空模様

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Posted by チエ on  | 

沈黙 -サイレンス-



これほど何度も読んだ小説はないので、もう勝手に脳内で私の創作映像ができあがっていて
スクリーンに目をやっても、映画を見ている感覚が薄いなということを感じながらの三時間だった。

小説がすごすぎるのと、私の思い入れがあるので仕方がないこと。
とはいえ、やはりスコセッシ監督でなければ撮れない映画だと思う。
すさまじい映画だった。


この小説は、日本人である自分がキリスト教徒として生きていくこと、
遠藤周作のその葛藤の中からうまれたもの。
この自分の信仰に関する思索を、「だぶだぶの洋服を和服に仕立て直す作業」と遠藤さんは表現している。

「沈黙」という小説には、海や雨の描写が多い。
水に包まれている、そのことが日本人の宗教観を形成してきた。
日本人は無宗教だと思っている人が現代には多い。
宗教に属していないから、無宗教だという。
けれども、信仰がまるでないわけではない。
移り変わる四季も、地震や雷などの自然災害も
人の力など到底及ばない自然にこそ、この地の人は畏怖の念を持ってきた。
雨や海、川、その自然に包まれている、このことがこの地においてはめぐみでもある。
そこに、信仰がないなどと言い切れない。

波の音、雨の音。
そばにあって、ただ私を支え続けているもの。
小説にも映画にもそのことに対する説明めいた描写はないけれど
自然とともにあることが、背景に語られていた。
遠藤さんに対してすごいと感じるのは、その筆力。

長崎を訪れた際に「沈黙」の舞台となった外海を歩いて、
あの海岸線が舞台であることを記憶にとどめているから、
映画を見ていて補正しきれず少し混乱した。
(映画のロケは台湾なんだよね…)


そしてやはり水磔シーンは、もっとしずしずと海に抱かれていくイメージなの。
とはいえ、塚本さんはまぎれもなくモキチだったなぁ…。
映画にケチをつけるつもりは毛頭なく、ただ私の中の脳内イメージがありすぎるだけ。
映画作品としてはすばらしいので、誰かとまた話したい。


小説「沈黙」の舞台を歩いたときの記録はこちら。
http://soramoyo.blog43.fc2.com/blog-category-8.html

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Category : 映画
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君の名は。

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ひとの目にうつるものに、「名前」がつけられること。
そして、その「名前」になってゆくこと。
でも、名前をつけられる前からあること。


「お前は誰か」と「私」に問うのはいったい誰なのだろう。


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意識と記憶と名前と、時空。

ここはなんだかよく知っている、でも初めてきたのに。
そう感じる地や瞬間のその感じ。
(私にとって、長崎や東京がそうだ)

ここにいたんじゃないだろうか、
でもそれはいつのことなんだろう。

あなたはかつて、愛したひとなんじゃないだろうか。
どういう姿であっていたのかは、まるで覚えていないのだけれど
私はずっとあなたにあえるのを待っていた気がする。

そんなふうに感じるのは
どういうことなんだろう。

私は誰なの。
そして、私はこの映画を見て、どうしてあんなに涙が出たの。
いったい、なにがなににふれたのだろうか。


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見た後に、この映画のベースに
古今和歌集で小野小町の詠んだ
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを
があると知った。やはりそうかと唸った。
この映画の世界観は、そうだろうって。
そしてまたこの映画を57577の文字数であらわせるこころが
私がいま生きる地の源泉にあるだろうって。

高校時代に古典の先生を好きになって、
やたらとがんばって古典ばかり勉強した時期があったけれど
あの先生が例えば数学の先生だったら、私は先生を好きにならなかっただろう。
先生の教えてくれる古典が好きだったのだ。

私の中で大切にしたい映画の一本となった。

http://www.kiminona.com/index.html




新宿や四ツ谷の風景がでてきてうれしい。
シン・ゴジラを見た後も感じたけれど、私、ホント東京が好きなんだなぁ…。





Category : 映画
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リリーのすべて

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実話をもとにした映画。でも、事実とは少し異なる。

主演のふたりがとくにすばらしい。
またまわりのキャストもひとりひとりについて言及したいほど。
ひとときも目が離せず、涙がぼろぼろとあふれた。
映画についての批評を観賞後見たが、事実がどうであれ、私にはいいかな。
映画をこれからみるという人のために多くは書かないでおくが、合点がいかない点もある。

なにもかもがただただ美しい。
この世界は美しいのだとあらためて思う。
水滴がぽとぽととたれおち、できた波紋に心身をたゆたわせる映画だった。

本質でいきろ、という意味で、私にとっては「かぐや姫の物語」や「アナと雪の女王」にならぶ映画。

http://lili-movie.jp/

Category : 映画
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あん



今日は、「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」だったそうだ。

ここ何年か、ハンセン病に関する情報がなんとなく気になる。
読む小説にも、なにかとこの病のことがとりあげられている。
宮崎駿監督の作品にも、織り交ぜられているということを
私は、監督のいろんな作品をみたずいぶん後になって知った。

元ハンセン病患者が語る激動の半生とジブリ作品に込められた宮崎駿の想い

古くから世界各地に存在していた病気で、
古代中国の文書、紀元前6世紀のインドの古典、キリスト教の聖書など、
日本でも「日本書紀」や「今昔物語集」に
ハンセン病を思わせる記述が残されているという。
有史以来、天刑、業病、呪いなどと考えられてきた。

