来ない。
すぐに隠れてしまう。
シンクの後ろが住処らしい。
シンクごとのけて、たたき出したい気分だけれど
こんな時にヘナチョコの私は一人ではムリだ。


去年、みすずちゃんちの二階に住んでた頃
自分の部屋で見た時は、半泣きで叩いたけれど
ホント、決死の覚悟だ。
やつらをヤっておかないと、自分が眠れない。


今日、ようやく
ホイホイとホウ酸だんご系の薬剤を買って設置。
台所も、汚くしているつもりはなかったけれど
コンロの下や、流しまわりなど雑巾でキレイに磨いた。

これだから夏は苦手だ。
ムシ嫌いの私にとっては。

昔、箕面にある昆虫館に行った時は
たくさんの蝶が舞い飛ぶ広場ですくんで動けなくなった。
なんとかその広場を走り抜けて逃げた。
遠くで見ている分にはいいけどホントダメだ。


気持ち悪さのあまり
食欲がなくなるって
そんなに繊細だったのか、私の神経。

早く涼しくなって欲しい
と切に願う。

とりあえず、らくだのコブ並の貯えはあるけれど
このままではガリガリになっちゃう。
・・・(笑)

今日の日記を読んだ人からは
「食べなきゃダメだよ」
との声が挙がるのはわかっている。
まぁ、今のところ夏バテとかじゃないし
単に食欲がないだけで
食べないといっても、全然食べてないってワケじゃないし
すんごいアクティブに動いているので、ご心配いりませんよー。ホンマに。
食べたくなったらちゃんと食べるしね。

それにしても、食べたい
って欲求がないとつまんないね。
・・・欲望って、必要。
仙人みたいな生活は、私は
まだまだしたくないなぁ。


Category : いつものこと
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まるで万華鏡

light.jpg



一昨日、窓から差し込むまぶしい光に起こされた。
6時30分。
カメラに光をおさめようと飛び起きる。

この光が散乱する図はレンズフレアと呼ばれる現象で
逆光状態で撮影を行ったときに、光がレンズに反射して
レンズの虚像が映り込んだもの。


パワフル。
こうして写り込んだ光を見てあらためて思う。
レンズの虚像でも何でも、その描写は自然そのもの。



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