日本では、明治時代に入り「癩予防に関する件」「癩予防法」の法律が制定され、
隔離政策がとられるようになった。
第二次大戦後も「らい予防法」が制定された。
「らい予防法」が1996年に廃止されるまで、世間からはないものとされたように、隔離され続けた。

現在では、治療法が確立され、
日本においてはあらたな患者の発生はほぼないとされている。


先日、映画「あん」をみた。
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樹木希林さんが演じる、徳江さんは
東村山に実在する「多摩全生園」に暮らしているという設定だった。

満開の桜と、西武線の黄色い電車。
風に舞う花びら、のちの青葉、ひろがり落ちる紅葉。
希林さんはもはや演技をこえて、そのまま徳江さんであって
「いいのよぉ〜…」と、声が風にのり渡っていく。

色彩と風、あわく、そのなかを人はゆきすぎていくんだな。
私は、その声を、どれほど聴きとることができるのだろう。
この生で。


http://an-movie.com/

「見なければ何もない」は徳江さんのことばだ。

私がいなければ、この満月は無かった。木々もなかった。風もなかった。私という視点が失われてしまえば、私が見ているあらゆるものは消えてしまうでしょう。ただそれだけの話です。でも、私だけではなく、もし人間がいなかったらどうだったか。人間だけではなく、およそものを感じることができるあらゆる命がこの世にいなかったらどうだったか。無限に等しいこの世は、すべて消えてしまうことになります。
あん/ドリアン助川著 


先日から書いている、「14歳からの哲学」にも通ずる。その哲学。
世界は、宇宙は、私が存在するからあるのだ。



いい映画だったな。
じわっと涙がでて、じんわりあたたかく熱がうまれる。

原作がすごいんだな。
読まなくちゃ…。


Category : 映画
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マンデラ 自由への長い道

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「マンデラ 自由への長い道」
を公開初日に見に行く。

映画の初公開は2013年11月28日 。
ネルソン・マンデラは
12月5日にこの世を去り
この映画は奇しくも追悼映画となった。

「アパルトヘイト」ということばを知ったのは
小学校の授業だったのか、中学校だったのか。
南アフリカでは人種差別が行われている
ということは、とにかく学校で教えられるのだけれど
「人種差別」って、具体的にどういうことなのか
案外、ピンときてなかったと
最近、つくづく思う。

自分とはつながらず、断片的にしか捉えてなかったな。

ヨーロッパの歴史は
西暦がキリスト生誕にあわせて数えられているように
キリスト教との関わりははずせない。
そして、彼らの歴史は征服、制圧の歴史であり
つまりはその反対に、抑圧、犠牲の歴史があるということ。
世界史からしても、それらを抜きには語れない。

日本は、キリスト教の影に政治支配をかぎとり
禁教令を公布、鎖国によってその手を封じた。
キリスト教弾圧を足掛けに、ひとりひとりを寺へ帰属させ
檀家制度や戸籍が誕生することとなる。
キリスト教のもたらした影響は、日本でも大きい。

直接的な関わりはないようであっても
世界は、たがいに波及しあっている。

歴史を追えば、その波が自分にも及んでいることを
感じとることができる。


ネルソン・マンデラは
偉大な人として認識されているが
彼自身は「私は聖人君子ではない」と言及していて
若い頃は、色恋沙汰もおこしているし
晩年の穏やかな顔からは想像もできない過激な面を持っていた。

私を聖人と呼ぶなら、聖人とは挑戦し続ける罪人という意味になるだろう。
 ―ネルソン・マンデラ



映画では、ネルソンのその人となりを垣間みることができる。

投獄27年。
彼を大きく変えたものは、なんだったんだろう。
変わったというか、おそらくもともとあったものを
拡大させていったものは。

彼の二番目の妻ウィニーは、
彼とは対極の道へと歩んでいた。

悲しみ、苦しみが長く続く中で
自分の中のリソースをなにに、いかに割いていくのか。
怒り、憎しみか。
ゆるしか。

成し遂げたことで私を判断するのではなく、失敗して再び立ち上がった回数で判断してほしい。
  ―ネルソン・マンデラ




彼のプロセスを、知ることのできる映画だった。
自分を静観し続けられる人だったんだと思う。


生まれながらにして肌の色や出身や宗教を理由に他人を憎む人は誰もいない。憎しみは後から学ぶものであり、もし憎しみを学ぶことができるなら、愛することも教えられるはずだ。愛はその反対の感情よりも、人間の心にとって自然になじむものだから。
 ―ネルソン・マンデラ






映像に見える、南アフリカの唄やその衣装も、とても魅惑的。
ネルソン役のイドリス・エルバは、
その素顔は似ていないはずなのに、そのものに見えた。
ウィニー役のナオミ・ハリスも、いい。
映画の中のウィニーは、ただ凛々しくすてきに見える。


この映画のために、U2のボノがかいたという主題曲がまたいい。
「Ordinary Love」。
Ordinaryって「ごくふつう」とか「あたりまえ」「ありふれた」
というような意味。

「そんなこと、あたりまえじゃないか」と
たやすく言えるほどの愛を。





Category : 映画
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